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緊急の貧窮

雑誌『COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2011年 11月号』を読んだ。

今月の特集は『世界を「もっと良くする」仕事』。
慈善活動ではなく、経済活動で世界を良くしようとしている人・組織を紹介している。

P. 45の「あなたもできる“貧困層への融資”」という3分の1ページほどの小さな記事が気になった。
数日前にその融資の流れを映像で見ていたからだ。
借金の流れを地図上に可視化したらすごいことに / Five years of Kiva lending and borrowing http://www.design-thinking.jp/2011/09/five-years-of-kiva-lending-and.html via @ojorijp 借金とあるけれど、マイクロファイナンス。
Twitter / @SO_C: 借金の流れを地図上に可視化したらすごいことに / F ...
映像を公開しているのはKivaという組織で、そのKivaがまさに貧困層への融資を行っている組織だ。
ここでいう融資は、貧困層向けの小口の融資でマイクロファイナンスと呼ばれている。

このマイクロファイナンスの先駆けがグラミン銀行で、その創始者ムハマド・ユヌスという人。
この記事の記事『ノーベル平和賞受賞者に学ぶ「社会起業家になる方法』でその著作『ソーシャル・ビジネス革命』が紹介されている。
ちなみにノーベル平和賞を受賞したのは、マイクロファイナンスが貧困対策として有効だと認められたことによる。

ところが、このムハマド・ユヌス、半年ほど前にバングラデシュ中央銀行からグラミン銀行総裁を解任されている。
少しネット調べた限りだと、高い利子や資金の流用疑惑が問題視されていたみたい。
一方で、政府との対立もあったという記事もあって、よく分からないことになっている。

貧困が減るならそれに越したことはないと自分は思っているけれど、でも、貧困ビジネスなんて言葉もあるみたいで、減らない方が都合が良いと思っている人もいるのだろうな、と。

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