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He Knows Well about the Nose - 匂いの人類学 鼻は知っている

『匂いの人類学 鼻は知っている』を読んだ。

タイトルが硬そうだからという理由で敬遠されていたら、もったいないなと思う(逆もあるだろうけれど)。言っていることの大半は真面目なのだけれど、「題8章 ハリウッドの精神物理学――匂いつき映画の盛衰」のような好奇心をくすぐるような話題が取り上げられたり、「つけ加えておくと、この研究は、時間の有り余った感覚心理学者の存在をも裏付けている」(ちなみに研究内容は、母親による自分の子供のオムツは臭くないという主張の検証)のような皮肉が散りばめられていたりしていて、愉快に読めた。各章が短めでつながりが緩やかなので少しずつ読んでも読みやすいだろうに、一気に読んでしまった。

章タイトルは次の通り。
  • 第1章 匂いの迷路――匂いの数とカテゴリー
  • 第2章 匂い分子が支配する世界――匂いの化学分析
  • 第3章 鼻がきく人たち――無嗅覚症から超嗅力まで
  • 第4章 嗅覚の指紋――スニッフィング・メカニズム
  • 第5章 味覚と嗅覚――料理と文化と匂いの進化
  • 第6章 体に悪い匂い――悪臭に襲われる人たち
  • 第7章 嗅覚的想像力――匂いと嗅覚型芸術家
  • 第8章 ハリウッドの精神物理学――匂いつき映画の盛衰
  • 第9章 ショッピングモールのゾンビ――匂いのマーケティング戦略
  • 第10章 よみがえる記憶――プルーストのふやけたマドレーヌ
  • 第11章 嗅覚ミュージアム――匂いの絶滅危惧種
  • 第12章 嗅覚の運命――嗅覚装置と嗅覚遺伝子

印象が強かった第10章、第11章にについて簡単に(最後に読んだからよく覚えているだけという可能性も低くないが)。

第10章では、いわゆる「プルースト効果」が話題と言えば話題なのだけれど、プルースト効果の実証に躍起になる心理学者を強く否定している印象が強い。下記なんかとくに辛辣。
いくらうまく書かれているからといって、一冊の小説が、どうしたら科学研究における心理の基準になりうるのか? 次は何が起こるのだろう? ダニエル・スティールの仮説を引っ張り出すのか? スティーヴン・キングが教父の精神医学的理論をインスパイアするのだろうか?
しかし、ただふざけているというわけでもない。次の言葉が切実に聞こえる。
なぜ研究者らは自ら匂いの博物学に目を向けようとしないのか、架空のエピソードに基づいて研究を進めようとするのか、ということのほうがよほど大きな問題だ。
匂いの研究に限らず、それどころか研究にさえ限らず、物事の捉え方一般に関わる問題だと思う。

第11章に入ると、プルーストの話はきれいになくなって、匂いの記憶ならぬ匂いの記録問題。第10章最後が、匂いから思い浮かべられる記憶の方が、プルーストの書いたような記憶よりも有用だという話だったからすんなり入れる(著者は、匂いと記憶が関係していることは否定していない。否定しているのは、その関係を特別視していること)。匂いが記憶を思い浮かべる手助けをしてくれるのだとしても、匂いがなくなってしまったら元も子もない。そして、得てしてそういう匂いは、ある光景に紐付く匂いは、いくつも入り交じった結果として生まれているので、アーカイヴが難しいという話。アーカイヴについてはたびたび考えているのだけれど、匂いのアーカイヴについては考えたことがなかった。

とにかく芳香から悪臭まで話題が広範で、おもしろかったところを挙げ出すとキリがなくなるので、このあたりで。

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