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光陰 - Fate/stay night [Heaven's Feel] 6

『Fate/stay night [Heaven's Feel] 6』を読んだ。 前巻 を読んだ時点では、劇場版『Fate/stay night [Heaven's Feel] I.presage flower』を見に行こうか迷っていたけれど、結果としては行かなかった。公開期間を逃してしまって、そうこうしているうちに、『Fate Project 大晦日TVスペシャル2018』内で、地上波/ニコ生/AbemaTVで放送されることに。これは見逃さないようにしないと。 この巻もまだ謎は深まるばかりだったけれど、劇場版Iは原作のどのあたりまで含んでいるんだろうか。などと考えているうちに、2週間もしないうちに 7巻 が。

異体字と対峙 - 追跡・則天武后

『追跡・則天武后』を読んだ。 東京国立博物館 で、彼女が中国唯一の女帝であり、権威づけに仏教を頼っていたとを知り、興味が湧いて。どこかで読み囓っていた、暗殺・拷問で政敵を排除して、晩年まで色欲に溺れていたイメージとは遠くかけ離れている。 20年も前の本なので、最近はまた違った見方もされているのかもしれないけれど、本書では悪女と思われているが善政も行ったということで見直されているという趣旨で紹介されていた。 アカデミズムの色よりジャーナリズムの色が濃く、トリビア的な話も散りばめられていたのがうれしかった。たとえば容姿について。娘が母に似て額が秀でているという記述があるそうだ(某ゲームでおでこ枠なのは、これに由来しているのだろうか?)。 それから漢字にも強い執着を見せ、わざわざ新しい漢字を作ったそうだ。もともと本名は「照」なのだが、「明」の下に「空」という漢字を作り、これを自分の名としたそうな。しかも他に使ってはいけない、彼女のためだけの漢字だった。他に十六文字あり、則天文字と呼ばれているのだけれど、既に使われなくなって久しい――というわけでなく意外なことに日本で生き延びている。その字は「圀」。「国」の異体字であり水戸光圀の名前として残っている。 日本とのつながりといえば、仏教繋がりで玄奘三蔵の訪問を受けている。歴史に疎く、同時代の人だなんてまったく意識していなかったので驚いた。それで某ゲームで、と納得。 子供だった頃は各国神話に出てくる名前をRPGで知ったりしていたし、三つ子の魂百まで、か。

where to go and come from? - ブッダをたずねて 仏教二五〇〇年の歴史

『ブッダをたずねて 仏教二五〇〇年の歴史』を読んだ。 一節が見開きに収っているので、少しずつ読み進めるのに適している。知らないことだらけなので、これくらいでちょうどよい。 全体の流れは基本的に仏教の歴史を辿っていく。一口に仏教と言っても歴史を追うごとにいくつかの宗派に分かれていく。それぞれの時代・宗派でどのようにブッダの位置づけられていたか? 最後に、筆者によって簡素な形にまとめられる。 その捉え方は自分にとってはしっくりと来るものだったけれど、不安になるくらい簡素なので受入れにくい人もいそう。 ところで、途中、日本の仏教は哲学の側面が希薄だという話があった。だとしたら、とてももったいないと思う。

興しお越し - 謎の独立国家ソマリランド

『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』を読んだ。 『新・現代アフリカ入門』 、 『アフリカ学入門』 と、サハラ以南のアフリカ大陸全体を扱った本を読んだところで、次はノンフィクション作家によるルポルタージュ。訪問先は、アフリカ北東部のある一国――ソマリア連邦共和国。あるいは独立を宣言した二国――ソマリランド、プントランドを含めた三国。 ◆ 国ってなんだろうか? 改めて考えてしまう。 ソマリランドは独立を宣言している。しかし国際的には(少なくとも公には)認められていない。 日本の外務省のWebサイト でも「ソマリア基礎データ」として、略史に「1991年5月 北部が「ソマリランド」と自称し独立宣言」とあるだけだ。 それにも関わらず、他地域よりも治安がよく、独自通貨ソマリランド・シリングの発行までしている。ソマリア連歩共和国の通貨ソマリア・シリングより信用されているくらいだそうだ。自分には、国としての体を十分になしているように見える。 ◆ だからといって、認められたがっている人ばかりかというと、そうでもないようなのだけれど。 「でも、いったん国際社会に認められたらどうなる? 援助のカネが来て汚職だらけになる。外の世界からわけのわからないマフィアやアンダーグラウンドのビジネスマンがどっと押し寄せる。そのうちカネや権力をめぐって南部と同じことになるよ…」 ◆ 本書が発売されたのが2014年。その後どうなったのか、 共和国(過去のトピックス) | 外務省 を眺めてみた。昨年2月に平和裏に大統領選挙が行われていた。ただ、これに対する反発かどうか判断する術を持たないけれど、そのあと首都モガディショで複数回のテロ事件が発生している。 ホーン・ケーブルTV の支局員の人達は大丈夫だったのだろうか。剛腕姫と称されていたハムディ支局長のことを思い出す。 なんだか暗くなってしまったけれど、本書の雰囲気は明るい。おもしろくて一気に読まされるので、興味が湧いたのならぜひ。踏ん切りがつかない人も、 現代ビジネス で1章を読めるよ?

不器用な距離 - フェルメール展@上野の森美術館 - フェルメール展@上野の森美術館

上野の森美術館で『フェルメール展』を見てきた。フェルメール作品はもちろん他作賓も素敵だった。混雑情報にめげずに行ってよかった。 『怖い絵展』 もなかなかの混雑だったけれど、こちらも相当。入場時間指定制で17:00-19:00枠を選んだのだけれど、16:50頃に行ったら1時間待ちの行列ができていた。列がはけるのが18:00頃で、20:30まで開いているという話を聞いて、早めに夕飯を済ませて、18:10くらいにようやく入館。閉館直前までのんびり見させてもらった。19:00からの枠だと、混み具合によっては見る時間ないのでは?と老婆心が湧く。 フェルメールの作品 フェルメールの、〈リュートを調弦する女〉、〈真珠の首飾りの女〉、〈手紙を書く女〉がこの順に並んでいるのがとてもよかった。少しずつモデルとの距離が縮まっていって、3枚目のこちらに向けた微笑みで幸せな気分にひたれる。恋愛ゲームで好感度が上がったみたい。制作順もこの順だし、研究家ではないし、妄想を膨らませて楽しむのも悪くなかろう。リボンの色が黄色から赤になっているところとか、ちょっとした違いの発見に嬉しくなる。 目玉として紹介されている〈牛乳を注ぐ女〉は、想像より色が濃かった。写真だと鮮やかめに色調整されていることがよくあって、これもそんなところだろうと思っていたので、ちょっと意外。あと、レイアウトが左側に寄っていて右側が少し寂しい。 このときのためではなかったけれど、 『フェルメールのカメラ』 を読んでいたので、パースの正確さとかピンぼけとかカメラ・オブスキュラを使って描いたがゆえの特徴を押さえられたのもラッキーだった。縮小写真ではわかりにくかった、手前に配置されている置物やカーテンのボケ具合がハッキリと見て取れた。おかげで、他の画家の作品までパースの正確さをチェックしてしまったのは、良し悪し。 本展示には含まれない〈真珠の耳飾りの少女〉を、いつか見に行きたい。 フェルメールに限らないオランダ絵画 生々しい静物画の元生物――――狩猟の成果=野ウサギの死骸とか、漁の成果=魚介類の山とか。それから、心底うざったい顔をした酔っ払いを描いた風俗画とか。自分のオランダ画に対する印象の中心には、こういう猥雑さもあったりする。 もちろん猥雑なだけではない。 〈糸を紡ぐ女〉 の穏やかな雰囲気にも惹かれるもの

国/境 - アフリカ学入門―ポップカルチャーから政治経済まで―

『アフリカ学入門―ポップカルチャーから政治経済まで―』を読んだ。 『新・現代アフリカ入門』 を読んだあとに、他の専門家がどんな見方をしているか知りたいと思い、多数の著者が名を連ねている本書をチョイス。 研究者、JICA(日本のODA実行機関)の職員、NGOの方、日本在住のアフリカ(スーダン、コンゴ民主共和国)の方。いろいろな立場の方の言葉が載っていて、十分な読み応えだった。最初に断りがあるものの、ポップカルチャー色が薄めだったことだけが少し残念。 ◆ 印象に残り続けているのは、日本在住のアフリカの方々が「アフリカ」という括りの粗さを指摘していたこと。世界には約200の国があってアフリカには約50の国があるというのにステレオタイプな「アフリカ」としてしか知られていないというのは、各国の方にとって、やりきれないことなのかもしれない。 アフリカには多様な人々が居住しており、それを全部1つの言葉、「アフリカ」で語ることはあまりにも「豪快すぎる」気がします。 ●コラム3 日本に暮らすアフリカ出身者に聞いてみました① アブディン・モハメド・オマル (Abdin Mohamed Omar) スーダン障害者教育支援の会(NGO)代表 一般的に日本人が持つアフリカのイメージは悪いように感じます。そもそも「アフリカ」という国はありません。アフリカにもさまざまな文化や人びと、暮らしがあります。そこに暮らす人びとは感情を持つ、あなたと同じ人間です。人とであり、理解し合うことで偏見をなくして欲しいです。 ●コラム4 日本に暮らすアフリカ出身者に聞いてみました② J. P. ムケンゲシャイ・マタタ (J. P. Mukengeshayi Matata) オリエンス宗教研究所所長 どこもかしこも詳しく知ることはできないけれど、自然に入ってくる情報が少ないから収集コストが高くなりがちなのが辛いところ。 ◆ もうひとつ強く残っているのが、この1文。 NGO関係者を見ていると、かれらは社会に対するある種の「怒り」を共有しているように感じる。 もちろん他の理由もあるのだろうけれど、理由の一つが「社会に対するある種の怒り」なら少しだけわかる気がする。NGO関係者の方が、相当の負担に耐えつつ活動しているのを読んで、何がそこまでさせるのだろうと思っていた。念の

月の住処 - アルテミス (上)・(下)

『アルテミス (上)』、『〃 (下)』を読んだ。 『火星の人』 でデビューした、アンディ・ウィアーの長篇第二作。火星の次の舞台は月面都市。その都市の名前がタイトルになっているアルテミス。ギリシャ神話における月の女神の名だ。 今作もユーモアに溢れていて、存分に楽しませて貰った。絶望的な状態でも悪態混じりのジョークを飛ばす主人公ジャズがかっこいい。悲観的な自分にはないメンタリティなので憧れる。 前作とは大きく違う感じたのは、ジャズに関わる登場人物の多さ。『火星の人』はマークの孤軍奮闘サバイバル生活がメインだったけれど、ジャズは人との関わりの中で火種に首を突っ込んで、都市をゆるがす事件に巻き込まれていき、立ちはだかる気密壁に向かっていく。 もう大きな一つ違いを感じた点がある。それは幕の引き方。『火星の人』は、達成感に満たされて終わった感じがするけれど、『アルテミス』ではこのあとも月面都市で生活を送り続けていくので、事件こそしっかりケリが着いたもののあまり終わった感じがしない。 そんなことを思っていたら、解説によると、アルテミスを舞台にした作品の構想があるとのこと。楽しみ。

進化の徒 - 常設展@東京国立近代美術館 本館

東京国立近代美術館の工芸館 に行ったら、そのチケットで本館にも入れてしまった。十分な時間は取れなかったけれど、せっかくなので拝見。 坂上チユキという方の作品が印象的だった。細い線。淡い色。高い密度。顕微鏡で見た原生生物のよう。それでいて、生命の始まりよりも終わりを思わせる儚さ、脆さ、か細さ。 他にどんな作品があるか調べようとしたら、 作家自身による略歴 がまた強烈だった。約5億9000万年前から始まっている。 どことなく、 『皆勤の徒』 や 『エヴォリューションがーるず』 を連想する。

3 bird, 2 insect, 1 reptile photos

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黄色い岐路 - 世界を変えた書物展

上野の森美術館で9月24日まで開催されていた、 『世界を変えた書物展』 に行ってきた。 様々な分野の巨人の手による書物の数々が並んでいる。有名所だと、ニュートン、アインシュタイン、ダーウィン、レントゲン。名前を挙げ出すとキリがない。彼ら/彼女らの肩の上に乗って、現代の技術まで積み重ねられてきたことに、改めて思いを馳せる。黄ばんだこれらの本のどれかが欠けていたら、技術史は今とはまったく異なるものになっていたのだろうか。とか、これらの本だけではなくて、知らないだけで膨大な積み重ねがあるのだろうなあ、とか。 同時に、目の前の書物の来歴にも、及ぶところではないだろうけれど、想像を巡らせる。数百年のオーダーの時を経て、今も保存され続けている確率はどれほどのものなんだろうか。現在、出版されている本の中で、たとえば30世紀まで残り続けるのは、どれくらいの割合なんだろうか。 それはそれとして、本好きとしては触ページをめくって読んでみたくなるところ。貴重な本だから当然なのだけれど、1冊1冊ケースに入れて展示されていた。仮に手に取れたとしても、そもそも読めないし、単語を認識できたとしても、理解できないだろうけれど。いや、そもそも恐くて触らない気もする。 写真は「アポロ11号任務記録(月着陸更新記録)、月面への第一歩」。

Learning Dokusyo - ディスレクシア 親と研究者のためのLD

『ディスレクシア 親と研究者のためのLD』を読んだ。 本書によると、読字の学習を困難にしている原因は、音韻処理過程上にあるらしい(ただし、別の原因で困難が生じることもある)。素人目には、聞いたり話したりと、読んだり書いたりとがそれぞれペアのような印象だけれど、そうでもないみたい。 抽象的に言うと、認知特性と言語の相性の問題だそうだ。極端な話、無文字社会ではディスレクシアは起こり得ない。想像しやすい例を借りると、発音と綴りの規則性が弱い英語圏で多く、規則性の強いドイツ語では少ない。ただし、発音と綴りの規則性だけが影響するのではなく、意味の単位に対する文字の単位も影響するとのこと。意味の単位に対して文字の単位が小さい(英語はこれにも該当)と、困難が生じやすいというのも、想像しやすい。 日本語はディスレクシアが起こりにくい言語とされていた。音と一対一対応のかな・カナと表意文字(意味の単位も文字の単位も大きい)の漢字で構成されている。かな・カナの次に漢字を学習するという順序も、ディスレクシアを起こりにくくしているとのこと。そう言えば、どこかで漢字仮名交じりの日本語が世界で一番難しい言語だいうような主張を見かけたが、学習過程には触れていた記憶がない。 いずれの言語にせよ、常用する言語の音韻処理に問題を抱えているときは、代替戦略で処理すると考えられている。それは個人差が大きいようなのだけれど、その中の一つに自分も使っていそうな戦略があった。音韻ではなく文字を頼りにする戦略がそれ。実験で、"room" と "house" を間違えるような、音の近い語ではなく意味の近い語を選ぶ誤りが観察されるそうだ。 ディスレクシアではないのだけれど、文字があるとつい追ってしまうくらいの活字中毒なので、聞いたり話したりする言葉より圧倒的に読んだり書いたりする言葉の方が多い。だから、文字の方を頼りにしているのかもしれない。文章を書いていると、よくそういう間違え方をする。

海・石・仏 - 海の道 ジャランジャラン@東京国立博物館 東洋館

東京国立博物館に行って、企画展『海の道 ジャランジャラン』を見てきた。テーマは今年2018年で国交樹立から60年となるインドネシア。 伝統的な人形芝居ワヤンで使われる(と展示で知った)人形が、各種広告で印象的だったので、実物を見てみたいと思い。 目の当たりにすると、予想だにしなかったサイズに驚いた。展示台のうえとは言え、視線の高さが同じくらい。薄いとは言えそれなりの重さはあるはずで、芝居を演じているうちに、腕っぷしが鍛えられそう。 黒い肌に赤や金の装飾という配色、独特の表情、長い手足が特徴的だった。ところで、こういう雰囲気のグラフィックのアクションゲームがあった記憶がかすかにあるのだけれど、どうにもこうにも思い出せない。 おもしろかったのは、演じられるのがインドの叙事詩『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』という点。「Java」と「JavaScript」は「インド」と「インドネシア」くらい違うという比喩を思い出す。ヒンドゥー教寺院で祭などのときに演じられたというから、ヒンドゥー教の一部として伝わってきたのだろうなあ。 『Fate/Grand Order』をプレイしているので、カルマ、アルジュナ、ラーマ(ロモ表記)の人形に反応してしまう。 ところで、インドネシアってそんなにヒンドゥー教徒が多い国だったっけ? と思って、とりあえずWikipediaをざっと眺めてみたら、人口2億人以上で世界第4位、ムスリム(イスラム教徒)人口は世界最大と、大きなイスラム国家だった。 でも偏りを見ると、観光地として有名なバリ島は90%以上がバリ・ヒンドゥー(仏教とヒンドゥー教が習合した土着の宗教)教徒とのこと。アジア地域の歴史を調べるのもおもしろそう。 と思ったのも、東洋館の常設展示で、インドと中国の仏像を見たため。今ではヒンドゥー教徒が最多だが、仏教が発祥したのはインド。そこで作られた仏像は、インド映画の主役のように巻き毛で彫りが深く、ときには髭をたくわえている。それが中国に広まってから、彫りの浅い東アジア系の顔になっていく。 展示されていた仏像は主に石仏で、中でも目に焼き付いているのは武則天が宝宅寺に建立させた像がいくつも並んでいる様。中国史において、唯一の女帝である彼女が権力を強化するための手段の一つだった模様。 展示からは外れるが、武則天は

回って揺れて / インゲヤード・ローマン展@国立近代美術館 工芸館

東京国立近代美術館 の工芸館で、 『インゲヤード・ローマン展』 を見てきた。国立公文書館で 『躍動する明治』 を見たあと、時間に余裕があったので、そこから歩いて10~20分。 薄くシンプルなガラス製品が美しい。2年前の2016年にIKEAでお手頃な値段で発売された製品もあるらしい。限定品だったので、今は買えない。残念。 こういうシンプルな製品の方が、飽きずに長く使えて愛着が湧くと、頭ではわかっている。でも、癖のある製品と並んでいると、後者を選んでしまうことが少なくない。自分の背中を押してくれるハッキリとした何かがないと、迷いが生じてしまうのかもしれない。 衝動的だったり、変わり者気取りだったり。なんて原因の方がもっともらしい気もする。 写真はよい。とくにデジタル写真は。衝動的に撮っても後腐れが少ないし、変わった視点を探すのも楽しい。視点について考えていると、製品そのものではなくて、それが自分の暮らす部屋に置かれたときの、バランスを考えてしまう。あるいは、アンバランスが嫌でも気になる。 遠心力で整形したという製品(撮影不許可)のわずかなゆらぎが印象的だった。手仕事ではないのに、ゆらいでいるのがおもしろい。

3 monochrome photos

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輪郭と中心 - とんがり帽子のアトリエ (4)

『とんがり帽子のアトリエ (4)』を読んだ。第2の試験の始まり始まりい。 今回、スポットライトがあたるのはリチェ。これまでセリフが多い方ではなかったけれど、たくさん喋ってくれている。 彼女のようにマイペースでつかみどころがないように見える人こそ、固い芯あるいは核があるものだよなあ、と感慨にふける。 輪郭が固い人もいれば、中心部が固い人もいる。

いまーーーじーーーーーーん!! / ゴールデンカムイ 15

『ゴールデン・カムイ15』を読んだ。物語が急加速して、目を離せない。あと、白石が脱獄王の本領を発揮しているのも見所。 三度杉元が表紙を飾っている。彼とアシㇼパさんの再会のときが待ち遠しい。それにしても死なないことしなないこと。「不死身の」と形容されるのもむべなるかな。 しかし、それにしたって主人公があそこまでの重傷を負うとは。と展開はシリアスながら、内容紹介のテンションはだいぶんおかしい。 不死身の杉元の生存戦略が始まるッ!? 出典: ゴールデンカムイ 15 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) | 野田サトル | 青年マンガ | Kindleストア | Amazon 「生存戦略」の4文字を見ると、いまだにあの映像が脳裏に浮かぶ。 「いまーーーじーーーーーーん!!」 わかる人にあらかじめ言っておく。間違っても杉元があの衣装を着ているところを想像しないように(注意喚起に見せかけたトラップ)。 そう言えば、続編の噂はどうなったんだろう? とティーザーサイトがあったURLにアクセスしてみたら維持されていなかった。立ち消えになってしまったのだろうか?

Salt and Cigarette - 常設展@たばこと塩の博物館

企画展 『MOLA』 を見終えたあと、少し時間があったので合わせて常設展ものぞいてきた。 たばこと塩という組合せは専売公社由来。つまり恣意的。 というわけで、それぞれ独立に感想を。 ●たばこ 吸わないので味は知らない。喫煙者にもらって吸ったことはあって、主流煙はそんなに嫌いではなかったけれど、いろいろと割に合わないなという感想。値段とか風当たりとか。 そのため、キセルやパイプなどの細工や各国のパッケージ・ポスターなど、装飾・デザインに目がいく。 キセルもパイプもという武器になっていたのが、傘やホウキでチャンバラをしている子供のようで微笑ましい――というには物騒か。キセルはケンカギセル、パイプはトマホークパイプという名称で展示されていた。 世界中から集められたパッケージはバラエティ豊かだったし、年代順に展示された日本のタバコのポスターはメッセージやデザインのスタイルの変遷が見てとれたのだけれど、ゆっくり眺めている時間は取れなかったのが残念。次に何かおもしろそうな企画展があるときは、こちらをゆっくり見る時間も予定に組み込もう。 喫煙率が下がりつつある( 成人喫煙率(厚生労働省国民健康栄養調査) )ので、博物館でしか見られなくなる日もそう遠くないのかもしれない。最後に配置されていた、街角のタバコ屋さんを見て思う。ああいうスタイルのが近所に何件かあったのを思い出して、時間の流れを意識させられる。 ●塩 こちらは食べたことがある(なかったら生きていけない)。 歴史的な側面、工業的な側面、科学的な側面からも光が当てられていて、1フロアでの展示にも関わらず、結構な情報量だった。 アニメでおなじみ(なんだろうか? 実際に調べた結果をブログで読んだ記憶はあるのだけれど、結果の方を思い出せないし、その記事を再発見できない)ウユニ塩湖の塩もある。お土産として買うこともできる(買った)。 歴史的な話だとポーランドのベリチカ岩塩坑の話が、途方もないスケールの話だった。海水から作るイメージが強くて、大規模な岩塩坑をイメージできないから、驚きもひとしお。 こちらはたばこの展示以上に足早に駆け抜けたので、これくらいで。 ところで、子供のころに、父が3人の娘に自分をどれほど大事に思うか尋ねたところ、長女・次女の答えには満足したけれど、塩に喩えた

パナマ、パないのう! / MOLA@たばこと塩の博物館

たばこと塩の博物館 に行って、企画展 『MOLA パナマの先住民クナ族の衣装と意匠』 を見てきた。 フライヤーの色鮮やかさに惹かれてフラッと。モラというのは、元来はパナマに住むクナ族の民族衣装(ブラウス)のこと。今はその特徴的なアップリケのことも指すようになっているとのこと。 とてもカラフル。フライヤーの背景は赤一色だけれど、実際のモラはみっちりと刺繍されている。繰り返される形と鮮やかな色の対比にパターンがありそうでない。手仕事だからか計算され尽くされておらず揺らいでいる。見ていて飽きない。 出典: 現在の特別展|特別展|たばこと塩の博物館 写真だと見て取れないけれど、複数の布地が作るレイヤーもおもしろかった。展示品の中には柄付きの布を使ったモラもあり、それもありなのか、と思う。作り方も展示されていた。地と図とで布を入れ替えて対のモラを一緒に作るやり方なんか、とても器用。手を出してみたいという気持ちが湧きつつあり、危ない。 モラを眺めていたらふと 『草間彌生「わが永遠の魂」』展 のことを思い出した。鮮やかな色彩と揺らぎのある繰り返しのせいか。でも、あれほど迫ってくる感じがしない。モチーフが横を向いているから?(そう言えば、 草間彌生美術館 が開館した時、混雑が落ち着いたら行こうと思っていたのをすっかり忘れていた)。 話が逸れた。開催は10月21日 (日) まで。入館はわずか100円。充実の図録も1500円とリーズナブル。迷わず買って帰ったけれど、図録は Webサイト から通販もできるみたい。行けないけれど気になる方というも安心。

蟹分家 - ヴィジランテ 5

『ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS- 5』を読んだ。 師匠の「俺がいる」が重い。そしてコーイチ達の前からいなくなる。 一方、コーイチの「俺が来たッ!!」。それ自体はともかくそのあとの口上が、ポップさえイラッとさせる始末。彼らしい。 シーズン2開始のモノローグでは、あんなに大人びて見えるのに。

決着、復活、墜落 - 僕のヒーローアカデミア 20

『僕のヒーローアカデミア 20』を読んだ。 ジェントル&ラブラバの話が決着して学園祭へ。この2人はぜひ復活して欲しいところ。 敵 ( ヴィラン ) からヒーローになるキャラクタがいてもいいじゃない? 環のセリフで、ミリオ復活のフラグが立ったのもうれしい。彼にもぜひ復活してもらいたい。 最後にエンデヴァー。オールマイトが力を失いつつあるなか、このままだと「オールマイトがいれば」という待望論が巻き起こりかねないし、先生たちの他にも強い大人を描いて欲しいので終わって欲しくない(少年マンガだから、ガッツリ描くわけにはいかないだろうけれど)。

Archive Eve - 躍動する明治@国立公文書館

国立公文書館 で明治150年記念特別展 『躍動する明治 - 近代日本の幕開け -』 を見てきた。 1868年に明治時代が始まって150年 = 1.5世紀。長いような短いような。どちらかという短いような。近代化が「始まって」から、まだそんなものか、という気がする。 社会の授業を思い出しつつざっと調べてみる(主にWikipediaだのみ)。 名誉革命が1688-89年、独立戦争が1775-1783年、18世紀末〜19世紀にかけて南北アメリカの脱植民地化、フランス革命が1789-1799年、南北戦争が1861-1865年。その3年後に明治時代が始まって、「躍動」どころか「激動」と言いたくなる維新(最近でも使う言葉で言い換えるとか「改革」あたり)が始まる。 元号が明治に変わったからといって、自動的に近代化されるわけもない。廃藩置県は明治4年(1871年)7月に始まって、当初は藩をそのまま置換したため3府302県。そこからわずか数ヶ月後の11月までに3府72県にまで統合される。どれだけの混乱があったことか。 廃藩置県の詔を収録した文書 が展示されているのを見て、そんなことを思う。 藩ヲ廃シ県ヲ置ク 出典: 明治4年(1871)7月|廃藩置県が断行される:日本のあゆみ 今も安定しているわけでもないか。 沖縄返還 があって今の47都道府県の形になるのは約100年後の1972年。基地移設問題はじめ「沖縄問題」がたびたびニュースになる。昨日も(この文章は9月30日朝に書いている)も、沖縄県知事選挙の投開票日だった。 年表/HTML:日本のあゆみ をざっと眺めるだけでも、江戸末期から昭和にかけての急激な変化が見て取れておもしろい。 ここには最近のものはないけれど、流れては消えていくように見えるニュースのうち、いくつがいつまでアーカイブ(保管)されるのだろうか。ニュースの中には、公文書(アーカイブ)の破棄・改竄・隠蔽・欠落もあったが、それらはどうなったのだろうか。 病んでしまって、悪堕ちたりしていないだろうか? いつか書庫(アーカイブ)を開いたら証拠は見つかるだろうか?悪が飛び出したりはしないだろうか? 希望は残っているだろうか? こんな調子に 『アーカイヴの病』 のことをまたぞろ思い出す。

あるフック - 新・現代アフリカ入門

『新・現代アフリカ入門』を読んだ。 特にこれといったキッカケはないのだけれど、何とは無しに。強いて言えば映画 『ブラック・パンサー』 か。架空の国ではあったけれど、主な舞台がアフリカだった。 ◆ 出版されたのは5年前の2013年(いちいち確認しないといけないので、『現代〜』のようなタイトルをつける慣習はなくなってほしいと思う)。二十分の一世紀もあれば、大きく変わった国もあるだろう。けれど、この5年でアフリカに関してどんなニュースがあったかさっぱり思い出せない(日本のもさして思い出せないのだが)。サッカーのW杯が開催されたのは、2010年のことだし。 忘却ぶりに 『ヌメロ・ゼロ』 を思い出す。いろいろと忘れていっているんだろう、という感覚ばかり湧いてきて、具体的なエピソードは浮かび上がってこない。記憶力が下がったのかもしれないし、子供時分からそうなので、そういう記憶の仕方をしているのだろう、と思っている。ニュースにうんざりしているとも言える。 ニュースと言えば、自民党総裁選があるんだかあったんだかだったよなと思って、Googleで「総裁選」を検索してみたら、文春オンラインの「総裁選「カツカレー食い逃げ事件」が大事件になるまで」がトップに出てきた。知らんがな。 アフリカでもよく似た構図らしい。 「こうした政権維持のための政争にうんざりし、政治不信を持つ人々が選挙そのものに関心を示さなくなることもある。たとえば、二〇〇七年のマリの大統領選挙では、投票率は三十六%であった」 日本は大統領制ではないので直接比較はできないが、2017年衆議院選挙の投票率は約54%だった。年代別だと20代がもっとも低く約34%。上記大統領選挙と同じくらい。おおよそ3人にいたら2人は投票していない程度の関心の低さ。なお出典は総務省の 『国政選挙における年代別投票率について』 。 日本と似ている印象を受けるが、著者が日本人なので出生国のことを投影している可能性もあるか。 ◆ この本を「入門」書として思い返すと、著者の主張がかなり強め。出だしから問題提起で始まって、問題ありきで歴史や現状が描写されているように読める。投票率の問題のように、まず問題がありそれを象徴する国をピックアップする形で取り上げられると、 チェリーピッキング にも見える。 アフリカに

R/W - 読書の価値

『読書の価値』を読んだ。自分は、著者の読書スタイルとも、著者が想定する読者の読書スタイルとも差異があるとわかった。他人の頭のなかが垣間見えて比べられたみたいで、おもしろい。 ◆ 「まえがき」に この本の内容は、少なからず抽象的になるだろう。 と書かれているけれど、この著者としては具体的だったと思う。ものごとの見方や捉え方だけではなくて、選択の指針まで書かかれている。 『自由をつくる自在に生きる』 を読書にしぼって具体的に書いたらこうなるのではないか。 そう感じるのは、自分が本著者の著作を小説・新書・絵本・訳書まで読んでいるからだろう。この読み方はマイナなはずだ。どの本か忘れたが、小説と新書とで読者層が異なると読んだ記憶がある。だから、著者は自分とは違う読者層を想定して「抽象的」と書いたのだろう。 どんな読者像が想定されているかに興味が湧いて、この本と『自由をつくる自在に生きる』とで、Amazonの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」を見比べてみた。如実な違いが見られて驚いた。本書のページではビジネス書やハウツー本が並ぶが、『自由をつくる自在に生きる』では同著者の新書・エッセイがズラリと並ぶ(やはり小説は出てこない)。これはどんな傾向の表れだろうか? 新しい読者層を開拓できているわけで、きっと狙いどおりだろう。主にビジネス書やハウツー本を読んでいるなら、この本の内容は抽象的に感じるはず。そういう読者のなかにはじれったかったりイライラしたりした人もいたのではないだろうか。 ◆ 著者とは違い、自分はたくさんの本を読む方だと思う。読むのも遅くはないだろうけれど、それ以上に読書にあてる時間が多い。いわゆる活字中毒なのかもしれない。この間の休日も読書に何時間もあてて1000ページ以上の文庫を数日で読み終えた。このブログのエントリィ数を見ると、ここ10年ほど毎年100冊くらいは読んでいるようだ。人生を本に振っていると言って過言ではない(そんな言い回しはない)。 著者とは違い、自分は読む本を選ぶのに時間をかけない。本屋でもAmazonでも図書館でも、まあ読むだろうと思い手に取る。必要な情報を求めて探しているときは目次やまえがきを流し読みして済ませることもあるけれど、何かしら発見を期待しているときはそのままレジ(または貸出窓口)に

行きは良い宵 - 宵物語

『宵物語』を読んだ。もう何シーズンの何冊目か思い出せない(記憶に留める気がない)。 収録されているのは、「まよいスネイル」と「まよいスネイク」の2編。どちらにも八九寺真宵は要所要所で登場するけれど、多寡でいうと他のキャラに譲ってしまっている。 「まよいスネイル」では、阿良々木暦と行動をともにするのは押野忍と斧乃木余接。『傾物語』の「まよいキョンシー」のときも似たポジションだったことを思い出す。いっしょに行動すると迷子になってしまうから。 「まよいスネイル」では千石撫子から八九寺真宵への引き継ぎの話。こちらは主に千石撫子の視点で語られる。専門家にまたえらい評価を受けてしまったものだが、彼女は一体何なんだろうか。 話は変わるけれど、『結物語』から作中の時系列では遡っているので、すでに回収されている伏線を張っているかのような発言がちょくちょく出てくるのがおもしろい。これなら投げっぱなしになりようにない。

扇動多くして - プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争

『プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争』を読んだ。 本書に掲載されているポスターは135枚。すべて長野県阿智村でみつかったもの。当時の会地(おうち)村長が、焼却処分せずに保管していたそうだ。制作時期は、1937年の日中戦争から1945年の終戦までの約8年間とされている[1]。 全体的にアール・デコ調に感じられる作品が多い。当時の最新のスタイルを取り入れた結果か。イラスト中心なのは、当時の写真は発色が悪くインパクトで劣ったためだと説明されている。手早く制作できるので積極的に採用していたロシア構成主義とは対極的に映る。 これらのポスターを見ていると、オリンピックに向けた、2つの動きを思い出す。まず、ボランティアの募集。スポーツ庁・文科省が連盟で大学長・高専校長へ「スケジュール考慮しろよ」と通知を出すに至っている[2]。人に加えて、金属の提供依頼。「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」と称して集めようとしている[3]。なりふり構っていない。あるいは、何をしても許されると思っている。そんな印象。子供に協力させて、子供でさえ協力しているんだから大人は判るよね? という手法まで使い始めたら行くところまで行った感を覚えると思う。歴史から学ぶのか、歴史を繰り返すのか。 歴史と言えば、「コラム2 プロパガンダ・ポスターと美術界―画家と図案家―」で、最近 『日本のグラフィック100年』 で知った杉浦非水の名前が出てきた。同僚の作品を紹介する文脈で名前が挙がったに過ぎないけれど。同時期に読んだ 『20世紀のデザイン』 にはプロパガンダ・ポスターも載っていたけれど、『日本のグラフィック100年』にはなかったように記憶している。年代順に並んでいなかったため、気にならなかったけれど、この戦時の作品がぽっかり抜け落ちていたりするのだろうか(「焼却処分せよ」と命令が下ったので、残存数は少ないという事情はあるだろうけれど)。だとしたら 『ゲンロン 6』、『〃 7』 で議論されていた埋葬の失敗の、ひとつの表れか。開き直りもせず、露悪敵にもならず、静かに振り返ることの、この難しさ(確かめもせず考え過ぎか)。 [1]  【長野】戦時ポスターずらり 阿智で展示 | 中日旅行ナビ ぶらっ人 [2]  平成32年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法及

This is Dis - EMINEM/KAMIKAZE

EMINEMの10thスタジオアルバム"KAMIKAZE"を聞いている。 日本とアメリカとでタイトルの捉え方が異なりそうなので、英英辞典を引いてみた。「自らの安全を顧みず、危険を冒すのを躊躇わない人のこと」と言ったところか。 used to describe someone who is willing to take risks, without caring about their safety 出典: kamikaze | ロングマン現代英英辞典でのkamikazeの意味 彼自身のこと形容しているのだろう。 昨年10月にトランプを批判するフリースタイル・ラップ "The Strom" を披露 して、自分のファンでもトランプを支持するなら敵だというようなことを言っている。 という話はさておき(あるいは含めて)アルバム全体から怒りを感じる。何を言っているか聞き取れるわけじゃないから、調べてみると本当に多方面を口撃しているみたい。 溜まっていた鬱憤が吹き出したような、そんな印象。

Observe-less Drawing? / シャーロック・ホームズ from Fate/Grand Order

Fate/Grand Orderからシャーロック・ホームズ。 3周年キャンペーンのピックアップで来てくれた。うれしい限り。虚月館事件のときはまだ姿を現す時機ではなかったのだろう。 コナン・ドイルによる原典を読破して、ときおりパスティーシュに手を出すくらい好き。BBCドラマ『SHERLOCK』も見たし、ロバート・ダウニー Jr.が主演の映画2本も見た。『ミスター・ホームズ』も原作小説を読んで映画を見に行った。シャーロキアンを名乗るのは恐れ多いけれど、細くとも長く接し続けてはいる方だろうとは思う。 美形男性を描くのが苦手なうえに、オールバックを描いた記憶すらないところからのスタートだったので何度かトライ。ようやく自己満足できる表情を描けた。おかげで3周年キャンペーンから一ヶ月以上経ってしまった。 見ずに描くなんて論外で、よく見て描いてもまだ違う。 そういう事だ!君は観察していない。それでも見てはいる。僕の指摘したいのはその点だ。 出典: ボヘミアの醜聞 Page. 2

月、影、寺 / プロジェクト:シャーロック

SF短篇集『プロジェクト:シャーロック』を読んでいる。読み終えていないけれど、この4編がお気に入り。それぞれ簡単に感想を。 上田早夕里「ルーシィ、月、星、太陽」 円城塔「Shadow.net」 八島游舷「天駆せよ法勝寺」(第9回創元SF短編賞受賞作) 「ルーシィ、月、星、太陽」は、単体でもポストアポカリプスものとして読める(だからこそ短篇集にぽんと入る)。『華竜の宮』『深紅の碑文』と同じ世界の話なので、感慨深さが。逆にこちらから入っても、新鮮な驚きがありそう。 「Shadow.net」は、『攻殻機動隊小説アンソロジー』から。これも『攻殻機動隊』を知らなくても楽しめると思う。これ、文章で書かれているのを読むとなんとなくフムフムと思って読むけれど、こういう状態になったらどんな風に感じるんだろう。想像を絶している。 「天駆せよ法勝寺」は仏教SF。連想するのは、『ブラックロッド』から始まる三部作とか、比較的最近だと『閃光のブッシャリオン』とか。これらと違って短編だけれど、勝るとも劣らない量の造語がぶち込まれていて、そのうえキャラも立っていて、物語としても美しい。と、冷静に振り返ると構成の巧さに気がつくけれど、読んでいる時は勢いにもまれてあっと言う間。文句なくおもしろかった。