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Implements imply

実装パターン『実装パターン』を読んだ。

なかなか説明が難しい。そこで、この本が「何であり」、「何でないか」を引用する。その差分が何か言えればいいのだけれど、自分はうまく言えない。

まず、この本が何なのか。
『デザインパターン』とJava言語マニュアルの間に位置する内容を,この本では扱っている.
この本の大部分は,一般的なプログラマであれば,1日に何度も行うような小さな決定について書かれている.
次に、何でないか。
コード設計の本ではない.
パターンの記述形式は独特で,その場限りなので(中略),パターン本ではない.
言語の本でもない.
この境界領域を何と呼べば良いのか、良い名前を知らない。そもそも良い名前を付けるのが難しそう。曖昧な領域を対象にしているし、おそらくそのせいで各実装パターンの粒度がまちまちになっている。

一方で、目指しているところは明確。『リーダブルコード』とほぼ同じ。著者は最後にこの本の最大の教訓として、こう言っている。
「プログラマの仕事は,他のプログラマとの間でコミュニケーションを取ることである.マシンとではない」
『リーダブルコード』との違いは『10章 フレームワークへの拡張』。フレームワークを開発する場合、そのフレームワークを使っているコードへの影響を小さくすることを、リーダビリティを上げることより優先することがある。

この目標をもう少し具体的にしたのが、次の3つの「価値」。自分の発想は「柔軟性」を重視するあまり「シンプル」さに欠けていると自覚できた。YAGNIの原則を思い出さないと、無駄に時間をかけたコードを、時間をかけて修正することになってしまう。
  • コミュニケーション
  • シンプル
  • 柔軟性
これを実現するために、実装パターンは次の6つの「原則」に貫かれている。今まであまり意識してこなかったのが、原則の「対称性」と「変更頻度」。「対称性」は『リーダブルコード』の「10章 無関係の下位問題を抽出する」に近い。上位・下位の階層が異なる処理を1つメソッドで行うのは止めよう、という原則。「変更速度」は『オブジェクト指向設計原則』の「安定度・抽象度等価の原則」の安定度のこと。安定度が異なるコードは分けておこう、という原則。
  • 結果の局所化
  • 繰り返しの最小化
  • ロジックとデータの一体化
  • 対称性
  • 宣言型の表現
  • 変更頻度
実装パターンに関しては、それぞれ数ページの説明しかない。ある程度分かっているなら、ざっと眺めるにはこの本くらいの薄さの方が適しているのかもしれない。今の自分には、読み進めている途中の"Effective Java 2nd Edition"の方が、説明が丁寧かつ具体的で嬉しい。

最後に、読みながら考えたことをTogetterにまとめたので、備忘のためにリンクしておく。

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