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絵と文、不可分 - インスタグラムと現代視覚文化論

『インスタグラムと現代視覚文化論』を読んだ。本書は、レフ・マノヴィッチの論考「インスタグラムと現代イメージ」全訳と、日本の執筆者による9つのテキストからなる論集の2部構成。

巻頭言から続けて「インスタグラムと現代イメージ」を読むより、論集最初の2本――「レフ・マノヴィッチとインスタグラム美学」と「なぜインスタグラムだったのか — 最後尾のメディア受容記述者としてのレフ・マノヴィッチ」を読んでおいてもよいと思う。「インスタグラムと現代イメージ」で躓くことが減る。

「インスタグラムと現代イメージ」の貢献は、Instagram[1]の写真を美学的に分類し、Instagrammism(インスタグラム美学)を発見した点にある。もちろん投稿写真の全てがInstagrammismに当てはまるわけではない。当てはまるのは、むしろ少数だ。だから、レフ・マノヴィッチがInstagrammismと名付けた特徴は、他の論考では見落とされている。

というようなことを論集最初の2本を読んで理解した。この前提が頭に入っていない状態で読んだので、自分は盛大に蹴躓いた。と言うより、すっころんで明後日の方向を向いた疑問を抱いた。

「写真論」はなぜ「「写真」論」なのか?

タイトルに「現代視覚文化論」とあるが、本書が扱う対象は基本的に写真だ。いつどこで撮られたかというメタデータも扱うが、基本的には撮影により発生し(フィルタ処理など適用された)たデータを分析している。

写真とは発生過程は独立しているけれど、写真と不可分に投稿されるテキストも、俎上に乗せた論考も見てみたい。ただでさえ大きくて理解できていない問題をこれ以上大きくしようとするな、という内心からの警告からは目を背ける。

そんなことを考えるのも、『カルティエ=ブレッソン 二十世紀写真の言説空間』の影響。写真は写真、テキストはテキスト、と分断してしまうと、見落とすものがどんどん大きくなっているのではないだろうか。LINEで返事を書く代わりにスタンプで答えたりして、ふとそんなことを思う。

データとしては、特徴量ベクトルにしかならないのだから、どうにかならないかなあ。とラフもラフなことを考える。

[1] カタカナ表記だと、自分には別の何かに見えるので英語表記にする。

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