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3月, 2015の投稿を表示しています

secure curiosity - アゲインスト・リテラシー

『アゲインスト・リテラシー ─グラフィティ文化論』を読んだ。街中で見ること・見られることについて考えるいい機会になった。 まず、見ることについて。特に、街中の風景について。 風景は誰のものでもない。みんなの=公共のものだ。でも、私企業は広告で風景を侵害している。 第1章の「バンクシーズ・リテラシー」で紹介されるストリート・アーティスト・BANKSYが描くグラフィティには、そんな屋外広告に対するアンチテーゼが込められている(ものもある)。"There's no such thing as good publicity" (よい広告なんて存在しない)なんてメッセージの作品もあるし、作品集 『BANKSY YOU ARE AN ACCEPTABLE LEVEL OF THREAT』 には、こんな言葉が載っている。 公共の場にある広告は選択肢を与えない。 見るか見ないかは君の選択だ。それは君のものだ。君の所有物だ。 並べ替えろ。再利用しろ。 自分は電車内の写真週刊誌の広告が嫌いだ。子供も利用する公共交通機関内に吊り下げるようなものじゃないと思っている。だから主張には肯ける。方法は違法だけれど(でも、子供っぽいから、アウトサイダー・ヒーローが格好良く見えたりもする)。 反対に見られること=監視カメラにも批判的だ。監視カメラの向く先に"WHAT ARE YOU LOOKING AT?"なんてメッセージを残してもいる。将来、もしドローンが飛び交うようになったら、ドローンにも何かしでかしそう。アンチドローンのアートと言えば、『第18回文化庁メディア芸術祭』で展示されていた "Drone Survival Guide" を思い出す。 ところで、監視カメラやドローンに負けず劣らず、ケータイのカメラも恐い。勝手に撮った他人の写真をSNSに投稿して笑いものにするとか、既に問題も出てきているし。 『量子怪盗』 に出てきた〈結界(グヴロット)〉(情報交換を完全にコントロールできる便利ガジェット。せいぜい人がいることしか分からなくすることができる)みたいなの、できないかなぁ。

心身神侵 - レターズ/ヴァニシング (2)

『レターズ/ヴァニシング (2) 精神侵食』を読んだ。まず、続編が出たのが嬉しい。今回もハードでヘヴィ。グロテスクだけれど美しい。 前作 の登場人物も出てくるけれど、主役だった虎風と姫晴の影は薄め。今作の中心は、新キャラクタの大地と亜季、千里、それから前作からは鵬珠と雪乃だった。 増えたのはキャラクタだけじゃない。前作で導入された〈世界言語〉とオフスプリオリの設定を土台に、さらにその上で人工臓器や人工知能の設定が展開される。アイデンティティの問題も大きく扱われていて、ハードSFの様相を呈している。 キャラの多さに比例して視点の切り替えが、設定の密度に起因して説明的な台詞が多い。その上、ミステリィ形式で終盤で一気に収束するから、中盤までワーキングメモリ不足に陥っていた。でも、不足しているなりに理解したいと思えていたのは、各キャラが世界を認識するフィルタと設定内容が解きがたく絡み合っているからだろう。 でも、やっぱり忘れていたことが多かったので、前作を読み返した上でもう一度読みたい。 ところで、こうしてシリーズ2作目を読んだ今だと、シリーズを通した主役は鵬珠なんじゃないかと思えてくる。各巻単体の主役はそれぞれ別に存在しているのだけれど、彼女だけが1, 2巻続けて事件の渦中にいて次第に変容(成長?)している。

アーキテクチャの歩き方 - ソフトウェアシステムア-キテクチャ構築の原理 第2版

『ソフトウェアシステムア-キテクチャ構築の原理 第2版』を第一部だけ読んだ。 第一部までに書かれているのは、ソフトウェアアーキテクチャという概念の整理、それを設計するソフトウェアアーキテクトが果たす役割について。 エッセンスが図5-3「コンテキストにおけるアーキテクチャ定義とアーキテクト」にまとまっている。復習がてらGraphvizで描いてみた。 予備知識なしにこれを見てもどこから見ていけば分からないけれど、第1部まで読んだ今だと、各章の記載を思い起こすトリガになる。ビューポイントは関心事のうち機能的なのに、パースペクティブは横断的なのに対応するんだったなぁ、とか。 図には出てこないけれど、印象に残ったのはアーキテクトとして行う最も重要な判断。こんな風に書かれている。 あることが気をもむほど重要であるか、それとも、詳細設計局面まで安全かつ適切に放置して置けるか、つまり、アーキテクチャ的に重要かどうかの判断 懸案ばかり詳細化しようとしてしまって、他を放置しておけるかあまり考えていない気がする。それで別のリスクを見落としたり、もっとひどい時は重要さを無視して、できるところばかり進めてしまったりも。 ともあれ、曖昧模糊としていた「アーキテクチャ」という概念について、とっかかりが掴めて良かった。ほんの入り口だろうけれど。

テクスチャとアウトライン

This work by SO-C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International License . テクスチャがあると、ソフトにするとディテールが失われてアウトラインが際立つ。 This work by SO-C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International License . テクスチャがないと、シャープにすると境界がクリアになってアウトラインが際立つ。 なんて思ったのは、この2枚をたまたま同じ日に撮って並べて眺めていたからか。

西瓜 - ガブリエル・オロスコ展-内なる複数のサイクル

「東京都現代美術館で ガブリエル・オロスコ展 を観てきたよ。写真が面白かった」 「どんな写真があったんですか?」 「梶井基次郎の 『檸檬』 みたいなの。『猫とスイカ』なんか場所とモノのミスマッチが楽しい。店先の山になったスイカそれぞれに、猫缶が載ってるの」 「『檸檬』では本屋さんの棚に檸檬が置かれたんでしたっけ」 「そうそう。日常的なものどうしなのに、組み合わせるとおかしな感じになるの、面白いよね」 「そういうの好きですよね。この間も 水飲み場の電球の写真 を撮っていましたし」 「うん。日常系ミステリィって感じだよね!!」 「え、そっちに行くんですか?」 「そう言えば『檸檬』みたいなとくに裏のない思いつきってミステリィだと禁じ手だな」

ヒヨドリの彩り- 河津桜

「 去年 に引き続き、河津桜を観てきたよ」 This work by SO-C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International License . 「また小鳥」 「今年はメジロはみかけなかった。こいつはヒヨドリでいいのかな?」 「ほっぺたが赤いのがかわいいですね」 「調べて見ると、日本では広く見られるけれど、どこに渡っているかよく分かっていないとか、色々と面白いね」 ヒヨドリはスズメやカラスがいない島々にも分布しており、日本で最も広く見られる鳥といえる一方、日本列島周辺にしかいない。「どこのヒヨドリがどこまで移動するのか」はよくわかっていないが、外国のバードウォッチャーにとっては珍しい鳥であることは間違いない。 『実は日本近辺にしかいないヒヨドリの不思議:日本経済新聞』 This work by SO-C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International License .

時がないと解決できない - 7つの習慣

『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』をパラパラと眺めてみた。 5年振り くらい。いまだにピンと来ない。いつか来るんだろうか。来ない気がする。 ま、いいか。 〈農場の法則〉、以前に読んだときも気になったけれど、今回も気になった。 必要な務めを果たし、定まった手順を踏まなければならない。種を蒔いたものしか刈り取れない。そこに近道はないのだ。 『UNIXという考え方』 の〈人間による三つのシステム〉でも、近道がないと言っている。 では、どのようにすれば、第三のシステムを作れるのだろうか? 最初に他の二つのシステムを作るのだ。それ以外の方法はない。 『スプライトシュピーゲルIV』 の次の一節も。 悪法の中には、通過儀礼のように必ず経験せざるをえないものがある。 そう言えば、テスト駆動開発のRed/Green/Refactorサイクルも、テストNGや仮実装を通過する。 一方で、スパゲッティコードを捨てて作り直したくなる衝動に負けると、同じ経過を辿ってまたスパゲッティコードが出来上がったりもする。 我々の直面する重要な問題は、その問題をつくったときは同じ思考のレベルでは解決することはできない。 というアインシュタインの言葉を思い出す。 一足飛びに解決できない類の問題がある。そういう問題と戦うときは、最初の結果を受けて、問題や解法を洗練させていかないと、堂々巡りになりかねない。 そういうことかなぁ。

Wannabe Nice - Zebrahead/Greatest HIts?

Zebraheadの"Greatest Hits?"を聴いている。 "?"にどんな思いがあるのか、想像が膨らむ。 と言うのも、このバンドは2004年にボーカルが替わっていて、それ以前の曲が収録しなおされているから。 Spice Girlsのカバーの"Wannabe"がお気に入り(これは録りなおし)。あと、比較的最近の曲だと"Get Nice"も。 一番広く知られているのは、Avril Lavigneがカバーした"Girl Friend"かな?

vs Vis - インフォグラフィック

『インフォグラフィックス』を読んだ。 著者の作品解説がメインだったけれど、想像していたよりは技法(テクニック)寄りだった。漠然とだけれど、もっと技芸(アート)寄りかと思っていたので、少し身近に感じられた。 でも、やっぱりしっくりこない。特に、3. Graph。 『統計でウソをつく法』 や 『エンジニアのためのデータ可視化[実践]入門』 でウソや過ちとして紹介されそうな3D系のグラフが載っている。誤解を与える可能性について言及しているから、多少は控えているのだろうけれど、自分の許容範囲を超えている。 それでも最後まで読んだら、載っていたワークショップ参加者の声がキッカケで、多少はスッキリした。端的に言うと、インフォグラフィックは単方向ブロードキャスト。可視化は双方向インタラクション。グラデーションはあるにせよ。 言い換えると、インフォグラフィックの目的は、誤解の少ないコミュニケーションや発見的なディスカッションじゃない。発信者不在の状況で発信者の意図を通すことだ。例えば、路線図は乗客だけで見ると想定されている。UMLでコミュニケーションしたり、可視化したデータを見せてディスカッションしたりするのと対照的。 と、ここまで考えて先日読んだ 『阿部博史氏×櫻田潤氏対談(前編)~データジャーナリズムとインフォグラフィック~ - WISDOM』 のこの部分と繋がった。 インフォグラフィックは、編集の要素が入っていてストーリーに見る側を巻き込みやすい データビジュアライズは、読み手への要求度が高い一方、透明性も高い 随分遠回りした気分。でも、上の記事を読んだときは全くピンと来なかったから、必要な道のりだったと思っておこう。

savor every moment - テスタメントシュピーゲル2

『テスタメントシュピーゲル2』を読んだ。 最後に至っても作中時間は『1』からほとんど進まない。『2』は、『1』でMPBの視点で描かれた事態の進行を、MSSの視点で再度追う形。『オイレンシュピーゲル肆』と『スプライトシュピーゲルIV』の関係と同様。 でも、『1』で植え付けられた不安が随分と払拭された。やってくれたのは冬真。特甲児童を救うため、混沌として何が何だか分からなかった事象に、ちょっとずつではあるけれど光を当ててくれている。ようやく輪郭が浮かび上がってきたように思う。 加えて、最後にわずかに進んだ作中時間で、『1』のラストでは点に過ぎなかった希望の光が、周囲を照らし始める。ついにMPBからは〈猋(ケルベルス)〉の3人、MSSからは〈焱の妖精(フォイエル・スプライト)〉の3人が合流しそう。MSSの接続官(コーラス)=水無月も面白いことになってきた。MPBの接続官=吹雪は、このまま捕われのヒロインポジションなのかな? そして、9人目の冬真。彼と鳳(あげは)の再会がクライマックスになりそう。 ところで、この巻の雛(ひびな)がとても素敵。『スプライトシュピーゲルI』での第一印象では、ライトノベルにしても狙い過ぎに感じたし、その後もこれといって(他が強烈過ぎて相対的に)強烈なエピソードがなかった [1] 。それが、この巻では、身勝手/狡猾/健気/勇敢。報われて欲しい。 [1] 『スプライトシュピーゲルI』の感想で、「こんなパーソナリティないだろうと思う」とか「今のところ『オイレンシュピーゲル』の方が好み」とか書いていたくらい。

めぬき・さぬき・たぬき - ナンバーガール (2)

「『ナンバーガール (2)』を読んだよ。クローンの16人にちょっとずつ差が出てきて面白い。16が可哀想」 「面白いのか可哀想なのかどっちですか」 「可哀想なのが面白い」 「いじめ?」 「そんな陰湿じゃないけれど、その萌芽かもしれんね。明確な理由はないのに、ふとしたちょっとしたキッカケでいわゆる〈いじられキャラ〉が定着してしまうのが」 「字面も似ていますしね」 「〈いじめる〉を目抜き通りで見せようとすると〈いじる〉になるわけか。うまいこと言った!!」 「どや顔がウザいです」 「あれー、いじめられてる? それともいじられてる?」 「自分で考えたらどうですか?」 「さわやかに言っても、讃岐じゃワヤか」 「鎌倉ハムのCMですか」 「狸が助かると頭蓋骨になる」 「それはスカル。って、それ助かっていないんじゃ」 「助かるはずがスカるわけだな」 「高嶺の花も買えてしまいそうですね」 「そして、ウドの大木を同田貫で斬るとボクの胃になる」 「アナグラムもありですか」

メメント・テスタメント - テスタメントシュピーゲル1

『テスタメントシュピーゲル1』を読んだ。MPBは〈猋(ケルベルス)〉の3人=涼月+陽炎+夕霧と、MSSは〈焱の妖精(フォイエル・スプライト)〉の3人=鳳+乙+雛がこれまで以上に密接に絡む。それから、MPBの接続官・吹雪とMSSの解析課要員・冬真も。 読んでいると不安になる。視点が安定しないからだと思う。特甲児童の一人称で書かれている場面が多いのだけれど、失っている記憶のフラッシュバック(しかも直後に忘却される)や特甲児童間の感覚の共有があるせいで、各キャラクタへの見方が揺らぐ揺らぐ。 この揺らぎは、あとがきで繰り返し書かれている本シリーズのコンセプト="複数の視点から物語を見つめる"を象徴していると思う。複数の視点は、複数に人間によってもたらされるとは限らない。一人の人間の視点だって見方は変わり得る。分かりやすいのは、涼月の両親に対する認識。 こんな風に、同じ人間が同じエピソードに対して全然違う認識をするのは、おかしなことじゃない。叙述トリックが駆使されたミステリィを読むと、それを実感できる。解決編まで読むと、これまで読んできた文章が全く違った意味を持つようになる(のだけれど、そうじゃない人もいるみたい。解決編が何を言っているのか分からない人がいる、という話を聞いた記憶がある)。 この不安は『2』で解消されるのだろうか。何となくされないような予感がしている。『1』の軸足は〈猋〉だったので、きっと『2』は軸足を〈焱の妖精〉に移して時間的には並行しているんじゃないかな。そこから『3』で合流しそう。合流してから前後編的に『4』までいきそう。『オイレンシュピーゲル』も『スプライトシュピーゲル』も4冊あるから、『テスタメントシュピーゲル』も4冊あるのが美しい。 『2』で決着しないとすると、いつになるんだろうか。『2』が出たのが、ほんの半年前で、『1』から4年以上経ってのこと。ここまで来たらずっと待つから、是が非でも決着させて欲しい。それも、みんなに希望のある形で。

スマホの魔法 - スマホに満足してますか?

『スマホに満足してますか?~ユーザインタフェースの心理学~』を読んだ。 タイトルや帯の惹句「みんなジョブズにダマされてる!?」は煽り文句。文体からも内容からも、こんな攻撃性は感じられない。輪郭もクリアじゃなくて、エッセイ集のような印象。もちろん主題はユーザインターフェース (UI )なんだけれど、自分がUIと聞いた時に想像するよりずっと広い範囲のトピックを扱っている。 この本の主張は、 『UNIXという考え方』 で読んだ考え方とちょくちょく反対なのが面白い。例えば、〈受動的なインタフェース〉は、〈沈黙は金〉と対照的だ。他にも、この本には〈階層型ファイルシステムの憂鬱〉なんて節がある一方で、UNIXでは〈階層的に考える〉文化がある。 この違いはユーザとしてどんな人として想定しいるかの違いに由来するんだろう。自分の感覚でその違いを表すと、〈コンピュータに何かをして貰いたい人〉と〈コンピュータに何かをさせたい人〉。あるいは、コンピュータに対する期待値の違いかもしれない。やりたいことについて、コンピュータに「これくらい簡単にやってくれよ」と思うか、「あれとこれとそれを教えてあげないといけないな」と思うか。 別の切り口だと、キーボードショートカットでの操作はマウス操作より遅いという実験が紹介されていて [1] 、驚いた。どんなユーザがどんなタスクをする時の操作なのか詳しく触れられていないので今のところは半信半疑だけれど、これも〈過度の対話的インタフェースを避ける〉UNIXの考え方とは相性が悪い。 でも、エンドユーザコンピューティングに話が移ると、ぐるっと一周して繋がりそう。〈例示プログラミング〉の節で紹介されているDynamic Macroって、レビューを読む限りではあるけれど『実践Vim』で強調されているらしい"."コマンドに繋がるんじゃないだろうか。Emacsもあるし、VimがUNIX文化を体現しているかどうか自信がないけれど。 いずれにせよ、余計な手間をかけないで、コンピュータの力を使ってハッピーになる方法を考えるのは面白い。うまく仕込めばワンクリックで終わらせることだってできる。まるで魔法。 [1] AskTog: Keyboard vs. The Mouse, pt 1 , pt 2

スクリプトとシステムとデザイン - UNIXという考え方

『UNIXという考え方~その設計思想と哲学』を読んだ。 奥付を見ると、初版が発行されたのは平成13年。西暦に直すと2001年。もう14年も前だ。でも、この本の内容は今でも通用する。書かれているのが、TIPSなどではなく、設計思想だから。設計に迷った時、従うべき原則は長期間そんなに変わらない。 その内容は、9つの定理としてまとめられている。 スモール・イズ・ビューティフル 一つのプログラムには一つのことをうまくやらせる できるだけ早く試作を作成する 効率より移植性 数値データはASCIIフラットファイルに保存する ソフトウェアの梃子を有効に活用する シェルスクリプトを使うことで梃子の効果と移植性を高める 過度の対話的インタフェースを避ける すべてのプログラムをフィルタにする 2, 6, 7, 8, 9は互いに補い合っている。最近、 『継続的デリバリー』 を読んでデプロイメントパイプラインを部分的に実装しようしていて、それを実感している。 デプロイメントパイプラインでは多くのタスクを取り扱うから、一つのプログラムで幾つかのことをやらせようとすると、あっと言う間にスパゲッティが出来上がる。でも、各タスクは既に実装されているから、それらをシェルスクリプトなどのグルー言語から活用すれば、梃子を効かせられる。そのシェルスクリプトなどを作る際は、対話的インタフェースを避けてフィルタに徹しないと、パイプラインを止めてしまう。 もっと早くこの本を読んでいればもっとうまく作れたのに!!(と思う一方で、作る前に読んだとしたら、字面を追っただけで終わっていたんじゃないか、とも思う) もう一つ面白かったのは、「3. できるだけ早く試作を作成する」に続けて紹介されていた「人間による三つのシステム」の話。追い詰められた人間が第一のシステムを創り、「専門家」が、第一のシステムで証明されたアイデアを用いて第二のシステムを作り、第二のシステムで「火傷」した人が作るらしい。この第三のシステムが、もっともバランスがよく目標となる。 優れたインタフェースをデザインするには少なくとも3回の挑戦が必要という話を思いだす(『誰のためのデザイン?』か 『未来のモノのデザイン』 で読んだんだと思う)。それから、 『イノベーションのジレ

嵐の前 - スプライトシュピーゲルIV

 『スプライトシュピーゲルIV テンペスト』を読んだ。 今度は 『オイレンシュピーゲル 肆』 でMPBの視点から描かれた事件が、MSSの鳳(あげは)・乙(つばめ)・雛(ひびな)の視点から描かれている。 証人として集まった面々が素敵だった。彼らとMSSとで繰り広げた"世界統一ゲーム"の展開のダイナミックだったこと。良かれと思ったことが破滅の引き金となり、悪法が巡り巡って連帯を生んだり、とてもスリリングだった。 "世界統一ゲーム"をはじめ、作中で繰り返し現れたキーワードは、〈徒労感〉 [1] 。思い通りにならないのなら、何かのために懸命になることにどんな意味があるのか分からなくなる。なるようにしかならないのなら、わざわざ辛い思いをする必要なんてどこにあるのか? なんて。 さて、これで『スプライトシュピーゲル』が完結。続いてはMPBとMSSが合流しての最終章、『テスタメントシュピーゲル』。1と4年以上の間を空けて昨年8月に2が出たところ。完結するのはいつになるだろうか。 なんて気にするのはまだ早いか。まだ1を読み始めたばかりだ。 [1] ここので〈徒労感〉は「学習性無力感 ("Learned Helplessness") 」のことだろうか。

才能 THE 異能 - 暗殺教室13

『暗殺教室13』を読んだ。 まずはE組先生回の続き。烏間先生もさることながら、イリーナ先生の好感度が大幅アップ。だんだんE組に馴染んできたというか、デレてきたというか(人殺しだけれど)。 それから第111話「進路の時間」~第114話「渚の時間」も面白かった。渚が自分の進路について考える話。才能なんてないから、あんな風には悩まなかったけれど。 渚の才能についての話を読んでいると、 『天才! 成功する人々の法則』 を思い出す。才能を「社会的に評価される特徴」と捉えると、個人に与えられる何かじゃなくて周囲が持て囃して生まれる幻想じゃないかと思えてくる。 そう思うと、きっと世の中には色んな才能が眠っているんだろうなぁ、と思う。渚の才能がE組だからこそ発覚したように、今置かれている状況では発揮しようがないけれど、状況が変わったら評価されるような才能が。 ところで、最終暗殺プロジェクトは噛ませ犬になりそうだよなぁ。

壁の中? - fox capture plan/WALL

fox capture planの"WALL"を聴いている。 fox capture planはピアノ、ベース、ドラムの3人編成。公式サイトによると、コンセプトは"現代版ジャズ・ロック"。 確かにM2「疾走する閃光」はロックっぽい。テンポが良くてアッパーで爽快。 the band apartを思い出す。the band apartはロックにジャズを取り入れた感じ。fox capture planはジャズにロックを取り入れた感じ。 ピアノロックというと、Ben Folds Fiveを思い出したりも。 ジャンルはともあれ、良い感じだ。好み。

精度の制動 - エンジニアのためのデータ可視化[実践]入門

『エンジニアのためのデータ可視化[実践]入門~D3.jsによるWebの可視化』の「第1部 序」、「第2部 理論」まで読んだ。「第3部 実践」と「第4部 事例」はパス。今のところ、D3.jsを使う予定がない。 タイトルに「実践」とあるけれど、理論が充実しているのがありがたい。未構築ならいざ知らず、理論があるのに無視していては、実行の効率も結果の精度も低くなる。気分的にも、理論に欠ける実践は地に足が着かなくて苦手。 孫引きになるけれど、"The Grammar of Graphics"が示している可視化の仕様がとても参考になる。DATAとかが操作として定義されているのが渋い。 DATA: データセットの中から可視化対象となる変数を決定するデータ操作 TRANS: 変数の変形操作(例:ランキング) SCALE: 変数のスケールの操作(例:対数化) COORD: 座標系変換操作(例:極座標) ELEMENT: 視覚的な表現の要素の決定(例:線、棒)とその装飾操作(例:色、太さ) GUIDE: ガイド生成操作(例:凡例、軸、目盛) それから表3.6「可視化と視覚変数、データ変数の尺度の対応表」や第5章「可視化によくある過ち」も便利そう。繰り返し参照することになりそう。 第4章「何を可視化すべきか」で書かれているように可視化の目的。つまり可視化で検証したい仮説。あるいは仮説が曖昧なときに探りを入れるための可視化(こちらは第6章「探索的データ解析入門」に書かれている)。可視化自体楽しいから、忘れがちだけれど。 本書でもエピグラフとして採用されているテューキーのこの言葉は、自分も折に触れ思い出すようにしている。 「正しい疑問に対する近似的な解を持つ方が、間違った疑問に対する正確な解を持つよりましである」 細かい数字があると精度も高い印象が出てくるけれど、大抵は見かけだけだし、そもそもそんなに精度が要らないことも多い。

ようこそ今日こそ - 掟上今日子の備忘録

『掟上今日子の備忘録』を読んだ。面白かった。 大枠は王道ミステリィ。主人公・隠舘(かくしだて)がワトソン役=語り手となって、ホームズ役=名探偵・掟上(おきてがみ)の活躍が描かれている。短篇集形式なのもシャーロック・ホームズを連想させる。第一話なんて、オチがあれ だし。 一方で、キャラクタは同作者の他シリーズのキャラクタを連想させる。事件を巻き込まれるという隠舘は、〈戯言〉シリーズののいーちゃんっぽい。彼は「無為式」と呼ばれる周囲で異常な事件を引き起こす性質を備えていた。掟上さんはその聡明さと白髪、海外にいたたことから羽川翼を思い出す。それから、隠舘が何人もの探偵を知っているらしいので、難民探偵やJDCトリビュート (『ダブルダウン勘繰郎』『トリプルプレイ助悪郎』) の探偵とも面識があったらいいな、なんて想像も膨らむ。 最後に大きな不可解が示されるとともに、続刊『掟上今日子の推薦文』の広告があるので、商売上手だと思う。続きが出たら読もう。 読むのだけれど、ミステリィとしての枠組みの中で数冊でまとまって欲しいな、と希望している。ミステリィと思っていたら異能バトルになっていた〈戯言〉シリーズとか、『恋物語』で終わると見せかけてファイナルシーズンと銘打って『終物語』、『続・終物語』まで出した上で、『接物語』という続編を予告している〈物語〉シリーズとか、どんどん終わりが遠ざかっているように見える〈伝説〉シリーズとか、反対に次で完結予定なのになかなか続きが出ない〈世界〉シリーズとか、無理矢理畳んだように見える〈刀語〉シリーズとか、予定調和しないということが予定調和になりつつある。 何て思ったのは、本作に多数のシリーズをそれぞれ数冊で終わらせながら生涯現役で多数の作品を出版したミステリィ作家が出てくるからだろう。作者の術中にハマっている気がしてしょうがない。 という具合に、メタレベルでも次が気になる1冊。

思考を凝らす - 哲学入門

『哲学入門 (ちくま新書)』を読んだ。 「序 これがホントの哲学だ」に書かれている次の一節が、本書の特徴を端的に表現している。扱う問題は〈自我〉とか〈自由〉とか古典的だが、他の多くの入門書と違い特定の哲学者・学派について解説されたりしない。 本書は二〇〇〇年以上におよぶ哲学の歴史と問題を共有している。しかし本書には歴史上有名な哲学者はほとんど出てこない。 代わりに、唯物論的・発生的・自然主義的なアプローチで古典的な問題にアプローチする。自分の理解だと、唯物論的=世界に実体が存在するのはモノだけで自我や自由は認識できるが実体はない、発生的=自我や自由は初めから存在したわけではなく段階的に発生した、自然主義=科学的に反証された仮説は棄却する。 これまでに読んだことのある一般向けの哲学書とは違ったアプローチで新鮮だった。特に、自然主義的なアプローチなのが新鮮。哲学の入門書に書かれているのは、歴史上有名な哲学者の解説かそれを踏まえた著書の哲学が多いけれど、どちらも基本的に内省だからほとんど反証できない。本によって、定義や解釈が違うのもそんなに珍しくないくらい。 そういうアプローチを選んだため、この本は〈自我〉やら〈自由〉やらがモノから発生したシナリオを科学の知見を引きながら構築していく。とてもスリリングだ。記号/表象といったいかにも哲学的な話から、アフォーダンスの話、情報理論の話まで出てきて、色々と想像が広がる。思い浮かんだ主な本はこのあたり。 『誘惑される意志』 『まぐれ』 『生物から見た世界』 『動物と人間の世界認識』 『考えなしの行動』 『脳は美をどう感じるか: アートの脳科学』 ものすごく乱暴に自分の今の認識をまとめると、合理的な思考は、進化の後半に手に入ったもので、全く直観的ではない。環境や身体から独立した思考は、現実には存在しない。思考は環境や身体から影響を受けるし、逆に影響を与えもする。こんなところ。たとえば、頭では分かってはいても簡単に欲望に負けてしまうし、体調が悪いと思考もネガティブになるし、ハサミを持てば何か切りたくなるし、自分の身の回りには思考(嗜好?)を反映させている。

ラララ - チェルノ・アルファ

「 カプセルONE〈パシフィック・リム〉フィギュアコレクションVol.1 を回してみた」 「チェルノ・アルファが出たみたいですね」 「無骨な感じが好みだ。一番欲しかったのが一発でやってきたので嬉しい」 「で、この写真はなんなんですか。パンチで吹っ飛ばされているの、双司君?」 「 Pose Skeleton 。ガイコツアイコンとしては買わずにはいられなかった」

福々しいフクラガエル - お財布蛙

ガチャガチャの 財布にカエル「お財布蛙」 を回してみた。 出てきたのはフクラガエル。一番欲しかったのが出てきてうれしい。もともとのフォルムからして丸いから、他のよりずっと自然だ。 よく転がりそう。

水の光沢

This work by SO-C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International License . This work by SO-C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International License . 写真展を見ていたら写真を撮りたくなってきたので、欲望に忠実に撮ってみた。あんな写真は撮れないのだけれど、それでも楽しい。むしろ撮れないと思っているからこそ、楽しい気もする。

幻想的日常 - 竜の学校は山の上、他2冊

「『ダンジョン飯1』が面白かったので、既刊の短篇集を一気に買いそろえてしまったよ」 「この3冊ですね」 『竜の学校は山の上』 『竜のかわいい七つの子』 『ひきだしにテラリウム』 「うん。『ダンジョン飯』で引き続き描かれているテーマもあれば、シュールなコメディもあったりだった」 「バラエティに富んでいますね」 「お得感ある。自分が好きなのは、『ダンジョン飯』同様ファンタジーを日常生活につなげているの。竜学部がある大学で竜の活用の仕方を考える『竜の学校は山の上』、やっぱり食べる『龍の逆鱗』。それから、人(作中では猿人)とケンタウルス(作中では馬人)が一緒に生活する現代社会を描く『現代神話』。しーちゃんがマイペースで包容力があって素敵だ」 そんなもの なんにも違わないのよ なーんにも 「『竜の学校は山の上』の表紙を飾る女性ですね」 「スーパーの袋、すごい強さで生活感を放っている」

接写/遠景・自然/人工

キャノンギャラリーにいって 『浅井美紀写真展:幸せのしずく~World of Water Drops~』 と 『広川泰士写真展:BABEL Ordinary landscapes』 を見てきた。 『浅井美紀写真展:幸せのしずく~World of Water Drops~』は水滴に移る色鮮やかなマクロ写真が、幻想的で素敵だった。水滴いいよね。 いい水滴を見かけると撮りたくなる。 『広川泰士写真展:BABEL Ordinary landscapes』は工事中の建造物写真とその末路の写真だった。大規模なスクラップ&ビルドとその末路と見れば虚無的だし、ビルドの速さ・大きさにフォーカスを合わせれば創造的でもある。個人的には 高層ビルを伸ばすクレーンが好き なので、工事中の写真だけでも楽しめた。 下の写真は最寄りの品川から五反田まで歩いて帰ったときに通った道。くいっと曲がって抜けるのがいい。 This work by SO-C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International License . 参考 Miki Asai / 500px hirokawa810.com