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6月, 2018の投稿を表示しています

元軍人と顔のない囚人 - ゴールデン・カムイ14

『ゴールデン・カムイ 14』を読んだ。 目次がGuns N' Rosesの"Appetite for Destruction"。Golden N' Kamuyになっている気がするがいいのだろうか。 それはさておき、ほんとにもうこれからどうなっちゃうのって急展開。自分としては尾形の狙いが気になるところ。 杉元、アシㇼパさんに続き、2度目の表紙登場の土方もかっこいい。 それにしてものっぺらぼうにはビックリしたなぁ……。

心臓と右腕と血 - 銀狼ブラッドボーン (8)

『銀狼ブラッドボーン (8)』を読んだ。 表紙はマクミラン商会のセイラさん。マクミラン翁でもよかったよ? 銀鎚を修理して貰うまでだろうだから、インターミッション的な位置付けで短めに終わるかな、と思っていたら案外と長く続く。 ちょっとペースダウンした感じ。ハンスも秋水も万全とは言えず、ココウィルはこれからといった状態なので、ここできっちり復活・成長したところを見たいという気持ちもあるのでじれったい。

日露の日常 - ゲンロン6、7のロシア現代思想 I, II

『ゲンロン6』、『〃7』の特集「ロシア現代思想 I」、「〃2」を読んだ。刊行から遅れて読むからできる贅沢。 もともとは『ゲンロン8』の「ゲームの哲学」を読む前に『ゲンロン6』の「遊びの哲学」を読もうと思っていたのだけれど、つい読み耽ってしまった。サッカーW杯2018の開催地だし、4月から始まった『Fate/Grand Order』第2部1章の舞台だし、ロシアが熱い。 前提知識がほぼゼロなので、わからないことだらけ。当然ついていくのが難しい(というかついていけていない)。本当に次のとおりで、ロシアについても驚きを通り過ぎて笑えるくらいわからない。 いまぼくたちは、同世代のアメリカ人が、ヨーロッパ人が、あるいはアジア人が、なにを考え、なにについて考えているのか、驚くほどわからなくなっている。 出典:『ゲンロン6』「受信と誤配のゲンロンのために」 ◆ それでも知らない/わからないなりに考えるところがあったので、2つ書いてみようと思う。 1つは、『ゲンロン7』の「ポスト・ソヴィエト的左翼運動の闘争」と、先日読んだ『人工地獄 現代アートと観客の政治学』の比較。どちらも社会主義国家において活動の形をとったアートの歴史を振り返っている(『人工地獄』は「第五章 社会主義の内にある社会性」が該当)。中でも非公式芸術家グループ「集団行為」による「行為」の捉え方の違いについて考えてみる。 ちなみに『人工地獄』は他の国の活動の歴史も振り返ったあと、共産主義社会崩壊後のヨーロッパに舞台を移していくので、そこを「ポスト・ソヴィエト的左翼運動の闘争」と比較してもおもしろそう。でも、手に余ることが火を見るよりも明らかなので、手を出しにくい。「第7章 旧西側体制: 一九九〇年代初期におけるプロジェクトとしての芸術」でスウェーデンとロシアで協働を試みて「コミュニケーションの完全崩壊」を引き起こしたプロジェクトが紹介されるくらいの断絶を越えて比べるなんてとてもとても。 もう1つは、「集団行為」による「行為」が気になった理由について。自問していたら、日本は「ポスト・ソヴィエト的」より「ソヴィエト的」なのでは? という自宅先に湧いた粗大ゴミのような疑問に行き当たってしまったので、「ご自由に持っていってください」と貼り紙をする代わりに書き出してみる。どうにかしようとバラしてみたけれど

ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所、〃長く暗い魂のティータイム

『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』と『〃長く暗い魂のティータイム』を読んだ。 巻を重ねたらペシミスティックな雰囲気になっていた。 『銀河ヒッチハイクガイド』シリーズ と同じ傾向。自分は1冊目の方が好み。つながりが不明なまま同時進行していく自体が、終盤にあれよあれよと収束していく展開が気持ちいい。ダークも飄々としていて魅力的。文句なしに楽しめた。 2冊目は全体的に暗いトーンで覆われていて、どうもあっけらかんと笑えない。黒幕の退場の仕方なんかは不意を突かれて笑ってしまったけれど。あとダークが事態に振り回されている印象が濃いのも自分にとってはマイナス。全体論的探偵らしく部分を構成する事態に巻き込まれているばかりではなくて、関連を増やして事態をややこしくするくらいのことをもっとして欲しかった。 小説はこの2冊なので、今はドラマシリーズ『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』に手を出し始めたところ。原作とは異なる話が展開していて、1話を見た限りでは、何がどうなっているのやらサッパリ。でも原作を踏まえたセリフやシーンにニヤリとしたり、突拍子もない展開に呆気にとられたり、と部分は部分で楽しい。 無謀にも大筋を予想すると、自分や家族のことだけで首が回らないトッドと気になる問題に片っ端から首を突っ込むダークが対照的なので、トッドがダークに友情を感じたあたりでダークが台無しにしてシーズン2へ‼︎ みたいになるのではないかと踏んでいる。

バッツ・バットマン - ニンジャバットマン

映画『ニンジャバットマン』を見てきた。いやあ最高だった。大満足。なのにもっと見たい。ぜひ続いてほしい。 パンフレットの『PRODUCTION NOTES』の「90秒と90分の区別がついていない」が言い得て妙。たまに見終わったときに「CMでも使われた映像が一番の見せ場だったな」と欲求不満になる映画もあるけれど、そんな心配は皆無なので気になる人はぜひ見に行ってほしい。 脚本が『天眼突破グレンラガン』や『キルラキル』の中島かずきさんで、アニメ制作が『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズのOPの神風動画ということで見に行ったけれど、正解だった。ここまでやってくれるとは。ニンジャヘッズも「ワザマエ!」と叫びそう。古橋秀之さんの作品(中でも〈ケイオス・ヘキサ〉三部作と『サムライ・レンズマン』)好きにも見て欲しい。あとゲームのゴエモンシリーズ(とくに『がんばれゴエモン2 奇天烈将軍マッギネス』あたり)のようなノリが好きな人もぜひ。 最初からテンションマックスで最後まで青天井に上がり続ける。それどころか最初以前、入場者プレゼント「ニンジャバットマン 富士地獄ヶ原の乱戦A3ポスター」からもう笑ってしまった。始まったと思ったら、開幕から子安さんの叫びが響き渡る。演じるのはゴリラ・グロッド。イケメンゴリラが本当にイケメン。子安さん演じるゴリラ……『トランスフォーマー ビースト・ウォーズ』!! 第六天魔王ジョーカーに魔小姓ハーレイ・クイン!? ヴィラン大名!! バットモービル、バットウィング、バットポッドさらに(以下自粛)。サイドキックが大五郎、仮面の忍者にこ、虚無僧!? 飛騨忍軍も渋いなあ。突如始まる絵巻物パート、かぐや姫パート。『ポプテピピック』コラボはこれの伏線だったか。そして満を持して登場する戦国バットマン。馬に乗って突撃。って平安時代の一ノ谷かここは。ヴィラン達が城に乗っている……。ロボット要素に特撮要素――よくこれOK出たな。ついにCMでも使われているバットマンとジョーカーの殺陣、こんなかっこいいの見たことないぞ(クレジットに殺陣監修がいらしてなるほどと思っていたら、 あのシーンは実際の殺陣を撮影してそれを元に作られた とのこと)と思っていら、追い詰められたバットマンが(やっぱり自粛)。やっぱおめえは最高だよ、バットマン!! 濃密過ぎてまだまだ言いたいこともあるけれど

有料の匣 - 人工地獄 現代アートと観客の政治学

『人工地獄 現代アートと観客の政治学』を拾い読み。読破を試みたけれど、知らない名前やわからない用語が多過ぎたので途中でスキップ。 おどろおどろしいタイトルが目に留まって、怖いもの見たさで読んでみたら、思いがけず硬い本だった。現代アートのうち参加型アートの鑑賞や批評がテーマ。中心となる課題は、「参加型アートを語るための方法を見出すこと」。後半になると教育や政治の話題が前面に出てくる。 本文でも説明されているけれど、各章は3つに大別される。前半2章までが概論や歴史で、3〜6章が比較的新しい作品を取り上げてのケーススタディ、7章以降は総括的な内容が書かれている。 スキップしたのは3〜6章。でもそれなりには楽しめた。演じられるアート(参加型アートやインスタレーションなど)の生まれが、制作後に展示されるアート(絵や彫刻など)と対置されていて、そもそも源流から異なっていて直接の祖先は演劇という話なんか好奇心をくすぐってくる。 中心課題もブレイク/ドリルダウンされると、現代アートに限らず広く応用できる課題になっていた。参加者しか語れないのか? 直接、鑑賞した人までか? 間接的にはどのように鑑賞し得るか? つまりどうアーカイヴされるのか? といった疑問に分解されていく。これは翻せば、参加者は鑑賞者なのか? という問題でもある。 自分の狭い見聞では、「ブラックボックス展」が警察まで必要となる問題となったのが記憶に新しい。基準を明らかにしないまま参加者を選別し、内容を口外しないよう誓約させ、料金を取り、説明も不十分なままただの真っ暗闇に放り込んで、結果として性犯罪が起きた(ここで書ける範囲は「被害が警察に訴えられ、被害者連絡会が結成され、主催者と会場提供者が訴訟された」までか。語りにくさが甚だしい。 語ることについてだけでなく、本書で扱う問題がことごとく出ている。犯罪の温床を作ったという倫理の問題にも、口コミで集客・集金を企図したという資本主義化(参加型アートは、モノの作品展示が商品陳列化していることへの反発から、アンチ資本主義的な生い立ちがある)の問題にも紙幅が割かれている。本書では、難民を参加させ命に関わりかねない状況を意図的に作り出したケースや、アンチ資本主義的な意図を込めてお金を払って同意のうえでパフォーマンスとしてただ立っていてもらうという倒錯したケー

ざざーん、ざざーん / ニトクリス from Fate/Grand Order

『Fate/Grand Order』からニトクリス。幕間での言葉や絆ボイスからファラオとしての自信を深めているようだし、ゲーム性能上も宝具LV3まで成長してくれて頼もしい限り。ピックアップされていないのに星4枠に連続で応じてくれてあっと言う間にLV1から3に。さすがに驚いたけれど、これも何かの縁か。 というわけで、天空および冥界の神そしてファラオとしての威厳が感じられる二トちゃん目指して描いてみた(呼び方が不敬)。「愚かな……具体的にどこがと言われると困りますが、大逆には死を」と死罪を宣告(戦闘開始直後に高速真言でNPチャージ)し、宝具解放―― 冥鏡宝典 ( アンプゥ・ネブ・タ・ジェセル ) ! かわいいだけがニトクリスの魅力じゃないよなあと思いつつ。最終再臨のときの尊さといったらそれはもう。 以下は覚書。 ゲーム内と演出が違う(死霊が白かったり髪の毛が光ったりしている)のは単に好み。 二トクリスは基本的にはベタ塗り。壁画のイメージ。影を黒で潰したのは、後ろにいるアヌビス神のイメージ。 意図せず死霊の配置が歌川国芳の『相馬の古内裏』。そう言えば 『大妖怪展』 で見ていた。 死霊をよく見たらワニらしき影も混ざっていたので、「エジプトの神性なのでナイルワニ?」と思って調べて見たら、セベク神として神格化されているとか、体長5m以上にまで育つとか、いろいろとおもしろい。下書きまでしたけれど、収まりがが悪かったのでお蔵入り。

住む住む - フランク・ロイド・ライト

『フランク・ロイド・ライト』をパラパラと眺めた。 日本だと帝国ホテルの設計で有名っぽい(疎いので知らなかったけれど(建物もうないし(ちなみに 合わせてデザインされたカップなどが復刻 している)))。 軽口はさておき、建築に込められた思想的な解説も足早に通り過ぎて、即物的に写真や図面を眺めていた。図面の方が視線が止まっていた時間が長かったのは、パターンがくっきり見えるからか。 あと、なんだかおかしかったエピソードが2つ。 一つ目は、建物だけでなく家具もデザインするようになったのだけれど、クライアントが引っ越すときに家具を持ち込んだことに落胆したという話(ワード・W・ウィリッツ邸)。屋外と外壁が合うように、内壁と家具を合わせたいということか。お金の問題もあるし個人邸なんだから好きにさせてやれよ、とも思う一方で建てる際に何をどう配置するか想定していたこともあるだろうとも思う。特定の時点にピーキーに最適化しちゃうと、住人の変化に合わせにくくなる気もするが。 二つ目は、美術館の壁や床を斜めにしたら多数の芸術家の署名付きで絵画によくないという書面が送られてきたという話。床は少しくらい傾いていても視線はおおむね水平を保つけれど、壁を斜めにしてしまうと歪んで見えそう。想像だけれど、縦方向に長い絵には、床から見上げた時に自然に見えるように、わざとパースを歪めている作品もありそうだし。 前提として歴史に名を残している偉大な人だという認識はあったので、こういう不和もあったのだなあ、と。人間なんだからそりゃそうだろうという話ではあるけれど。 『アート・オブ・デザイン』のイルス・クロフォードさん(インテリア・デザイナー)の話を思い出したり、いわゆるリノベとか居抜きのことを連想したりもする。そのあたりを起点に解像度を上げ下げすると、構成要素どうしの接点、平面としての視界への写り、光・エアフロー・匂い・音が広がり人が動く場というか空間、みたいにどんどんとりとめがなくなっていく。なくなった。

技・芸・術 - アート・オブ・デザイン

Netflixドキュメンタリー『アート・オブ・デザイン』を一通り(1シーズン8エピソード)見た。原題をそのままカタカナにしたようなタイトルだけれど、原題は "Abstract"。見終わった今は象徴的だと思うけれど、見る前だったら抽象的過ぎて見ようとは思わなかっただろう。よい翻訳。 内容は、様々な分野のデザイナーの紹介。次の8エピソードで構成されている。形式は「名前:分野または職業」。 クリストフ・ニーマン:イラストレーション ティンカー・ハットフィールド:フットウエアデザイン エス・デヴリン:舞台デザイナー ビャルケ・インゲルス:建築家 ラルフ・ジル:自動車デザイナー ポーラ・シェア:グラフィックデザイナー プラトン:フォトグラフィー イルス・クロフォード:インテリアデザイン 各回の感想を簡単に。 ◆ イラストレータのクリストフ・ニーマンさんの回が、「デザイン」と聞いて最初に浮かぶイメージに一番近かった。ここでいうイラストは、メディアの一部として使われる種類のもの。代表的な仕事として、雑誌”The New Yorker” が取り上げられる。それから、個人プロジェクトのモノを一部に取り込んだイラストも紹介される。ユーモアがあってにんまりとさせてくれる。好みだったので、Instagramアカウントをフォロー中。 ◆ ティンカー・ハットフィールドさんはナイキのデザイナ。エア・ジョーダンでバッシュ好きには有名な模様。バッシュとしての機能向上はもちろん、試合中に見映えするようにして、さらにマイケル・ジョーダン選手の物語も織り込むという隙のなさ。あるいはバランス感覚。『バック・トゥ・ザ・フューチャー 2』に出てきた、紐が自動調整されるあの靴も話題に挙がる。ナイキはアプリを出したりしているけれど、靴と人間のインタラクションについて、この時から連綿と研究し続けていたということか。 ◆ エス・デブリンさんは舞台デザイナー。舞台演出を考える人みたいなイメージ。キッカケはどのバンドのライブも似たようだったことにウンザリしたからなそうな。言われてみれば自分の中にもテンプレートがある。真ん中にボーカル。両サイドにギターとベース。後ろにドラム。で、背後にはバンド名のロゴ。ステージって幕=平面のイメージが強いけれど、立体的なところと技

Hey! - ゴーストバスターズ (リブート版)

『ゴーストバスターズ』(原題 “Ghostbusters”) を見た。 昔の方がおもしろかったような。とは思うが、ハッキリ覚えているわけでもない。思い出補正? ともあれ、序盤から展開の粗さが悪目立ちしてノリが合わなかった。気になったところを書き出してみる。 まず、主人公エリンの危機感・真剣味のなさ。コメディ映画ではあるものの、科学者なんだから未知の事象に対する慎重さも描いて欲しかった。幽霊を目の当たりにしてからキャラ変わり過ぎじゃないか。 次に、政府の秘密組織の影の薄さ。素人が関わるのを傍観して、死者が出た結果に、なんの言及もない。ゴーストバスターズサイドからも何も追求されない。あとニューヨークの危機に現れたりもしない。 それから、メンバー唯一の男性ケヴィン。目の保養のために採用されて、なんの役にも立っていない。とぼけたキャラにしても、もう少し憎めなさを演出して欲しかった。的外れに思えた発言がヒントになって突破口が開けるとか、彼のミスが結果的に幸運をもたらすとか。コメディ役を演じるクリス・ヘムズワースという意味では 『マイティ・ソー バトルロイヤル』 のソーはおもしろかったなあ。 最期に願望。RUN D.M.C.の"Gohstbusters"を使ってほしかった……。 楽しいシーンもあっただけに惜しい。特にジリアンがよかった。ゴーストの包囲網を二丁拳銃で突破するシーンとか、最後の長セリフとか。

最期に勝つのは - 残念女幹部ブラックジェネラルさん(4)

「『残念女幹部ブラックジェネラルさん(4)』を読んだよ。今回も残念だった。でも、4巻まで来てそれだけではない熱い展開が!!」 「どんな展開だったんですか?」 「まるで夏の劇場版。これまで単話完結だったのが、ストーリーがついてオールスターって感じだった。新しいも登場したけれど、やっぱりこれまで出てきたキャラクタが活躍するってのがいいよね」 「意外なところで、これまでスポットライトの当たっていなかったキャラクタに見せ場ができるの、いいですよね」 「しかし、まさかくまむーではじまり くまむーで で終わるとは」 「ブラックジェネラルさんも主役に相応しい活躍でしたよ」 「新キャラの中では、アイアンマンモチーフと見せかけて、メタルマンなの笑う。あ、ロックマンじゃなくて、本当に申し訳ない方ね」 「本当に申し訳ないのは、博士では」 「私にもわからん」 「いえ、わかってないの双司君だけですから」 「あとやっぱり秘書さんいいなあ。次巻が楽しみだ。5巻出て」 「売り上げが伸びていることを祈りましょう」 「ところであとがきを読むと巻末以外にあるようなのだけれど、Kindle版だとちゃんと巻末にあるんだよね。紙版だとどこにあるんだろう? ページがずれていないってことは、カバー裏とか?」

ジククジ - 変形菌入門

『変形菌入門』――正確には『観察から識別まですべてがわかる! 変形菌入門—きのこでもカビでもない、粘菌とも呼ばれる不思議な生物』――を読んだ。 『変形菌 (Graphic voyage)』 や 『粘菌生活のススメ』 がカバーしていない観察や識別の説明が丁寧な一冊。これまで、マクロ撮影された写真とキャプションのサイズをうまく頭の中で対応付けられていなかったけれど、本書に掲載されている原寸大の写真を見てようやくイメージできるようになった。 当面の行動目標として、春~秋に落ち葉が積もっているところに行ったらジクホコリがいないか探してみる、というのを掲げてみようか。見つけられるかどうかはともかく、見つかるも八卦見つからぬも八卦。

graphic glyph - 20世紀のデザイン:グラフィックスタイルとタイポグラフィの100年史

『20世紀のデザイン:グラフィックスタイルとタイポグラフィの100年史』を読んだ。100年史なんて大仰なサブタイトルがついているけれど、旅行先から送るハガキについてについての会話から着想を得たとのこと。詳しくは「〜からこんにちは Greetings from...」(p.109) 参照。解説文の量も少なくないけれど、当時の作品やフォントなんかを眺めているだけでも楽しい。 Netflixドキュメンタリー『アート・オブ・デザイン』で紹介されていたポーラ・シェアも登場していて (p. p.172-173, 202, 216)、1995年に彼女が制作したポスター「ブリンギン・ダ・ノイズ、ブリンギン・ダ・ファンク」が本書のトリを飾っている。 そのポスターの解説で「ロシア構成主義」というキーワードが使われていたので、本書冒頭の年表を遡ると1921に生まれて1934年まで人気が続いた運動とのこと。この運動を始めたデザイナの1人、アレクサンドル・ロトチェンコという方の「Knigi」 (邦題『レンギス あらゆる知識についての書籍』で知られているとのこと、p.73) に既視感があるとおもったら、Franks Ferdinandの2ndアルバム "You Could Have It So Much Better" のジャケットだ (2005年リリース)。 2000年にリリースされたThe Whitestripeの2nd アルバム "De Stijl" (デ・スティル) も同時期 (1917-1931) のデザイン運動に由来した名前なのがおもしろい。赤白黒の3色は構成主義をイメージさせるけれど、この3色は最初からバンドのイメージカラーとして打ち出しているから、また別か。 で、自分でも聞き覚えがあるバウハウスもこの時期 (1919-1933)。これらは影響を受けたり与えたりしたりしていたらしい。アウトプットだけ見ても、自分にはハッキリ区別できないレベル。 デュポンの「泉」がその思想の典型だと紹介されていいるダダも、並行している (1916-1931)。ただ「ビジュアルな様式というよりもむしろ態度である」ので、やっぱりアウトプットだけ見てもわからない。ちなみにその思想は「従来的な意図で芸術をつくり出すのではなく、芸術表現を用い

Let's Walk Together / アストルフォ&ヒポグリフ from Fate

祝、初の絆レベル10!! というわけでアストルフォとヒポグリフを描いてみた。 ニコニコ静画 、 pixiv にもアップしたので、便利な方でどうぞ。 Apocrohaの物語のあと、 「真っ昼間からヒポグリフで飛ぶので、早速ここの管理を任された魔術協会の誰かの胃が死」 んでしまい、なんやかやで「一緒に歩こう!」と思いついた感じで。「まだ飛んだ方が」とか「連れて歩くなよ」などと思わないでもないが、理性が蒸発しているので気にしてはいけない。 Apocrypha放送中にFGOを始めてピックアップで来てくれたのが彼だった。しかもさっそく宝具LV.3になったので、周回でも攻略でも活躍し続けてくれている。思えば、初のスキルLV.10も彼だった。NP50%チャージは大きい。 以下は描いている間に考えていたことなんかのメモ。 アストルフォ 上はオーバーサイズTシャツ、下はレギンス(のつもり)。歩こうとしているので軽装で。 シャツのロゴはPLAYB○Yのパロディ。ウサギ好きだし、後半が塗りつぶして、 魔術万能攻略書 ( ルナ・ブレイク・マニュアル ) もとい 破却宣言 ( キャッサー・デ・ロジェスティラ ) によるステータス書き換えのオマージュもできて楽しいので。 ヒポグリフ アニメやゲームを参考にしているのだけれど、ちょいちょい見た目が違って悩む。とくにトサカ?の大きさ。 サイズもいまいち自信が。ヒポグリフぬいぐるみ (1/1) ではかなり大きいのだけれど、アニメの騎乗シーンを見ているともっと小さく見える。 結局、上半身が鷲で下半身が馬という伝説にならって、鷲っぽく馬のサイズで描いてみた。幻獣だから硬いことは考えない方針で。 動物は描き慣れないので 『驚くほどかんたん動物デッサン』 や 『ワシ・タカ・ハヤブサ識別図鑑』 を参考に。 フォント ちょっと字形(グリフ)で遊んでみた、ヒポグリフだけに(スペルが違う) 名前はCateneo Bold。中世ヨーロッパのスクリプトっぽいけれど柔らかめな印象なのを探して行き着いた。ただ大文字が直線的だったのが好みじゃなかったので、大文字と小文字を組み合わせたような形にしてみた。 "&" はVaskerville Italicをベースにして、読みやすさを度外視して装飾に見えるように。

Waiiting for Wade - Deadpool 2

『デッドプール2』(原題 “Deadpool 2”) を見た。 前作を楽しめたのなら、今作も間違いなく楽しめる。前作では物足りなかった人でも満足できそう。それくらいパワーアップ。 オープニングからクレジットまでやりたい放題。下ネタもグロも戦闘もメタネタも(そしてきっと予算も)出血大サービスと言わんばかりのてんこ盛り。X-MENシリーズはもちろん、多数の他作品も明に暗に参照する。 ここから先はネタバレあり。本作およびウルヴァリン三部作、それから本作が参照していそうな映画についても書いているので、そういうの読んでも見に行くという人だけどうぞ。これが原因で観客数が減ろうものなら、彼が始末に来そうなので、よろしくお願いします。 続きを読む なにはともあれウルヴァリン三部作への参照がうまい。笑いどころにも深読みしどころにもなっている。冒頭、デッドプールが爆発四散するシーンで、「最後に死んでハードル上げやがって」という趣旨のセリフを吐く。これは、 『LOGAN/ローガン』 (以降『ローガン』)の結末のこと。もうここで笑ってしまうし、他にも何シーンかあるのだけれど、ストーリー全体もウルヴァリンと対比的に描かれている。 ウルヴァリンは 『ウルヴァリン: サムライ』 (以降『サムライ』で死を求め、『ローガン』で子供達を守るために命を掛けた最期を迎える。一方、デッドプールは冒頭で彼の死に言及したうえで、最愛のヴァネッサと子供を作ろうとした矢先に彼女を失ったことが原因で、自殺を試みるがやはり再生してしまい失敗する。この死を求めるが死にきれないところは『サムライ』をなぞっている。しかし、そのあと擁護施設の子供ラッセルを守るために一度は命を失うものの、ある人物(後述)に救われる。迎えるエンディングは『ローガン』とは対照的になっている。 死の淵に瀕したときのヴァネッサとの会話シーンは見た目も内容も 『インターステラー』 だし、孤独なヒーローが仲間と(血のつながりこそないが)子供を得る展開は、 『レゴバットマン ザ・ムービー』 を彷彿とさせる(メタネタも共通している。映画の始まり方に言及するところなんか特に)。 彼の命救ったのがケーブルというのがまた染みるものがある。『E.T.』を思い出させるポスター(直接的にはミケランジェロのフレスコ画『アダムの創造』だろうけれ

Still life goes on - 静物画 静かな物への愛着

『静物画 静かな物への愛着』をパラパラと眺めた。絵の一部として描かれている静物から始まって、リキテンシュタインやウォーホルまで一気に駆け抜ける。 静物画というと、テーブルに置かれた果物というイメージだったので、キャンベル缶が掲載されていたのを意外に感じてしまった。ものの見事にステレオタイプに囚われている。 それどころか、最初期の独立した静物画として紹介されている、1597年にカラバッジョが描いた『果物籠』の視線がテーブルと水平でむしろ新鮮だったり、17世紀オランダの作品に鰊や牡蠣が生々しく描き出されていたり、とどの時代の作品も「静物画」のイメージを広げてくれた。 ちょっと気になるのは解説文。進むにつれてワーディングが大仰になっていき、素直になるほどと受け止めにくくなる(活字中毒気味なので読んだけれど)。トリを飾る作品、モランディの『静物』になると、 人間の外側に物質は存在している以上、事物の見た目の真実、事物の外観の真実性から逃れることはできない。それと同時に、人間の内なる自我の存在、真実性を避けて通ることができない。 という調子。哲学の本を読むせいか、こういう言葉遣いをされると「〈見た目の真実〉、〈外観の真実性〉とはそれぞれ何を指しているのか」、「ではそれと〈自我の真実性〉はどのような関係にあるのか」と絵から離れた思考が走る。 最初の方は歴史的背景や描かれているものの解説だったので、わりと素直に読めていだけに不意打ちの感がなきにしもあらず。

庭園 / 亀 / 鴨+ツツジ / 灯籠 / 灯籠 - 旧安田庭園公園

This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 『刀剣博物館』 に行ったついでに、旧安田庭園公園も散策してきた。 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . カメ。手足を浮かせたポーズがユーモラス。石が熱いからかな。 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . カモとツツジ。丸い。 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 灯籠。 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 灯籠2。Instagramにアップしたの ( 1枚目 、 2枚目 ) をマクロで。

タイポグラフィック・パーク - Typography Maniacs

『Typography Maniacs』をつらつらと眺めてみた。Netflixドキュメンタリー 『アート・オブ・デザイン』 のグラフィック・デザイナ、ポーラ・シェアのエピソードがおもしろかったので、文字を使ったデザインにはどんなものがあるのだろうかと思って。 というわけで強い印象を残した作品をいくつかピックアップ。 Mannaというアーティストのアルバム”Shackles”のジャケット。特にアーティスト名の”M”, ”A”の色気が目を引く。しばらく見てみると"M"が向かい合うペンギンのようにも見えてきた。かわいい。 次は CHAIR / CHAIR という作品。CHAIRの各アルファベットの形をした板を組み立てると、椅子ができあがる。 もじバケル (漢字がドラゴンなんかに変形する食玩)を思い出す。 対照的なのが、 Take a Seat and Say Something 。これは椅子でアルファベットを表している。大文字も小文字もそろっているのは執念か。 その作家は、 Booksetting という作品で、本棚と本を使ってアルファベットを表している。背を奥にして入れた本を地にして背表紙で書いているので、収納方法としては実用に欠けるけれど、目には楽しい。 モノのレイアウト系では、ロックバンド The Dicemberists のポスターロゴが、流れるような筆記体で優雅。でも、素材が流れてきたような木の枝なので、素朴さも感じられる。手の込んだ演出なのか、取り除ききれなかったゆらぎなのか、危ういバランスのせいで目が話せない。 反対にフォントをモノに加工した作品も数多く掲載されていた。強烈だったのは、生き物に見立てた Evolution of Typeプロジェクト の作品群。解剖模型のようで、フォントが未知の生物に見えてくる。Exhibit 16ではフォントが琥珀に閉じ込められている。ここからDNAを抽出して、絶滅したタイポグラフィーを集めたタイポグラフィックパークができるわけか(そんなわけはない)。 こんなところ。Web上でも見られる作品にはリンクを貼っておいたので、まずはそれで味見してみても楽しいかと。

一歩音超え - コハエースGO 帝都聖杯奇譚

Fate/GOのイベント「ぐだぐだ明治維新」で沖田さんが大のお気に入りになったので、こちらも読んでみた。 Amazonのレビューなどを見て、この絵柄でシリアス展開というのはわかっていたけれど、惜しいというか勿体ないというか。絵のスタイルとストーリーが、ちょっとぴったりとは言えない。それぞれは嫌いではないのだけれど(というか好きなのだけれど)。 展開自体はおもしろかったし、各キャラも魅力的だった。ここから読み始めたのだけれど、もう少し調べたら前々巻 (EX) がサーヴァント達初登場だったのは誤算だったが。 でも、このシリアス展開はGOだけのようなので、これを主軸に、前々巻・前巻(EX・XP)が初出の話を含める形でアニメとか小説とかに再編集されたりないかしらん。

もじモジタイポ - のらもじ、まちモジ、タイポさんぽ

『のらもじ』と似たコンセプトの本――『まちモジ』と『タイポさんぽ』をたまたま見つけたので、3冊をパラパラとめくってみた。 『のらもじ』は 「のらもじ発見プロジェクト」 が軸なので、活動内容や「のらもじ」が描かれた看板の持ち主の言葉などにも紙幅が割かれている。その割を食って文字自体についての記述が薄め。関心の中心を文字の形においている自分にしてみると、ズレ気味でどうも入ってこない。 『まちモジ』では、世界各地の文字が見られる。主に掲載されているのは、看板・標識。英字フォントも好きだけれどカッチリしたのが多い印象。ちょっと硬め。もうちょっと柔らかいのを見たい気分だったので、タイミングがよくなかったか。 『タイポさんぽ』はそのときの気分にしっくりきた。初めての道を散歩するときの一期一会を味わえる。淡々とキャプションつきの写真が続く。出版が2012年だからか著者の趣味なのか、変化に富んだ文字が見られる。キャプションで語られる著者の視点もおもしろい。その視点を追いかけると、第一印象ではぱっとしなかった文字が、じわじわと魅力的に見えてきたりする。 『タイポさんぽ』は、続編 『タイポさんぽ改』 へと続いている。こちらは未読。目に留まったページだけじゃなくて、最初のページから順番に目を通してみようかな。

とうはく - 刀剣博物館

刀剣博物館に行ってきた。沖田さんを描いたり、そのときに 『図解 日本の刀剣』 (ちなみにここの方が監修)を参照したり、そのそばにあった 『日本刀の科学』 を読んだりしているうちに、真剣を見たくなってきて。 以前、 東京国立博物館で見たとき にも感じたけれど、光の反射具合を含めて楽しめるのは実物ならでは。浮かび上がる刃文(はもん)とか鎬(しのぎ)を走る光の曲線とか。 今回は急場凌ぎとはいえ構造を頭に入れて臨んだので、正面だけでなく上下左右からも見てみたりもした。思えば、初めて刀身を意識的に立体としたかもしれない。 数十振り並んでいたので、反り・太さ・厚さの違いも比較できた。なんとなあく軽く反っていて、太さは鋒手前(横手筋)まで一定で、ごく薄いイメージだったけれど、反りの位置と程度、太さの変化、厚み、どれも時代や刀匠によってこんなに違うのね。でも刃文は解説読んでもやっぱりわからん。『日本刀の科学』の著者でさえ教科書的なもの以外は判別困難と書いていたので、致し方なし。 1Fでは素材や各工程での状態が展示されていて、本では省略されていたりした情報も補えたし(いきなり実物見ても情報量過多で漫然としただろうけれど)。玉鋼の状態でも。あれはあれでキレイなものだったのが印象的。 ただ、人に物見遊山として勧めるには割高感がある。展示スペースは広くない。刀好きならいいかもしれないけれど、さらっと眺めるだけならものの数分で終わるくらい。入門的な内容は簡単なパンフレットのみで解説は専門用語比率高いし(ちょっとワインっぽい)。企画展「特別重要刀剣等新指定展」だから玄人向けだったか? ともあれ、沖田さんに持たせた刀を省みてみると、伏せごころ(鋒部分の下がり)が強過ぎだ、これ。時代を考えるとなくてもよかったか。反っているけれど直線的に見えるのがおもしろくて描いてみたけれど。 おもしろかったからいいか。

とうがく - 日本刀の科学

『日本刀の科学』を読んだ。日本刀はすごいと耳に挟むけれど、具体的になぜどうすごいのかという好奇心に駆られて。 そんな軽い気持ちで読み始めたら、材料力学に衝撃工学それから真剣と数値シミュレーションの比較実験まで出てきて姿勢を正された。「日本刀で学ぶ材料力学」みたいなタイトルとして構成できそうなくらいの内容では、これ。 でも、おもしろくて一気に読んでしまった。『図解 日本の刀剣』でさらっと眺めた工程の裏で材料に起こっている変化や、打ち込み時に各部にはたらく力など、好奇心を十分に満たしてくれた。 とくに目を引いたたところを簡単に。 まず、反りがもたらす強さの話。日本刀の反りは、刃部の圧縮応力と 棟 ( むね ) 部の引張応力の力学的バランスが生んでいるとのこと。逆向きの応力が発生しているのは玉鋼(たまはがね)の相が違うため。これらの応力(まとめて残留応力)が、素材を超える強さ(曲げ変形強度)をもたらしている。「素材を超える」ってところが熱い(反るのは冷ましたときだけれど)。 それから竹目釘の話。刀身と柄をつないでいるのは直径わずか数mmの竹目釘一本というのがまず驚きだけれど、さらにその位置(刀身の目釘穴の位置)が刀装と一体となったときに最適(打ち合いで受ける衝撃的な力が最小になる)位置と一致しているというのだから驚愕するしかない。 定寸(二尺三寸)の太刀の物打ち(截断に最もよく使う位置)の中心は、衝撃工学的には横手筋(切先最下部の筋)から下部へ五~六寸のあたり。刀身側で打ち合い時に受ける衝撃的な力が最小となるのは、そこという実験結果が解説されている。それから、 樋 ( ひ ) (刀身の鎬地に掘られた比較的深い溝)は軽量化の理に適っている(まり重量の低下に比して、曲げ強度の低下が小さい)という話もおもしろかった。 当時はこんな科学技術はなかったのだから、技術伝承を重ねながら探り当てたということになる。気が遠くなる。

とうべん - 図解 日本の刀剣

『図解 日本の刀剣』をざっと眺めた。 沖田さんを描いた ときに刀を持たせたかったので付け焼き刃で刀剣勉強。 広く浅くコンパクト(B6版で厚さ1.5cmくらい)にまとめてくれていて、初学にちょうどよかった。まずは、日本刀の分類と各部の名称から始まり、各部の詳細、時代ごとの特徴へと進む。ここまでが前半。後半は工程順に、刀身作り、刀身研ぎ、刀装( 柄 ( つか ) とか 鍔 ( つば ) とか 鞘 ( さや ) とかの各部位名称はココ)と進む。あと最後に付録的な資料が付いている。 「図解」なのでどの説明に使うのは、シンプルな図と短めテキスト。図はシンプルでわかりやすいし、テキストも簡潔。カラー写真は冒頭20ページまでだし、もう少し説明してほしいと思うこともあったけれど、興味が湧いたら他の本をあたったり「資料」の「日本刀を観賞できる場所」に見に行ってくれということだろう(ただ、参考文献が記載されていない)。 参考資料として使うと一覧性と検索性が悪いのが気になる。最初に説明した全体構成の話が書かれていないし、章番号も振られていない。あとから気がついたのだけれど、索引がないのはいただけない。用語を確認したいときにどこを見ればよいかわからない。「資料」の「日本美術史年表」の代わりに付けてほしかった。あと、細かいところだと刀身と刀装の各部名称が離れて配置されているのに癖を感じる。 単刀直入に言うと、とっかかりとして一通り読むにはちょうどよいけれど、参考資料として使うには形式が残念。特に参考文献と索引がほしかった。 余談だけれど 英訳 もあるので、日英の対応を取りたくなったら使えそう。