『差分』を読んだ。
下の図を上から1行ずつ見ていくと、何となく□と■がすれ違ったように見えない? あまり見えなかったら、この配置がまずいんだろうな。でも巧妙にやると面白いことになる。それがこの本。
不思議な感覚。
ところで、ピタゴラスイッチの「こんなことできません」はこれを応用させたものなんだろうな。著者はこの番組の監修だ。『差分』と違って「こんなことできません」はストップモーションアニメだけれど、根っこは同じだと思う。
その「こんなことできません」も不思議な感覚を味わえる。見たことがあれば感じたことがあると思うのだけれど、物理的にできないはずなのに「できましたできました」って気分になってしまう。
きっと実現性と現実感とは違うのだな、と感じられる。だから、実行不可能なアイディアにリソースを突っ込んでしまったり、手間暇かけて正確に作ったのに何か違う気分になったりするんだろうな。
もう少し感覚を信じてモノに反映させて、それから、言葉だけでなくモノを見せてアピールするアプローチも使えるようになりたいな。
下の図を上から1行ずつ見ていくと、何となく□と■がすれ違ったように見えない? あまり見えなかったら、この配置がまずいんだろうな。でも巧妙にやると面白いことになる。それがこの本。
□ ■ □ ■ ■□ ■ □静止画が同じページに配置されているだけでも連続性を読み取ってしまう。
不思議な感覚。
ところで、ピタゴラスイッチの「こんなことできません」はこれを応用させたものなんだろうな。著者はこの番組の監修だ。『差分』と違って「こんなことできません」はストップモーションアニメだけれど、根っこは同じだと思う。
その「こんなことできません」も不思議な感覚を味わえる。見たことがあれば感じたことがあると思うのだけれど、物理的にできないはずなのに「できましたできました」って気分になってしまう。
きっと実現性と現実感とは違うのだな、と感じられる。だから、実行不可能なアイディアにリソースを突っ込んでしまったり、手間暇かけて正確に作ったのに何か違う気分になったりするんだろうな。
もう少し感覚を信じてモノに反映させて、それから、言葉だけでなくモノを見せてアピールするアプローチも使えるようになりたいな。