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バイアス by us

『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』を読んだ。

すでにAmazonに49のレビューがついているくらいだから、既にたくさんの人が読んだんだろうけれど、もっと多くの人に読んで欲しいと思う。多くの人に読んでもらえるだけの、読みやすさもある。

フードファディズム(効果が疑わしい健康食品・ダイエット食品への傾倒)や、マイナスイオンなどのニセ科学、それから環境ホルモンなど過大評価されているリスクについて、とても丁寧に解説してくれている。自分は特に化学物質について、分かっていなくて、印象を持っていただけだということがよく分かった。特に、次の2点。

まず、「無毒性許容量」と「致死量」の違い、それから前者に安全率をかけた「一日摂取許容量」の意味するところ。DHMOのジョークを笑っている場合ではなかった。

次に、化学物質はそもそも自然に存在していて、添加物には自然由来のものもあるし、添加しなくても植物が天然農薬を作ることもあるということ。無添加・無農薬の有機栽培と聞くととても健康的に感じるけれど、次のように、意味がなかったりデメリットが大きかったりすることがあるそうだ。
  • その添加されなかった物質は、他の食品が自然に含んでいて、無添加による減少は誤差レベル
  • 無農薬栽培したら、天然農薬がよりたくさん作られてかえって危険になる
  • 有機栽培のために化学肥料を使わないせいで、面積あたりの収穫量が減る
たしかがんばれゴエモンの村人だったと思うんだけれど、「健康のためなら死んでもええっ!!」というセリフを思い出す。

それから、誤解を改めるのと同じくらい重要なのが、これからそういう情報に踊らされないようにすること。本書にはそのための十箇条もある。ちょっと漠然としているものもあるけれど、比較的簡単にできる次の3点を抑えるだけでも、随分と冷静になれると思う。
  1. 「○○を食べれば……」といういような単純な情報は排除する
  2. 「危険」「効く」など極端な情報は、まず警戒する
  3. その情報がだれを利するか、考える
間違っていた何かを後から笑うのは簡単だけれど、それは次のいずれかだと思う。
  • そもそも何も判断していない(から間違えるもなにもない)
  • 間違えていたけれど、なかったことにしている
  • 後知恵バイアスに捕まっている
情報を発信した人を非難するのは簡単だけれど、相手を変えようとしているのでなければ、それは自己中心的なストレス発散でしかない。自分の判断を変えるようにする方が、簡単で効果的だ。話が分からない何人もの相手をする必要はなくて、ただ1人だけ変えればいいのだから。

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