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Taste of Scientist

ダーティーサイエンス(初回生産限定盤)(DVD付)
「Rhymesterの『ダーティーサイエンス』を聴いているんだけどさ」

「この前のアルバムは、ええっと『POP LIFE』ですね」

「うん。間にミニアルバム『フラッシュバック、夏』を挟んでいるけれど、フルアルバムはそれ以来」

「サイケデリックなジャケットですね」

「こういう色合いだと小さな画像だと汚く見えてしまうのが残念。実物を見ると意外と馴染んでいるのに」

「赤から紫にかけての色は、ディスプレイと実物で随分と印象が変わる気がします。ところで、曲はどうですか?」

「最初に公開されたけれど、アルバムでは最期を飾る『Choice is yours』がとても強力」

「この曲ですね」



「状況に甘んじて人のせいにするのは簡単だけれど、それで痛い目を見るのは自分なんだよね」

「逆に自分の周囲の変えられるのも、自分ですね」

「ね。何でもはできないけれど、できることだけをやるだけでも。それで少しず変えていけたらな、と」

「羽川翼さん風ですね」

「俺は何にも知らないけれどね。でも、誰も誰かを助けることなんてできない。最後には自分が勝手に助かるだけ」

「それは忍野メメさん」

「なんて小難しいこと考えてばかりじゃなくて楽しむのも重要だよなー。24時間365日マジメになんて生きられん。ラーララウラッララ♪」

「ラッララララ、ラッラッラー♪」

「実際、もうニッチもサッチもいかない時期もあるよね。そういう意味では『ノーサイド』のDさんのリリックがステキ。まー、テンション低いときは低いよね。俺@がんばらない」

「それはささみさん。少しは頑張って下さい」

「『頑張る』が大抵の場合『痛みに耐える』を含意するのはどうにかならんもんかね。肩の力を抜いて軽やかに頑張りたい。というわけで、なにかしらは頑張るよ」

「ドアラさんの座右の銘ですね。『なにかしら頑張ろう』」

「頑張らなくて良い範囲で頑張りたい」

「何を言っているんですか?」

「日本語だおk?」

「何を言っているんですか?」

「大事なことなので二回言――」

「何を言っているんですか?」

「日本人の知らない声に出して読めない日本語」

「それ、日本語じゃないですよね、間違いなく」

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