『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』を紙の本で読んだ。
どこかでタイトルを見かけて気になっているところに、円城塔さんの「傑作。なにかの到達点」[1]「ゼウスガーデン衰亡史以来の傑作かもしれない」[2]というツイートがダメ押しになった。
タイトルからして題材はゲーム。そして『ゼウスガーデン衰亡史』[3]が挙がるということはきっと偽史物。これは読むしかない。
読み始めたら導入からもう楽しいこと。偽史を追体験するつもりでいたら、2115年に開設されたレトロゲームのレビューサイト――"The video game with no name"を通して未来を振り返ることになるとは。
2115年から振り返れば、今話題のVRもとうに過去の遺物。その視点で34年前の2081年に発売されたナノマシン付属ゲーム「そしてまた去り行くあなたへ」が、2017年視点だと1983年に発売されたファミコンのローンチタイトル『ドンキーコング』に該当する。そんな時間感覚にクラクラする。
なお、初出は「カクヨム」の連載。「<累計10,000HIT御礼>」までが書籍化されていて、まだ続いている。構想では前後編構成で、本書は前編に相当するとのこと[4]。でも、これ1冊でも欲求不満に陥ったりはしないので安心して読んでほしい。実際、前後編構成と知らずに読んですっかり満足したので、「カクヨム」で続きを見つけて驚いている。
この成り立ちもメタい。最初に書いたとおり、この本は架空のレビューサイト"The video game with no name"に掲載されていたテキストの体裁を取っている。だから、自分が読んだのは実在のWebサイトに載っている架空のWebサイトのテキストが紙の本として出版されたものということになる。さらにその紙の本を底本として、電子書籍も出版されていたりして、ここまで来ると一周して元に戻ってきた感がある。
それにしたって、レビューサイトって。2017年現在でもあまり見かけないような(探し方が悪いだけ?)。あとまだ生きているのかwww[5]。と思ったら、今とは違うデータを違うブラウザを通して閲覧しているのね。作中のURLを見るとcstp[9]なんていう存在しないプロトコルが使われている。
そろそろ内容に入ってからの感想を、と思ったけれど、その前に表紙イラストについて少し。描いているのは〈それでも町は廻っている〉の石黒正数さん。イラスト自体が素敵なのはもちろん、ゲーム好きでもあるのでピッタリだ。第79話「歩鳥の戦争」はオンラインゲームが題材だし、それが収録されている10巻のあとがきでは『ウルティマ・オンライン』の思い出話をして、こう締め括っている。
ようやく内容についての感想に。
楽しいこと楽しいこと。レビュー対象がバラエティに富んでいて飽きさせない。そのうえ一本一本も濃い。一気に読んだら、胸焼けしそうなくらい。
色々な意味で楽しいので、順番に。
まず、単純にゲームレビューとして楽しい。それが遊べようと遊べなかろうと、ゲームをおもしろいと言っているレビューはそれ自体がおもしろい。ワクワクする。ゲーム雑誌を買ったら、プレイできるあてのないゲームの攻略まで読み耽っていたことを思い出す。
次に、SFとして楽しい。ゲームをレビューするにあたって当時の時代背景も語られるけれど、2117年視点だとそれが未来の社会の描写となるわけで。「福井県鯖江市」なんていかにも「お役所」がやりそうで笑えるし、「城隍大战」はそこまではしないだろうと頭では思いつつゲーマーならやりかねないと畏怖を覚えたりする[11]。
そのうえ、"The video game with no name"管理人――赤野工作(作者と同名)という1人のゲーマーの追憶の物語としても染みる。彼ほどじゃないけれど、ライトゲーマーというにはゲームに時間を費やし過ぎていて、ヘビィゲーマーというほどやり込んだりはしないけれど、それでも今もちょいちょいゲームで遊び続けている自分に重なるところがあったりして、いろいろな記憶を想起させられる。
そして、そこかしこから溢れ出るゲーム愛。留まる気配が無くてドバドバだ。
過去現在未来全ての低評価ゲームの評価を覆そうとするその試みは、アルティメットまどかさながらである。概念と化したりしないか心配だ[14]。
どこかでタイトルを見かけて気になっているところに、円城塔さんの「傑作。なにかの到達点」[1]「ゼウスガーデン衰亡史以来の傑作かもしれない」[2]というツイートがダメ押しになった。
タイトルからして題材はゲーム。そして『ゼウスガーデン衰亡史』[3]が挙がるということはきっと偽史物。これは読むしかない。
読み始めたら導入からもう楽しいこと。偽史を追体験するつもりでいたら、2115年に開設されたレトロゲームのレビューサイト――"The video game with no name"を通して未来を振り返ることになるとは。
2115年から振り返れば、今話題のVRもとうに過去の遺物。その視点で34年前の2081年に発売されたナノマシン付属ゲーム「そしてまた去り行くあなたへ」が、2017年視点だと1983年に発売されたファミコンのローンチタイトル『ドンキーコング』に該当する。そんな時間感覚にクラクラする。
なお、初出は「カクヨム」の連載。「<累計10,000HIT御礼>」までが書籍化されていて、まだ続いている。構想では前後編構成で、本書は前編に相当するとのこと[4]。でも、これ1冊でも欲求不満に陥ったりはしないので安心して読んでほしい。実際、前後編構成と知らずに読んですっかり満足したので、「カクヨム」で続きを見つけて驚いている。
この成り立ちもメタい。最初に書いたとおり、この本は架空のレビューサイト"The video game with no name"に掲載されていたテキストの体裁を取っている。だから、自分が読んだのは実在のWebサイトに載っている架空のWebサイトのテキストが紙の本として出版されたものということになる。さらにその紙の本を底本として、電子書籍も出版されていたりして、ここまで来ると一周して元に戻ってきた感がある。
それにしたって、レビューサイトって。2017年現在でもあまり見かけないような(探し方が悪いだけ?)。あとまだ生きているのかwww[5]。と思ったら、今とは違うデータを違うブラウザを通して閲覧しているのね。作中のURLを見るとcstp[9]なんていう存在しないプロトコルが使われている。
そろそろ内容に入ってからの感想を、と思ったけれど、その前に表紙イラストについて少し。描いているのは〈それでも町は廻っている〉の石黒正数さん。イラスト自体が素敵なのはもちろん、ゲーム好きでもあるのでピッタリだ。第79話「歩鳥の戦争」はオンラインゲームが題材だし、それが収録されている10巻のあとがきでは『ウルティマ・オンライン』の思い出話をして、こう締め括っている。
ゲームに理解の無い歩鳥め…ゲームは楽しいし、こうやってマンガのネタにもなるんだ。
ようやく内容についての感想に。
楽しいこと楽しいこと。レビュー対象がバラエティに富んでいて飽きさせない。そのうえ一本一本も濃い。一気に読んだら、胸焼けしそうなくらい。
色々な意味で楽しいので、順番に。
まず、単純にゲームレビューとして楽しい。それが遊べようと遊べなかろうと、ゲームをおもしろいと言っているレビューはそれ自体がおもしろい。ワクワクする。ゲーム雑誌を買ったら、プレイできるあてのないゲームの攻略まで読み耽っていたことを思い出す。
次に、SFとして楽しい。ゲームをレビューするにあたって当時の時代背景も語られるけれど、2117年視点だとそれが未来の社会の描写となるわけで。「福井県鯖江市」なんていかにも「お役所」がやりそうで笑えるし、「城隍大战」はそこまではしないだろうと頭では思いつつゲーマーならやりかねないと畏怖を覚えたりする[11]。
そのうえ、"The video game with no name"管理人――赤野工作(作者と同名)という1人のゲーマーの追憶の物語としても染みる。彼ほどじゃないけれど、ライトゲーマーというにはゲームに時間を費やし過ぎていて、ヘビィゲーマーというほどやり込んだりはしないけれど、それでも今もちょいちょいゲームで遊び続けている自分に重なるところがあったりして、いろいろな記憶を想起させられる。
そして、そこかしこから溢れ出るゲーム愛。留まる気配が無くてドバドバだ。
表向きには“未来のゲームをレビューするSF小説”ということになっているが、その実は“未来のゲームに対してつけられるであろう低評価を、著者が今の段階で否定しておく”という狂気とも言える内容なのである。とまで書いているコラム[12]もある。対談[4]でも作者自身で
未来のゲーマーに対して、予言として「お前らはこういう低評価をつけるだろうけど、俺はおもしろく思ってるんだぞ!」とひと言残しておきたいと思ったことがきっかけと話されているのでそういうことなんだろう。しかも、ニコニココミュニティ[13]では過去の低評価ゲームの評価を再検証するため、実況動画も配信されているとのこと。
過去現在未来全ての低評価ゲームの評価を覆そうとするその試みは、アルティメットまどかさながらである。概念と化したりしないか心配だ[14]。
[1] EnJoe140で短編中さんのツイート: "傑作。なにかの到達点。 ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム #bookmeter https://t.co/pBDzHFOvfi"
[2] EnJoe140で短編中さんのツイート: "ゼウスガーデン衰亡史以来の傑作かもしれない。"
[3] 自分は本作の方がずっとのめり込めた。読んだタイミングもあるだろうけれど、何より自分は『ゼウスガーデン衰亡史』が題材にしているテーマパークより、本作が題材にしているゲームの方がが好きだからだろう。テーマパークに行くときにも待ち時間に遊ぶために携帯ゲーム機を持参するくらい。
[4] 【対談:「ゲームキッズ」渡辺浩弐×赤野工作】「そのゲームが面白くないなら、遊んでるヤツがつまらない」ゲームレビューの文学性とメタフィクションの可能性とは?
[5] World Wide Webの略で、「草生える」というわけではない[6]。いや、笑ったけれども。
[6] この脚注を書いていて「草生える」が通じない可能性に思い至る。
[7] 「笑える」という意味のネットスラング。「www」とか「草」とか「ワロス」とか遡りだすの切りがないので、このあたりで。それにしたって、こんなネットスラングも、もう時代遅れですかね[8]。
[8] 本書に影響され過ぎである。
[9] 連載ではvrtpになっている。変更したのは先行文献[10]で使われていたからか。
[10] Brutzman, D., Zyda, M., Watsen, K., & Macedonia, M. (1997, June). Virtual reality transfer protocol (vrtp) design rationale. In Enabling Technologies: Infrastructure for Collaborative Enterprises, 1997. Proceedings., Sixth IEEE Workshops on (pp. 179-186). IEEE.
[11] 位置情報ゲーム"Ingress"の高レベルエージェントがやっていることを思い出せば、ね?
[12] 好きなゲームをクソゲーと言われ悔しくて作家デビューした人物の“ゲームSF小説”を読み解く、そこにはゲームレビューの可能性が秘められていた - ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム
[13] 低評価ゲームの魅力を検証しよう!-ニコニコミュニティ
[14] アルティメットまどかについては『魔法少女まどか☆マギカ』を参照されたい。作中の赤野工作なら概念にはならずとも情報生命体くらいにはなってもおかしくない気がしてきた。
[2] EnJoe140で短編中さんのツイート: "ゼウスガーデン衰亡史以来の傑作かもしれない。"
[3] 自分は本作の方がずっとのめり込めた。読んだタイミングもあるだろうけれど、何より自分は『ゼウスガーデン衰亡史』が題材にしているテーマパークより、本作が題材にしているゲームの方がが好きだからだろう。テーマパークに行くときにも待ち時間に遊ぶために携帯ゲーム機を持参するくらい。
[4] 【対談:「ゲームキッズ」渡辺浩弐×赤野工作】「そのゲームが面白くないなら、遊んでるヤツがつまらない」ゲームレビューの文学性とメタフィクションの可能性とは?
[5] World Wide Webの略で、「草生える」というわけではない[6]。いや、笑ったけれども。
[6] この脚注を書いていて「草生える」が通じない可能性に思い至る。
[7] 「笑える」という意味のネットスラング。「www」とか「草」とか「ワロス」とか遡りだすの切りがないので、このあたりで。それにしたって、こんなネットスラングも、もう時代遅れですかね[8]。
[8] 本書に影響され過ぎである。
[9] 連載ではvrtpになっている。変更したのは先行文献[10]で使われていたからか。
[10] Brutzman, D., Zyda, M., Watsen, K., & Macedonia, M. (1997, June). Virtual reality transfer protocol (vrtp) design rationale. In Enabling Technologies: Infrastructure for Collaborative Enterprises, 1997. Proceedings., Sixth IEEE Workshops on (pp. 179-186). IEEE.
[11] 位置情報ゲーム"Ingress"の高レベルエージェントがやっていることを思い出せば、ね?
[12] 好きなゲームをクソゲーと言われ悔しくて作家デビューした人物の“ゲームSF小説”を読み解く、そこにはゲームレビューの可能性が秘められていた - ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム
[13] 低評価ゲームの魅力を検証しよう!-ニコニコミュニティ
[14] アルティメットまどかについては『魔法少女まどか☆マギカ』を参照されたい。作中の赤野工作なら概念にはならずとも情報生命体くらいにはなってもおかしくない気がしてきた。