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4月, 2018の投稿を表示しています

花と穴 - フラワードリーム2018

フラワードリーム2018のチケットをいただいので行ってきた。せっかくなので写真を何枚か。 金魚鉢の金魚みたい。 円と螺旋が交錯していてフラクタル的。 重なる弧。弧を裂き咲く花。 茎が立てて敷き詰められている。微妙な色の違いが利用されたグラデーションが美しい。でも、制作作業を考えると気が遠くなる。米粒を並べるどころではない繊細さ。いわゆる「蓮コラ」が苦手な人は、これも苦手かも。 ところで、こういうのにひどい恐怖を感じる症状を集合体恐怖症(トライフォビア)と呼ぶそうな [1] 。だからなんだというワケでもないけれど、ネットスラングを知らなそうな人に説明するとき呼び方があるなら便利だな、くらい。 枝で人間の脚部を組んでいる。自分はこちらの方が恐い。これを見て、また 『アナイアレイション -全滅領域-』 の映像が頭をよぎって、人間の脚部が枝と化したのではないかと想像してしまう。 [1] ブツブツ恐怖症の原因に新説、トライポフォビア | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

アスパラガス/グラス/マグ

「身の回りの小物を探すのが楽しくなってきた。ハマりそう。というわけで写真を交えて。流行りのインスタ映え感を出すために、正方形で強めにレタッチしてみたぜ」 「インスタのアカウント放置して何をやっているでしょうか、この人は」 ◇ This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 「自らの蔦に絡むアスパラガス」 「正確にはアスパラガス・スマイラックスです」 「ツッコミそっちか」(ウロボロスの名前を出して欲しかった)」 「苔のときと同じ轍を踏まないよう気をつけてくださいね」 「あれは悲しい事故だった……」 「焦ると周りが見えなくなっちゃいますからね」 「苔と比べると、スマイラックスは変化が目に見えるのがおもしろいね」 「すっかり草食系ですね」 「食べません」 「失礼、ボタニカルでしたね。ええ、うっかり。もちろん知っていましたとも」 (冗談だったんだか照れ隠しなんだか) ◇ This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 「グラスタンブラー。泡はデザインじゃなくて、炭酸水のね」 「チャチャとカヤンバのを爆発飛散させてしまいましたもんね……」 「ガラスが爆発なんかするか。破片は飛び散ったけれど……」 「共振でしますよ、爆発」 「こわ」 「薄い色が炭酸と相まって涼しげですね」 「持った感じも手にしっくり馴染むので、今度は落とさないぞっと」 (やっぱり引きずってる……) ◇ This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 「最後の写真はマグカップ」 「あれ、いつ割ったんですか?」 「割ってまーせーんー」 「え、じゃあオチは?」 「いつからそんなに笑いに厳しく」 「冗談ですよ」 「見た目が好みなのと、かすかにざらざらした手触りが気持ちよくて増やしてしまった。」(目が笑っていなかったのは見なかったことにしつつ) 「内側は違う色なんですね」 「うん、紺色。滑らかで口あたりいいよ。ホットコーヒーを淹れて包むように持って飲むと、自然と落ち着ける」 「当たりでしたね」 「口あたりは店頭でも試せないから、指で苦手なののフィルタリングするのがせ

鯉コレ - こいのぼりなう!

『ビュールレ・コレクション』を見に行ったら、 『こいのぼりなう!』 というインスタレーションをやっていたので覗いてみた。 無料だからともののついでに入ってみるもので、心地よい空間が広がっていた。大部屋の中空を、抽象化されたこいのぼりが弧を描いて泳いでいる。床には例の「人をダメにするクッション」が飛び石のように並べられているから、深く腰掛けて(あるいは思い切って寝そべって)こいのぼりをゆったりと仰ぎ見られる。 頭上をかすめていくよう。 下の方を泳いでいるこいのぼりの中をのぞくこともできる。ヤッホーと言いたくなる (言わないけれど。土管じゃないから響かないし)。同じアングルで何枚か撮っている中に、たまたま通りがかった人の頭がぴったり収まっているのがあって、おもしろかったのだけれど自重(撮影・SNSへの投稿推奨の空間とは言え)。 複数の光源が落とす影もおもしろい。 こいのぼりを導き光の中に消えゆく御遣いと、それを見送る門番 (ではない)。 見るだけではなく最奥のパーティションの向こうでは、色とりどりのこいのぼりに使われている素材を触ることができる。素材と手触りの関係には軽いこだわりがあるのでうれしい。こだわりといっても百均やホームセンタで見かける、レンガや本棚の写真がプリントされたツルツルのリメイクシートが気に入らないというだけなんだけれど。見た目だけで羊頭狗肉にさえ至っていないのも気に入らないし、立体感を出すために印刷された影が動かないのも気に入らない。CGテクスチャだって光源に基づいて影が処理されているというのに。そういう理由なので、触らない場所に影が落ちないタイプが使われているのは、ほとんど気にしない程度のこだわり。 被害妄想めいているけれど「視覚、聴覚、味覚、嗅覚はそれぞれ絵、音楽、料理、香水と単独でコンテンツが存在するけれど、触覚ってなんかあったっけ。触覚って軽んじられてない?」と考えていたら、触覚は単体で知覚困難だと思い当たったり、 『特別展「人体」』 で見たペンフィールドのホムンクルスを思い出して触覚が敏感なところを思い出してみたり、そう言えば寝具は目を閉じて使うから触覚が重要だと気がついたり、寝具だけでなくチェアー・ソファーも見映えの良さだけでなく座り心地が重視されるなときて、あ! この展示のクッションのカバーもいろいろな布だっ

絵コレ - 至上の印象派展 ビュールレ・コレクション

先日、国立新美術館に行って、 『至上の印象派展 ビュールレ・コレクション』 を見てきた。会期は5/7まで。ゴールデンウィークに入って、混雑が増す前に行けてよかった。それでも結構な人出だったけれど。 どのセクションも気になる作品があって、充実した時間を過ごせた。途中で疲れてしまったくらい。以下、各セクションで印象が強かった作品一つ二つについての覚書あるいは感想。 第1章 肖像画 エドガー・ドガの「ピアノの前のカミュ夫人」が色っぽかった。落ち着いた雰囲気なんだけれど、それが私的な雰囲気を醸し出していて下衆な勘繰りをしてしまう。 第2章 ヨーロッパの都市 ポール・シニャックの「ジュデッカ運が、ベネツィア、朝(サンタ・マリア・デッラ・サルーケ聖堂)が輝いて見えた。点描というよりタイル画を連想させる筆の跡がおもしろい。ポストカードを買ったのだけれど、白が抑えられていたのが残念。記憶よりずっと暗く見える。レタッチして軽く白トビさせたいくらい。 第3章 19世紀のフランス絵画 では、カミーユ・コローの「読書する少女」が愛らしかった。おそらく窓際。日なたで膝の上に小さな本を載せ、軽く俯いている姿がとても気持ちよさそう。もう1点、エドゥアール・マネの「燕」にも脚を止めさせられた。一見のどかな田園風景。でも、ひとつひとつ見ていくと、うすい雲、地面の日傘、低空を飛ぶ燕。どれも雨を予感させる。そう思ってみると、2人の女性のドレスが白と黒――無彩色なのも不安を誘う。 第4章 印象派の風景――マネ、モネ、ピサロ、シスレー ではカミーユ・ピサロの「オニーからポントワーズへ向かう道――霜」が静かな雰囲気で好み。家の並びと轍?の跡が作る消失点に視線が惹き寄せられる(一点透視法好き)。 第5章 印象派の人物――ドガとルノワール 印相が強かったのは、エドガー・ドガの「控え室の子たち」。画面奥から広がる逆光によって、折り重なった薄布――チュチュに映る脚のシルエットが、意外なくらいしっかりしていて生々しい。ところで、この視点だと画家は控え室のさらに奥、暗がりにいるはず。窃視感があって、ゾクゾクするね!(俗っぽい)。 第6章 ポール・セザンヌ 「パレットを持つ自画像」と「庭師ヴァリエ(老庭師)」がよかった。「パレットを持つ自画像」は、その絵に使われている色が載ったパレットとカンバスの裏面が描か

ものぐさのてなぐさみ - 人体のデッサン技法

『人体のデッサン技法』を見ながら、暇を見つけてはスケッチブックに描いてみている。 『特別展「人体」』 で興味を持ったから、というわけではなくて実はこちらを買ったのが先。元を辿れば動機は一つ。落書きしているときに肉感的にしたくなったという欲望。 「一段一段手順をふんで指導します」という触れ込みなので、最初から順に練習することが想定されているのだろうけれど、描いていておもしろそうなところだけ拾い描き。変に気負うと疲れて嫌になってしまうので、気楽に気楽に。 そんわけでやる気が出るところだけ、本書が示すポイントを意識して何回か描いている。如実に線が減ると、上達した気分に浸れて気持ちがいい。いざ応用しようとしたら、また四苦八苦するのだろうけれど、それはそのときに。 全体的に時代がかった雰囲気なのは、ロングセラーだからこそか。1976年の初版以来、1987年の改訂を経て2017年にも第31刷と版を重ねている。もとより、そのまま描き写すつもりもないので、アバウトに違和感ない感じを目指しつつ。

帰結は九穴 - 特別展「人体」

国立科学博物館に行って、 特別展「人体」 を見てきた。常設展もこの機会にと思っていたけれど、特別展に長居させられたのでB1Fと1Fだけ眺めて帰宅。 最近、落書きしていると肉感的にしたいと思うことがあるので、骨格や筋肉をマジマジと観察していたり、自分の体の中にもこんな内蔵が入っているのだと感慨に耽っていたりしたら、あっと言う間。あと、帰ってストレッチしているときにも筋肉を意識してしまう。 💀 帰りに道すがら、展示物としての人体について思いを巡らせていた。まさに本展示のテーマそのものなんだけれど、きっと随分ソフィストケイトされたから、多くの人が大手を振って来館しているのだろうと思う。本展でもっともショッキングなのは人間の脳や内臓の標本だったけれど、これも見たい人の目にしか入らないように配慮されていた。 過去に目をやると、手術は有料公開されていたし、見世物小屋では人間も見せられていたし、公開処刑には見物人が集まっていたた。今ではどれも興味本位や退屈しのぎで見るようなものではなくなっている。このあたりの流れは 『アナトミカル・ヴィーナス』 でも述べられていたっけ。「彼女」もいつか見てみたいもの。本展のテーマに沿っているのだから、どうにか借りてくれていれば。解剖人形はあったし、解剖学的に正確な絵画もあったし。無茶か。 でもって、本展の終盤はにアート寄りのゾーンもある。体内の情報ネットワークをインスタレーション風に見せていたり (下の写真)、テレビで使われた模型などが置かれていたり、体内の電子顕微鏡画像を淡く美しく着色した写真作品が壁にかかっていたりする。 最初のゾーンにあった、昔は画家が解剖画を描いていたというキャプションと呼応を感じる。このあとがDNAつまり情報のゾーンなので、抽象度の高いサブテーマを後半に置いた結果かもしれない。あるいはキレイなものを見せてスッキリお帰りいただこうという魂胆か (邪推)。 💀 個別の展示物からピックアップすると、ダ・ヴィンチ手稿の鏡文字を見られたのもうれしかった。同時にFGO (Fate/Grand Order) のせいでこんな貴重品を素材と交換していたのか慄きもしたり。それから内臓や骨が脳を介さずに血液をメディアとして情報を交換しているという知見に興味津々、吸血鬼ものの考証に使えそう。 💀 もう随

転々として点々 - ブロックロディア ドットパッド No.12【ブラック】

メモ帳を、Rhodiaの方眼罫からドットパッドに乗り換えた。 サイズはNo.12。8.5x12cm。自分の手のひら大。少し手狭に感じることもあるけれど、ワンサイズ上げてNo.16にすると14.8x21cmにもなってしまう。この大きさは手に余る。置き場所にも困る。 色は黒。オレンジの方がかわいいけれど、ドットがグレーなので黒の方がモノトーンで統一されていて落ち着く。特に意識していなかったけれど、PC周りの小物がモノトーン中心になりつつあるので、流れに身を任せておく。 方眼罫からドットに変えたのは、罫線がうるさいのと、そもそも方眼に合わせて書かないから。書類や書き取りじゃ無いんだから、字形と字間を好きにさせてくれ。ドットなら合わせて書かなくても気にならないし、色も薄く。まったくの白紙でもいい (MOLESKINEはそうしている) けれど、これくらい控え目なら好印象。 方眼罫のオレンジや黒や他メーカのなど渡り歩いてきたけれど、これに落ち着きそう。難点は、置いている店が少なく手に入れづらいところ。今回、試しに1冊買ってみただけだから、通販で確保しておこう。 あ、唐突に カバー がもうずっと行方不明なの思い出した。ま、いいか。当時は持ち歩いたけれど、今は置きっぱなしなので、切ったらすぐゴミ箱送りにできるから。 そう言えば、よく切り取りに失敗する。何かコツがあるんだろうか?

SONY ワイヤレスポータブルスピーカー (SRS-XB10 Y)

Sonyの防水Bluetoothスピーカー (SRS-XB10 Y) を使い始めた。色は黄色。お風呂でのんびりするときにいいかなって。 問題は、だいたいシャワーで済ませてしまい、バスタブにお湯を溜めてゆっくり浸かることが滅多にないことだ。 Anker SoundCore も健在だし早まったなあ、自分。このままだとあまり使わないぞ。 音も見た目も異なるので、気分でも使い分けよかな。 音に関しては、こちらの方が重低音が強調される印象。特に縦置きすると曲によってはちょっとくどい。横置きにすることで、抑え目に調整できるのは好印象。あと地味なところでは、音量の刻み幅が小さいのが嬉しい。 見た目に関しては、Anker SoundCoreが黒くて四角くて横に長いので落ち着いた雰囲気なのに対して、こちらは黄色くて丸くてずんぐりしているのでポップな雰囲気。かぶらないよう、明るい色を選んだのは先見の明があったと思う (あったら使い分けで悩んでいないことには目をつぶる)。

流れよ我が声、と声優は言った - 暗黒声優

短篇集『最後にして最初のアイドル』の「暗黒声優」を読んだ。 他2作の収録作品 「最後にして最初のアイドル」 と 「エヴォリューションがーるず」 は、短篇版で読んだので割愛。 アイドル、ソシャゲと来て次は声優。繰り広げられるのはやはり超展開。最後に配置されているからか、最初からフルスロットル。グロテスクなのは変わりないけれど、ここでは最初からそういうものなので、ノンブレーキで突き進んでいく。主人公と後輩の性格のおかげで、軽快ですらある。ただし、やっていることは酷い。女性声優2人で、宇宙を股に掛けて、ボニー&クライド。雰囲気を一言で表すとこんな感じ。 自分のお気に入りは「エボリューションがーるず」。元ネタへの親しみ度合いが大きいのもあるかもしれないけれど、SF要素に対して妄想がもっともはかどったのが、これだった。 ところで、なんでも長篇の構想もあるとか。短篇でこれなのに長篇になったら一体どうなってしまうんだろう。期待と不安というより恐怖感が入り交じる。もはや恐い物見たさ。

Whisper of Whiskers - 機龍警察 狼眼殺手

『機龍警察 狼眼殺手』を読んだ。これで長篇も5作目。 物語の中心となるのは、技術主任の鈴石警部補。突入要員の一人で、彼女とは因縁浅からぬライザ警部も、 『自爆条項』 で過去と折り合いをつけたと見えたけれど、ふたたび過去の亡霊と対峙する。 技術主任が中心なだけあって、今回の事件ではパワードスーツ・ 龍機兵 ( ドラグーン ) が目立った活躍を見せない。代わりというわけではないだろうけれど、その仕組みに接近する。全貌は未だ不明だけれど、シリーズの転機となる感触。 最初はボチボチと読み始めたのだけれど、事件を追う中で、シリーズを通して暗躍する香港の裏組織・ 和義幇 ( フーイーバン ) と目的が重なっていることが判明し始めるあたりから、加速度的におもしろくなって一気に読み進めてしまった。 個人も組織もメカもとてんこ盛りなのにエンターテインメント性も高いうえに、巻を重ねてもその一向に密度が落ちる気配がない。ほんと、先々が楽しみなシリーズ。完結まで死ねない。

蜂退治 - ヴィジランテ4

『ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS- 4』を読んだ。 ポップがデパート屋上で華やかなライブを繰り広げるのと並行し、ナックルダスターは路地裏でついに蜂須賀と対峙。1巻ラストで蜂須賀に連れていかれたポップの追っかけ――テルオ君も再登場。そしてクロウラーは影が薄い。この巻に限ればテルオ君より薄い。主人公らしくはないけれど、彼らしくはある。 巻が進むにつれ、ポップがどんどん可愛く見えてくる。ゲリラライブを繰り返すくらいだから、度胸があって歌がうまいものだと思い込んでいたら、舞台裏では気弱な面があったり歌が「相変わらずヘタクソだし」と言われたり(「なのに…可愛くてズルい」と続くのだけれど)と、アイドルしている。 しかし、今回ばかりはナックルダスターが主役と言っても過言ではない(本当に)。「ただの頑丈なオッサン」じゃなかった! 2巻のスタンダール戦で「一線を踏み越え」たのが、蜂須賀との対峙でも利いてくる。熱い。 クロウラーが 自警団 ( ヴィジランテ ) になったのは、ナックルダスターに脅され――もとい促されてのことだけれど、彼の目的が達成されたように見える。自警団活動はどうなるんだろう。次はいよいよ蜂須賀をバイト 敵 ( ヴィラン ) として遣っていた黒幕が登場しそうなのだけれど。今後、どう展開するか妄想が膨らむ。ナックルダスターがこれで活動を止めて、ポップはライブがきっかけでブレイクして活動する暇がなくなって、クロウラーが孤軍奮闘することになったりしたりして。で、ピンチに二人が駆けつけてくれる、と。ベタだけどそんな展開も燃える。 気になるのは、その黒幕。もしかして、本編開始時点で引退していた彼 ? 彼には薬物トリガーをばらまく動機がある 。その個性も、ナックルダスターとの戦闘で見せた蜂須賀の能力 と類似している。何より、この巻の最後に蜂を回収した男の台詞!  もう彼だとしか考えられない。続きがますます楽しみだ。 ところで、これだけ本編と絡むなら、本編はこちらに絡まないのだろうか。トリガーなんか壊理の個性と対照的な効果だし、ミリオのカムバックの助けになったりしないかな。

壊理と治崎 - 僕のヒーローアカデミア 18

『僕のヒーローアカデミア 18』を読んだ。 死穢八斎會編が完結。治崎が掘り下げられたけれど、動機にも手段にも破綻が見えて一歩引いて見てしまう。個性も分解+修復と相反しているし、意図的なのかな。 以下、気がついた破綻。ネタバレを含むので、既読者向け。 続きを読む 破綻を挙げると、 組長に拾われた恩を返したいと言いつつ、組長を植物状態に追いやっている (結果論だが、目的を達したら修復するつもりだったのに個性を奪われたので、それもできなくなってしまった)。 恩返しのために死穢八斎會を再興させようとしているけれど、手段が組長の意に反している。 死穢八斎會を含めヤクザが衰退したのは敵の隆盛が原因なおに、敵名を名乗ったり敵にしか見えない。 敵だけでなくヒーローも憎みんでいるのに、再興手段が壊理の個性を利用した薬のヒーロー・敵双方との取引 (少なくとも組長にはそう語っている)。 個性因子を消滅させられるのだから、「全人類から個性を消し去る。そうすれば死穢八斎會が自力でのし上がれる」くらいの規模と矜恃を見せて欲しかった。下準備が完全に整って自分の個性も消して、そこからが本当の勝負みたいな展開を見たかったなあ。 以上、ネタバレ終了。 結果、敵(ヴィラン)連合の踏み台として目に映ってしまい、悪役としての魅力が見えない。なんだか残念。後に予想も着かない形で、本編が伏線になっていたと発覚したりしないかな。 話は変わるけれど、p.11左下、デクの背負われた壊理のコマが描きかけに見えるのが気懸かり。TVアニメはじめ劇場版も決まったりとマンガ以外にも多忙そうなので老婆心が湧いてくる。リカバリーガールが側にいるわけじゃないのだから、と。

禁忌の菌子 - FUNGI-菌類小説選集 第Iコロニー

『FUNGI-菌類小説選集 第Iコロニー』を読んだ。菌類という切り口の物珍しさにつられた。一口に菌類と言ってもいろいろあるけれど、主に扱われているのはキノコ 収録されているのは11作品。ちなみに8番目に収録されている「屍口と胞子鼻」の作者は、『全滅領域』のジェフ・ヴァンダミア。 「菌糸」 「白い手」 「甘きトリュフの娘」 「咲き残りのサルビア」 「パルテンの巡礼者」 「真夜中のマッシュランプ」 「ラウル・クム(知られざる恐怖)」 「屍口と胞子鼻」 「山羊嫁」 「タビー・マクマンガス、真菌デブっちょ」 「野生のキノコ」 ホラーありファンタジーありアクションありと、様々なキノコ小説を味わえる。風変わりなところでは、「白い手」が断片的な偽史を書き連ねていくスタイルだった。進み方は淡々としているけれど、背後の歴史を想像させてくれる。 これらの作品を読んで感じたのは、菌類によるボディ・ホラー (身体の変容を扱うホラー作品) が引き起こす空恐ろしさ。総毛立つものがある。生き物に寄生する菌類が実在するから、そこから人間に寄生する可能性に現実味を感じてしまう。狂牛病や鳥インフルエンザが人に感染するように、ガの幼虫に生える冬虫夏草やセミの幼虫に生えるセミタケがヒトを菌床とする可能性に。あんな風に生えたりはしないけれど、真菌症はあるわけだし。 余談だけれど、表紙がヒエロニムス・ボスの「樹木人間」を彷彿とさせる。

迷い香 - 図書迷宮

『図書迷宮』を読んだ。「問題作」という触れ込みにつられて。 十分に楽しめたけれど、「問題作」というと言い過ぎなような。この手のネタ だと『■■■■■■ 』が強烈だったので、つい比較してしまう。有名所だと■■■■の■■■■・■■■ とか。 (ネタバレ防止のため本書のスタイルで伏せ字にしてみた)。 スタイルと言えば、地の文が二人称なのは珍しい。奇を衒っただけではなくてちゃんと意味がある。もの珍しいだけでなくなるほどと思わされた。 500ページと厚めなのに、終盤が駆け足に感じられるのが残念。前半は冗長さを覚えるくらいだったので殊更に。 でも考え直してみれば、ヒロインは吸血鬼だしキーアイテムは本だし好きなもの全部乗せしたうえで、この手のネタが仕込まれたライトノベルが出てきたのはうれしい (タイトルも漢字のみで短いし)。 本屋に行くとテンプレものっぽいのが目立つけれど、こういう変わったのがもっといろいろ出てきて欲しい。

住処の見方 - 世界の摩訶不思議な家

Netflixオリジナルのドキュメンタリー作品『世界の摩訶不思議な家』を見た。 建築家のピアーズと女優のキャロラインが世界各地のユニークな家を訪ねる番組。全4エピソード構成で、大まかな地形で分けられている。順に、山間、森林、沿岸、地下。 特に印象に残っているのが、エピソード4の地下枠で紹介された家々。地下と聞いて洞窟の中みたいなのをイメージしていたけれど、全然そんなことはなくて、半地下といった感じの家が多かった。指輪物語のホビットの家のようでファンタジック。一方で内装は現代的だったりして、そのギャップがおもしろい。表から見ると地面に埋まっているのに、裏は斜面に沿ったガラス張りで日当たり抜群の家もあったりした。高層建築の屋上緑化が過剰発達し、やがて互いに行き来出るようになり、ついには外殻のように地表を覆うという飛躍した妄想も楽しい。 家はもちろん、2人の訪問者も楽しませてくれた。ピアーズは建築家だからできあがった家について解説してくれる一方で、キャロラインは生活するときの視点(たとえば、トイレはどこ?)で見たり、家主や設計者から設計や建築にまつわるエピソードを引き出してくれる。苦労談も神妙になったりせず軽妙になっていて、とても聞き上手に見えた。 各エピソード自体は1時間あるけれど、その中で3~4軒の家を紹介するから、15~20分単位で見られるのもよい。手軽。 ドキュメンタリーって、演出がやけに仰々しかったり困難に立ち向かうところにスポットライトが当たっていたる印象があって、それによく抵抗を覚えるのだけれど、これはすんなり入っていけた。基本的にいいところを挙げてくれていたからかな。

パーティー - CITY 4

『CITY 4』を読んだ。 巻頭3ページにわたる登場人物紹介にずらっと並んださまが壮観だと思っていたら、p.150~157の見開き×4がもっとすごいことになっていた。一堂に会した登場人物たちがめいめいに振る舞っていて、まさに街の縮図。 前巻からますますスピード感が増しているところに、ウォーリーがいてもおかしくない密度の見開きが飛び込んでくるものだから、情報量に圧倒されてしまう。

王の資格 - バーフバリ2 王の凱旋

『バーフバリ2 王の凱旋』(原題 "Baahubali 2: The Conclusion")を見た。 前作『バーフバリ 伝説誕生』はいまいち入り込めなかったのだけれど、こちらは気持ち良く楽しめた。続き物の2本の映画というより、2本で1つの作品といった構成になっていると思う。盛り上がりのピークがこちらに偏っている。アクションの外連味も前作以上に利いていた。 いい意味で意外だったのが、物語の中心が、マヒシュマティ王国の外で育ったマヘンドラ・バーフバリではなく、その父アマレンドラ・バーフバリだったこと。サブタイトル「伝説誕生」と「王の凱旋」にミスリードされた気がする。上映時間の大半がアマレンドラ・バーフバリの生涯を描くことに費やされていた。ただ、両者を同じ人が演じているし、作中でも両者を同一視するセリフがあったし、輪廻思想の死生観に基づいているんだろうな、と想像する。 前半ではひたすら聖人君子だったバーフバリも、己の信じる正義や愛するデーヴァセーナのためには苛烈さを発揮するところが描かれたのもよかった。そのデーヴァセーナから過激なのだけれど。大国マヒシュマティ王国からの償還を熨斗を付けて叩き返すし、体を触ろうとしてきた男の指を切り落とすし。このあたりは、二面性を持つシヴァ神のイメージか。 そして、彼女から男の指を切り落とした経緯を聞いたバーフバリはこう返す。堪らない。 そなたが悪い 切り落とすべきは男の指ではない 首だ 出典: バーフバリ2 王の凱旋

サーガ閉幕 - 旧神郷エリシア (邪神王クトゥルー煌臨! )

『旧神郷エリシア (邪神王クトゥルー煌臨! )』を読んだ。 〈タイタス・クロウ・サーガ〉、これにて完結。同時に、"DreamLands"シリーズ、"Primal Land"シリーズとのクロスオーバー作品でもあるらしい。現時点ではじれもも未邦訳だが、前者は企画されているとのこと。本シリーズが完結して一つ楽しみが減ったと思ったら、また増えた。 前々作から姿を見せていなかったタイタス・クロウも満を持して再登場。と言っても本作で中心となるのは彼の友人アンリ-ローラン・ド・マリニー。正直に言うと最初は戸惑った。けれど、読み進めるうちに引き込まれたし、読み終えて何の不満もない。彼だったからこそ、これだけ波瀾に満ち溢れた旅を描けたのだろうとさえ思う。かのタイタス・クロウが出張れる事態だったら、危なげなく解決されてしまう。 彼の旅の終点も、シリーズ完結巻に相応しい幕引きだった。移動手段が、空間だけでなく時間さえも駆け巡る時空往還機なのだからどこへだって行ける。クロスオーバーが実現したのも、この万能移動装置のおかげだろう。そのうえ、攻撃力も防御力も クトゥルー眷属邪神群 ( Cthulhu Cycle Deities ) でさえ手に負いかねるレベル。 わけても行き着いた結末の壮大さよ。クトゥルー眷属邪神群と(いったんの)決着があんな形で締め括られるなんて。

月は出ているか - ボレアの妖月

『ボレアの妖月』を読んだ。〈タイタス・クロウ・サーガ〉第5作。 前作『風神の邪教』でシルバーハットが訪れた惑星ボレアに今度は時空往還機に乗ったド・マリニーが不時着。風の邪神イタカに奪われた時空往還機を取り戻すため、ボレアの衛星ヌミノスとドロモスを冒険する。 またしてもタイタス・クロウ不在。彼が登場すると何もかもトントン拍子に片付けてしまいそうだから、やむを得ないか。 最後にもうちょっと盛り上がりが欲しかった。イタカとは前作で一度戦っているせいか、描写があっさり目。代わりにドロモスで邪悪な神官と対峙するのだけれど、ぽっと出の感が否めない。ボレア、ヌミノスの道中がおもしろくて期待させてくれただけに、拍子抜けした気持ちもひとしお。 ともあれ、次の『旧神郷エリシア』でシリーズ完結。さすがにタイタス・クロウも出てきて、大いに盛り上げてくれるだろう。

No Border - Jack White/Boarding House Reach

Jack Whiteの "Boarding House Reach" を聴いている。聴いているのだけれど、難しいな今回のアルバムは。 ジャンルレスにもほどがあって、ちょっとついていけない感じ。聴いていておもしろいはおもしろいのだけれど、目まぐるしい変化に疲れてしまう。何て言うか、才気煥発? ロックなギターだったりジャジーだったりラップがあったり、エレクトロニカもあればアフリカ的なビートもあったりする。弾き語りっぽいパートさえある。最後にはクラシックまで鳴り響く。 White Stripes時代でいうと"Elephant"から"Get Behind Me Satan"になって急にギターが (相対的に) 目立たなくなったのを思い出しはするけれど、そのときの比じゃない。 じっくり腰を据えて聴くと、また印象が変わってくる予感はあるので、もう少し聴き込んでみるつもり。

アフリカン・リズム - Black Panther: The Album, Black Origami, The African Beat

『ブラックパンサー』を見て、"Black Panther: The Album" を聴き始めたのを皮切りに、"Black Origami" とか "The African Beat" なんかを聴き始めた。どれもアフリカ的なリズムが楽しい。 "Black Panther: The Album" はKendrick Lamarプロデュースのヒップホップ・アルバム。作中で使われた曲も入っているけれど、映画をテーマにして制作された曲の方が多い [1] 。エネルギッシュでいい感じ。リードシングルの"All The Stars" がお気に入り。 "Black Origami"はNMEだかRolling Stonesだかの2017年の50枚だか100枚 (曖昧) で見かけて、おもしろいタイトルだったので聴いてみたJlinというアーティストの2ndアルバム。いわゆるEDM系。あとから知ったのだけれど、ジューク/フットワークと呼ばれているらしい。癖になるリズムへの没入感が深くて、魂が抜けてしまいそう。 "The African Beat"は (多分) ジャズ。アーティストはArt Blakey and The Afro-Drum Ensemble。Art Blakeyは『坂道のアポロン』で使われていた"Moanin'"がきっかけで知っていたけれど、このアルバムを知ったのは偶然。「アフリカのリズムって、アフロビートとかアフリカンビートって言うんじゃなかったっけ?」(曖昧) と検索していたら出てきた [2] 。ジャズドラムと打楽器を含む民族楽器の共演がおもしろい。 振り返ると、少なくとも UAの『JaPo』 のときから、気に入ってはいたんだよなあ。こうやっていろいろ探したのは今回が初めてだけれど。 ──その発見がUAさんの中でリズム回帰につながり、「JaPo」のサウンドにも反映されていったんでしょうか? 今にして思えば、きっとそうなんだろうね。普段聴いてる音楽もアフリカ的なポリフォニーやポリリズムを感じさせるものがぐっと増えたし。 引用元: UA「JaPo」インタビュー (1/4) - 音楽ナタリー

サクラ/ユキミソウ/ナノハナ/チューリップ

「最近撮った写真から、桜とユキミソウ、菜の花それからチューリップ」 This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0 . 「桜はあまり撮っていないんですね」 「撮ったけれどまだ整理が追いついていないのでなー」 「このあたりだと桜の時期がそろそろ終わりそうなのですが」 「咲いてるうちは実物見ればいいじゃん?」 「言いくるめようとしてません?」

陥落の歓楽 - エンド・オブ・ホワイトハウス、エンド・オブ・キングダム

『エンド・オブ・ホワイトハウス』と、その続編『エンド・オブ・キングダム』を見た。原題はそれぞれ、"Olympus has down", "London has down"。Olympus/オリンパス=ホワイトハウスというのはピンと来ないから変え方に納得。二作目は『エンド・オブ・ロンドン』でもよくないかな。キングダムだと王国ということくらいしか伝わってこない。 アクション満載で、いい意味でポップコーン・ムービー。「エンド・オブ・~」なんてまた大袈裟な。どうせ煽り文句でしょうと思ったら、ちゃんと陥落させられたので逆に意外だった。主人公はシークレット・サービス。一作目はホワイトハウスに捕らえられた大統領の救出ミッション。二作目はロンドンからの脱出ミッション (やっぱり最後には捕まって救出することになるけれど)。 どちらかと言えば、二作目の方が好み。まずスケールが大きい。バッキンガム宮殿前で銃撃戦が繰り広げられたかと思えば、ロンドン橋が崩れ落ち (ローンドン橋落ちた♪ のメロディーが頭の中で再生される)、市民を屋内に誘導するために空襲警報が鳴り響く (コニー・ウィリスの『ブラックアウト』と『オール・クリア』を思い出す)。アクションのバリエーションも豊富になっている。市街地での銃撃戦にカーチェイス、それから潜伏場所への潜入。 あと、敵にきっちりトドメを刺していってくれるので後腐れがなくてよい。気絶させただけで銃も奪わずに敵を残していかれると、映画などではそういうものだと頭ではわかっていても、無性に気になる。そいつが思ったより早く意識を取り戻して背後から撃たれる可能性を考えたりしてしまう。そういうお約束をネタにしたコメディなんかあったりして。 設定や脚本へのツッコミどころは、エンターテインメント重視の作品だからと流せるのだけれど。フールプルーフが不十分 だったり、脱出の最中に敵にから奪った通信機で宣戦布告し、あまつさえ大統領も一緒だと宣言してしまったり。大統領も「言ってやれ」とノリノリなのには、さすがに笑ってしまった。いやいや、所在をバラすなよ。 最後に余談かつ本作に限らない話。敵 が旧ソ連と関係ないあたり最近の作品だよなあ、と感じる。次の敵は火星人かな? [1] [1] 今日はエイプリルフールだと気がついたので