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Archive Eve - 躍動する明治@国立公文書館

国立公文書館で明治150年記念特別展『躍動する明治 - 近代日本の幕開け -』を見てきた。

1868年に明治時代が始まって150年 = 1.5世紀。長いような短いような。どちらかという短いような。近代化が「始まって」から、まだそんなものか、という気がする。

社会の授業を思い出しつつざっと調べてみる(主にWikipediaだのみ)。

名誉革命が1688-89年、独立戦争が1775-1783年、18世紀末〜19世紀にかけて南北アメリカの脱植民地化、フランス革命が1789-1799年、南北戦争が1861-1865年。その3年後に明治時代が始まって、「躍動」どころか「激動」と言いたくなる維新(最近でも使う言葉で言い換えるとか「改革」あたり)が始まる。

元号が明治に変わったからといって、自動的に近代化されるわけもない。廃藩置県は明治4年(1871年)7月に始まって、当初は藩をそのまま置換したため3府302県。そこからわずか数ヶ月後の11月までに3府72県にまで統合される。どれだけの混乱があったことか。

廃藩置県の詔を収録した文書が展示されているのを見て、そんなことを思う。

藩ヲ廃シ県ヲ置ク
出典: 明治4年(1871)7月|廃藩置県が断行される:日本のあゆみ

今も安定しているわけでもないか。沖縄返還があって今の47都道府県の形になるのは約100年後の1972年。基地移設問題はじめ「沖縄問題」がたびたびニュースになる。昨日も(この文章は9月30日朝に書いている)も、沖縄県知事選挙の投開票日だった。

年表/HTML:日本のあゆみをざっと眺めるだけでも、江戸末期から昭和にかけての急激な変化が見て取れておもしろい。

ここには最近のものはないけれど、流れては消えていくように見えるニュースのうち、いくつがいつまでアーカイブ(保管)されるのだろうか。ニュースの中には、公文書(アーカイブ)の破棄・改竄・隠蔽・欠落もあったが、それらはどうなったのだろうか。 病んでしまって、悪堕ちたりしていないだろうか? いつか書庫(アーカイブ)を開いたら証拠は見つかるだろうか?悪が飛び出したりはしないだろうか? 希望は残っているだろうか?

こんな調子に『アーカイヴの病』のことをまたぞろ思い出す。

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