『哲学入門 (ちくま新書)』を読んだ。
「序 これがホントの哲学だ」に書かれている次の一節が、本書の特徴を端的に表現している。扱う問題は〈自我〉とか〈自由〉とか古典的だが、他の多くの入門書と違い特定の哲学者・学派について解説されたりしない。
代わりに、唯物論的・発生的・自然主義的なアプローチで古典的な問題にアプローチする。自分の理解だと、唯物論的=世界に実体が存在するのはモノだけで自我や自由は認識できるが実体はない、発生的=自我や自由は初めから存在したわけではなく段階的に発生した、自然主義=科学的に反証された仮説は棄却する。
これまでに読んだことのある一般向けの哲学書とは違ったアプローチで新鮮だった。特に、自然主義的なアプローチなのが新鮮。哲学の入門書に書かれているのは、歴史上有名な哲学者の解説かそれを踏まえた著書の哲学が多いけれど、どちらも基本的に内省だからほとんど反証できない。本によって、定義や解釈が違うのもそんなに珍しくないくらい。
そういうアプローチを選んだため、この本は〈自我〉やら〈自由〉やらがモノから発生したシナリオを科学の知見を引きながら構築していく。とてもスリリングだ。記号/表象といったいかにも哲学的な話から、アフォーダンスの話、情報理論の話まで出てきて、色々と想像が広がる。思い浮かんだ主な本はこのあたり。ものすごく乱暴に自分の今の認識をまとめると、合理的な思考は、進化の後半に手に入ったもので、全く直観的ではない。環境や身体から独立した思考は、現実には存在しない。思考は環境や身体から影響を受けるし、逆に影響を与えもする。こんなところ。たとえば、頭では分かってはいても簡単に欲望に負けてしまうし、体調が悪いと思考もネガティブになるし、ハサミを持てば何か切りたくなるし、自分の身の回りには思考(嗜好?)を反映させている。
「序 これがホントの哲学だ」に書かれている次の一節が、本書の特徴を端的に表現している。扱う問題は〈自我〉とか〈自由〉とか古典的だが、他の多くの入門書と違い特定の哲学者・学派について解説されたりしない。
本書は二〇〇〇年以上におよぶ哲学の歴史と問題を共有している。しかし本書には歴史上有名な哲学者はほとんど出てこない。
代わりに、唯物論的・発生的・自然主義的なアプローチで古典的な問題にアプローチする。自分の理解だと、唯物論的=世界に実体が存在するのはモノだけで自我や自由は認識できるが実体はない、発生的=自我や自由は初めから存在したわけではなく段階的に発生した、自然主義=科学的に反証された仮説は棄却する。
これまでに読んだことのある一般向けの哲学書とは違ったアプローチで新鮮だった。特に、自然主義的なアプローチなのが新鮮。哲学の入門書に書かれているのは、歴史上有名な哲学者の解説かそれを踏まえた著書の哲学が多いけれど、どちらも基本的に内省だからほとんど反証できない。本によって、定義や解釈が違うのもそんなに珍しくないくらい。
そういうアプローチを選んだため、この本は〈自我〉やら〈自由〉やらがモノから発生したシナリオを科学の知見を引きながら構築していく。とてもスリリングだ。記号/表象といったいかにも哲学的な話から、アフォーダンスの話、情報理論の話まで出てきて、色々と想像が広がる。思い浮かんだ主な本はこのあたり。ものすごく乱暴に自分の今の認識をまとめると、合理的な思考は、進化の後半に手に入ったもので、全く直観的ではない。環境や身体から独立した思考は、現実には存在しない。思考は環境や身体から影響を受けるし、逆に影響を与えもする。こんなところ。たとえば、頭では分かってはいても簡単に欲望に負けてしまうし、体調が悪いと思考もネガティブになるし、ハサミを持てば何か切りたくなるし、自分の身の回りには思考(嗜好?)を反映させている。