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Who Can Do That? - 5歳の子どもにできそうでできないアート

『5歳の子どもにできそうでできないアート――現代美術 (コンテンポラリー・アート) 100の読み解き』を眺めた。

ジャンル問わずさまざまな作品が載っていて、眺める分には楽しい。トニー・クラッグというアーティストの『ニュー・ストーンズ、ニュートンズ・トーンズ』がおもしろかった。道端のプラスチックゴミを集めて、虹色にグラデーションするよう並べた作品。366x244cmあるそうなので、目の前にしたら壮観だったろうな、と思う[1]。

ただ、フォーマットが画一化されているので、1作品目から順を追って読んでいくと、ちょっとくどい。「子どもにもできそうなものだ」「子どもにはとうてい不可能であろう」というような言葉の反復に、食傷気味になる。

大人にだってまず不可能だろう。できる方が例外的なのでは?

というようなことを考えていたけれど、よく考えたらこれは子ども向けの本ではない。「これくらい自分にもできる」と譲らない子どもの鼻を折るための本ではない。原題 "Why Your Five Years Old Could Not Have Done That" からすると、拡大解釈含みで「これくらい私の子どもにだってできる」とか「できたはずなのに」と思っている親にあていた本だろう。

安易な「他人でもできる」という言葉は、対象をひどく貶めているように思うーーもっと言えば作者の否定とさえ。

ところで「私の子どもだってできる」と言うその人自身は、「自分でもできる」とは思っているようには見えないのおもしろい。

[1] シリーズ作品のひとつとのことなので、大きな部屋にシリーズをタイル状に敷き詰めたところなんか見てみたい。

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