スキップしてメイン コンテンツに移動

海・石・仏 - 海の道 ジャランジャラン@東京国立博物館 東洋館

東京国立博物館に行って、企画展『海の道 ジャランジャラン』を見てきた。テーマは今年2018年で国交樹立から60年となるインドネシア。

伝統的な人形芝居ワヤンで使われる(と展示で知った)人形が、各種広告で印象的だったので、実物を見てみたいと思い。

目の当たりにすると、予想だにしなかったサイズに驚いた。展示台のうえとは言え、視線の高さが同じくらい。薄いとは言えそれなりの重さはあるはずで、芝居を演じているうちに、腕っぷしが鍛えられそう。


黒い肌に赤や金の装飾という配色、独特の表情、長い手足が特徴的だった。ところで、こういう雰囲気のグラフィックのアクションゲームがあった記憶がかすかにあるのだけれど、どうにもこうにも思い出せない。

おもしろかったのは、演じられるのがインドの叙事詩『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』という点。「Java」と「JavaScript」は「インド」と「インドネシア」くらい違うという比喩を思い出す。ヒンドゥー教寺院で祭などのときに演じられたというから、ヒンドゥー教の一部として伝わってきたのだろうなあ。

『Fate/Grand Order』をプレイしているので、カルマ、アルジュナ、ラーマ(ロモ表記)の人形に反応してしまう。

ところで、インドネシアってそんなにヒンドゥー教徒が多い国だったっけ? と思って、とりあえずWikipediaをざっと眺めてみたら、人口2億人以上で世界第4位、ムスリム(イスラム教徒)人口は世界最大と、大きなイスラム国家だった。
でも偏りを見ると、観光地として有名なバリ島は90%以上がバリ・ヒンドゥー(仏教とヒンドゥー教が習合した土着の宗教)教徒とのこと。アジア地域の歴史を調べるのもおもしろそう。

と思ったのも、東洋館の常設展示で、インドと中国の仏像を見たため。今ではヒンドゥー教徒が最多だが、仏教が発祥したのはインド。そこで作られた仏像は、インド映画の主役のように巻き毛で彫りが深く、ときには髭をたくわえている。それが中国に広まってから、彫りの浅い東アジア系の顔になっていく。


展示されていた仏像は主に石仏で、中でも目に焼き付いているのは武則天が宝宅寺に建立させた像がいくつも並んでいる様。中国史において、唯一の女帝である彼女が権力を強化するための手段の一つだった模様。


展示からは外れるが、武則天は暗殺・拷問を用いたことも聞きかじっている。いったいどんな人生だったのだろうか。

というわけで、インドから仏教が中国に伝わってから武則天の時代くらいまでと、別ルートでヒンドゥー教・仏教がバリ島に伝わり、バリ・ヒンドゥーが成立する過程でも、今度追ってみようかな。


とくに触れていないけれど、素敵な織物も沢山あった。それから『文字渦』で出てくる俑も。

このブログの人気の投稿

北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

戦う泡沫 - 終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #06, #07

『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06, #07を読んだ。 『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06と#07を読んだ。#06でフェオドールの物語がひとまずは決着して、#07から第二部開始といったところ。 これまでの彼の戦いが通過点のように見えてしまったのがちょっと悲しい。もしも#07がシリーズ3作目の#01になっていたら、もう少し違って見えたかもしれない。物語の外にある枠組みが与える影響は、決して小さくない。 一方で純粋に物語に抱く感情なんてあるんだろうか? とも思う。浮かび上がる感情には周辺情報が引き起こす雑念が内包されていて、やがて損なわれてしまうことになっているのかもしれない。黄金妖精 (レプラカーン) の人格が前世のそれに侵食されていくように。

リアル・シリアル・ソシアル - アイム・ノット・シリアルキラー

『アイム・ノット・シリアルキラー』(原題 "I Am Not a Serial Killer")を見た。 いい意味で期待を裏切ってくれて、悪くなかった。最初はちょっと反応に困るったけれど、それも含めて嫌いじゃない。傑作・良作の類いではないだろうけれど、主人公ジョンに味がある。 この期待の裏切り方に腹を立てる人もいるだろう。でも、万人受けするつもりがない作品が出てくるのって、豊かでいいよね(受け付けないときは本当に受け付けないけれど)。何が出てくるかわからない楽しみがある。