はい、まだ続きます(物理空間内だけで言説空間内でも方向音痴)。長くなってきたので、まずは前回までのあらすじ。
東京都写真美術館に行って、「イントゥ・ザ・ピクチャーズ」と「世界報道写真展2018」を見てきたら、どちらにもまるで西洋絵画ーーフェルメールのような写真が。「イントゥ・ザ・ピクチャーズ」で見た《夜明けと日没》は、19世紀後半に流行した、芸術性を指向する「ピクトリアリズム写真」の代表作家の作品だった(前々々回)。「世界報道写真展2018」で見た《Kiln Cave》が西洋絵画的なのは、いろいろと邪推もできるよね(前々回)。ところで、なんでこれらを見てフェルメールっぽいと感じたんだろうと思って調べてみたら、フェルメールの作品にはカメラ・オブスクラ(写真用カメラの前身)が投影し続ける像を写し取ったものもあったのではないか、という話が出てきておもしろい(前回)。果たして、これらのカルティエ=ブレッソンの関係は?
前回までを読んでいてそんな話だったっけ? と思う人はあまり気にしないで欲しい。自分もなんか記憶が歪んでいる気がするけれど、気にしていない。今回の話をするにあたって、こんな話をした体で進めると都合がよいので、どうか「どこかにこんなことも書いてあったんだろう」くらいの軽い気持ちでいて欲しい。過去に囚われてはいけない。
というわけで、今回は、『カルティエ=ブレッソン 二十世紀写真の言説空間』(以降、カルティエ=ブレッソン」)を読んで、写真、報道、芸術そしてメディア・リテラシーについて考えたことを書く。ようやくタイトルを八割まで回収できる気分。二割残っているのは、今回は「見せる側」のメディア・リテラシーまでで、「見る側」について触れないから。あ、今回の「見せる側」はプロなので、SNSで「見せる」ことにも触れてないや。なので、回収範囲は七割五分といったところか。
なお、タイトル「4/N (上)」の「(上)」は「4/N」が複数回に渡るという意味[1]。「上」は写真について書いて、報道について頭出しをするところまで。
カルティエ=ブレッソンという人を、まったく知らないあるいはこれなら見たことがあるという人(ときっとまた[2]忘れる自分)向けに、『カルティエ=ブレッソン』の一節を紹介する。
「芸術」写真となりえた特徴を、次の一文が端的に表している。
幾何学的な美しさという点がフェルメールっぽいと思わないでもないけれど、構図のバランスを取るのは当然と言えば当然だし、フェルメール(というか大抵の絵画作品)は時間をかけてレイアウトを調整しただろうから、「偶然性」とは縁遠いだろう。抜きん出
て好みなのは間違いないけれど、両者に共通しつつ他にはない固有の特徴というわけではなさそう。
当然、これだけではなくて、事件性のない街角の光景(《パリ、サン=ラザール駅》もそう)も撮っていたり、「写真を撮る瞬間こそがすべてなのであり、対象への強い執着はない」といわれるくらいの関心の偏りだったり、一枚の写真の独立性に強いこだわりを持っていたりしたのも、歴史的な文脈から離れるのに一役買っているように思う。
いくつか挙げた中で、選び抜いた一瞬、つまり一枚の写真の自律性へのこだわりというのは相当なものに思われる。なにしろ、ネガやコンタクトシート(デジタル写真でいうサムネイル一覧)を人目に触れさせたくないがため、財団だそうだ。どんな候補からなぜその一枚を選んだのかという付随的な情報の隠蔽が徹底している。写真集や展覧会というパッケージにおいてさえ、
むしろこちらの方がフェルメールと共通しているように思う。フェルメールも35作品が現存するだけで(真贋問題はここではさておく。書けるほど知らない)、デッサンなど制作過程に関する史料が残っていないそうだ。もっとも300年も経てば残っている方が珍しいという話はあろうが、さらに200年近く遡るダ・ヴィンチの手記は残っていたりするので、これだけの知名度にしては見つかる史料が少なそうだという印象はある。
写真の自立性へのこだわりは、「報道」写真にも関わってくる。まず「マグナム・フォト」設立の目的はこれを守るためでもあったし、「第8章 フォト・ルポルタージュの現在」で紹介されているドゥパルドンの問題意識にもつながるし、「見せる側」のメディア・リテラシーのいくつもの側面を浮かび上がらせてもくれる。
「マグナム・フォト」設立の目的を、このエントリィの前半で「グラフ雑誌に対して写真家の権利を守るため」と書いたけれど、この権利というのはまずは、同一性を保持する権利だったと思われる。次いで、キャプションはじめ一塊りに提示されるテキストに対する権利だろう。たとえば『ライフ』誌では写真家はレイアウト時のトリミングや写真を参照するテキストついての権限がなく、それは編集者に委ねられるそうだ。それから、撮影対象に関する権利だろう。分業時の契約内容による縛りもあるだろうし、現在は(少なくとも写真家にとって)改善されていると期待できろうだろうけれど、設立されたころのフォト・ジャーナリズムでは、メッセージありきで、それを前提に取材して、今でいう「やらせ」もごく当たり前だった模様。あれ、後発のテレビの話だけれど、取材者があらかじめ予定していた言質を取りたがっていただけだったとか、取材条件に出版前のチェックを要求したら取材自体とりやめになったとか、取材結果が歪曲して伝えられたとか、今でも聞くような……。ともあれ、撮影対象に編集による演出が入るのを避けるというのは、報道写真を見る側の期待にも近い。近くあって欲しい。見たいものを繰り返し見たいというニーズがどれだけ大きくても、それは報道写真とは別の何かが担って欲しい。
東京都写真美術館に行って、「イントゥ・ザ・ピクチャーズ」と「世界報道写真展2018」を見てきたら、どちらにもまるで西洋絵画ーーフェルメールのような写真が。「イントゥ・ザ・ピクチャーズ」で見た《夜明けと日没》は、19世紀後半に流行した、芸術性を指向する「ピクトリアリズム写真」の代表作家の作品だった(前々々回)。「世界報道写真展2018」で見た《Kiln Cave》が西洋絵画的なのは、いろいろと邪推もできるよね(前々回)。ところで、なんでこれらを見てフェルメールっぽいと感じたんだろうと思って調べてみたら、フェルメールの作品にはカメラ・オブスクラ(写真用カメラの前身)が投影し続ける像を写し取ったものもあったのではないか、という話が出てきておもしろい(前回)。果たして、これらのカルティエ=ブレッソンの関係は?
前回までを読んでいてそんな話だったっけ? と思う人はあまり気にしないで欲しい。自分もなんか記憶が歪んでいる気がするけれど、気にしていない。今回の話をするにあたって、こんな話をした体で進めると都合がよいので、どうか「どこかにこんなことも書いてあったんだろう」くらいの軽い気持ちでいて欲しい。過去に囚われてはいけない。
というわけで、今回は、『カルティエ=ブレッソン 二十世紀写真の言説空間』(以降、カルティエ=ブレッソン」)を読んで、写真、報道、芸術そしてメディア・リテラシーについて考えたことを書く。ようやくタイトルを八割まで回収できる気分。二割残っているのは、今回は「見せる側」のメディア・リテラシーまでで、「見る側」について触れないから。あ、今回の「見せる側」はプロなので、SNSで「見せる」ことにも触れてないや。なので、回収範囲は七割五分といったところか。
なお、タイトル「4/N (上)」の「(上)」は「4/N」が複数回に渡るという意味[1]。「上」は写真について書いて、報道について頭出しをするところまで。
◆
カルティエ=ブレッソンという人を、まったく知らないあるいはこれなら見たことがあるという人(ときっとまた[2]忘れる自分)向けに、『カルティエ=ブレッソン』の一節を紹介する。
カルティエ=ブレッソンが二十世紀最大の写真家であるとすればそれは、彼があまりにも写真というメディアの運命を左右する言説の変遷において、二十世紀全体にわたって、その中心にいたからなのである。この本を読むと「写真というメディアの運命を左右」というのが大げさに聞こえない。特に1947年は写真の歴史の特異点だったのではないかという気さえする。職業上は報道写真家でもありつつ、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で個展を開催し[3]、グラフ雑誌に対して写真家の権利を守るための写真家エージェンシー「マグナム・フォト」設立にも関係した(中心となって動いたのはロバート・キャパ)。
出典:『カルティエ=ブレッソン 二十世紀写真の言説空間』
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「芸術」写真となりえた特徴を、次の一文が端的に表している。
活動の初期から、偶然性によって捉えられる写真的な瞬間=構図と、それによって歴史的な文脈から切り離され、過去の出来事の記録としてではなく、つまり年表の上を流れる時間の一時点ではなく、それを超越した時間性というものを手に入れてきた。一文だからと読書メモから引っ張ってきたのだけれど、書いていて面映ゆかったのでざっくばらんに言い直すと、特定の事件の写真は時が経つにつれ事件と多くが過去のものになっていくけれど、彼の写真は構図の幾何学的な美しさのおかげで留まっているというようなことだろう。
幾何学的な美しさという点がフェルメールっぽいと思わないでもないけれど、構図のバランスを取るのは当然と言えば当然だし、フェルメール(というか大抵の絵画作品)は時間をかけてレイアウトを調整しただろうから、「偶然性」とは縁遠いだろう。抜きん出
て好みなのは間違いないけれど、両者に共通しつつ他にはない固有の特徴というわけではなさそう。
当然、これだけではなくて、事件性のない街角の光景(《パリ、サン=ラザール駅》もそう)も撮っていたり、「写真を撮る瞬間こそがすべてなのであり、対象への強い執着はない」といわれるくらいの関心の偏りだったり、一枚の写真の独立性に強いこだわりを持っていたりしたのも、歴史的な文脈から離れるのに一役買っているように思う。
いくつか挙げた中で、選び抜いた一瞬、つまり一枚の写真の自律性へのこだわりというのは相当なものに思われる。なにしろ、ネガやコンタクトシート(デジタル写真でいうサムネイル一覧)を人目に触れさせたくないがため、財団だそうだ。どんな候補からなぜその一枚を選んだのかという付随的な情報の隠蔽が徹底している。写真集や展覧会というパッケージにおいてさえ、
多くの場合は自分で写真の配列を決めず、編集者にわざわざ撮影年月や地域による分類を廃して組ませ、配列に意味が与えられるのを徹底して嫌っていたという。極まっている。
むしろこちらの方がフェルメールと共通しているように思う。フェルメールも35作品が現存するだけで(真贋問題はここではさておく。書けるほど知らない)、デッサンなど制作過程に関する史料が残っていないそうだ。もっとも300年も経てば残っている方が珍しいという話はあろうが、さらに200年近く遡るダ・ヴィンチの手記は残っていたりするので、これだけの知名度にしては見つかる史料が少なそうだという印象はある。
◆
写真の自立性へのこだわりは、「報道」写真にも関わってくる。まず「マグナム・フォト」設立の目的はこれを守るためでもあったし、「第8章 フォト・ルポルタージュの現在」で紹介されているドゥパルドンの問題意識にもつながるし、「見せる側」のメディア・リテラシーのいくつもの側面を浮かび上がらせてもくれる。
「マグナム・フォト」設立の目的を、このエントリィの前半で「グラフ雑誌に対して写真家の権利を守るため」と書いたけれど、この権利というのはまずは、同一性を保持する権利だったと思われる。次いで、キャプションはじめ一塊りに提示されるテキストに対する権利だろう。たとえば『ライフ』誌では写真家はレイアウト時のトリミングや写真を参照するテキストついての権限がなく、それは編集者に委ねられるそうだ。それから、撮影対象に関する権利だろう。分業時の契約内容による縛りもあるだろうし、現在は(少なくとも写真家にとって)改善されていると期待できろうだろうけれど、設立されたころのフォト・ジャーナリズムでは、メッセージありきで、それを前提に取材して、今でいう「やらせ」もごく当たり前だった模様。あれ、後発のテレビの話だけれど、取材者があらかじめ予定していた言質を取りたがっていただけだったとか、取材条件に出版前のチェックを要求したら取材自体とりやめになったとか、取材結果が歪曲して伝えられたとか、今でも聞くような……。ともあれ、撮影対象に編集による演出が入るのを避けるというのは、報道写真を見る側の期待にも近い。近くあって欲しい。見たいものを繰り返し見たいというニーズがどれだけ大きくても、それは報道写真とは別の何かが担って欲しい。
[1] 〈境界線上のホライゾン〉シリーズへのリスペクト。
[2] 『フォト=リテラシー 報道写真と読む倫理』で一章まるまる費やされていたのを読んだのにキレイサッパリ忘れていて、「イントゥ・ザ・ピクチャーズ」で《パリ、サンラザール駅》を見て、「無加工神話があったけれど実はトリミングだった作品だ」という下世話な思い出し方をした。いくらなんでもこれだけ書いたら忘れないと思う向きもあろうが、このブログを振り返ると書いた記憶がない文章もあるので、油断ならない。
[3] 企画当初は、戦争中に亡くなったと思われれていて、「回顧展」になるはずだったのが、生存が判明して本人による個展になった。
[2] 『フォト=リテラシー 報道写真と読む倫理』で一章まるまる費やされていたのを読んだのにキレイサッパリ忘れていて、「イントゥ・ザ・ピクチャーズ」で《パリ、サンラザール駅》を見て、「無加工神話があったけれど実はトリミングだった作品だ」という下世話な思い出し方をした。いくらなんでもこれだけ書いたら忘れないと思う向きもあろうが、このブログを振り返ると書いた記憶がない文章もあるので、油断ならない。
[3] 企画当初は、戦争中に亡くなったと思われれていて、「回顧展」になるはずだったのが、生存が判明して本人による個展になった。