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脳は美をどう感じるか: アートの脳科学 (ちくま新書)
「『脳は美をどう感じるか: アートの脳科学』を読んだよ」

『人はなぜ「美しい」がわかるのか』を連想するタイトルですね」

「その本、タイトルはよく覚えているんだけれど、中身の記憶がほとんどないんだよね。ここで栞子さんみたいな真似ができたら格好いいのだけれど」

「栞子さんは特殊ですよ。一度読んだ本のことは、ほとんど忘れないだなんて」

「映像記憶なのかな?」

「双司君にはそんな能力はないんだから、まだ覚えているうちにこの本の内容をお願いします」

「そだね。というわけで。この本のテーマは〈アート〉と〈脳科学〉。ここでいう〈アート〉は〈視覚芸術〉。で、主な内容は、そのアートを見ているとき、脳のどこが活発に動いているのか、著者が脳科学の手法(fMRI)で研究した結果や、その関連研究の紹介」

「また〈美しさ〉なんて曖昧なものと、〈脳科学〉なんて難しいものを、くっつけていますね」

「うん。実際、まだまだこれからみたい。去年の10月に出たこの本で、作者の方はこんな風に言っている」
アートの脳科学はまだ確立しきれていないし、読者の皆さんには、私たちの日常に寄り添いうる科学の産声として本書を手にしてもらえたら、という気持ちでいる。
「実際、色々と面白そうな研究結果が散りばめられているんだけれど、まとまりがない印象。実際、まだまとまっていないだろうから、正直あるいは誠実なんだろうな、と思う」

「大した根拠もなく断言するより、研究者らしいです」

「一番面白いな、と思ったのはこの一節」
つまり、美術家は、作品をつくることを通して世界を理解しようとするプロセスを実践しているということだ。心理学でも哲学でも、長らく知覚と知識・思考とは別物として扱われてきた。
「これって、描いていればすぐに気がつくことだと思うんだよね。例えば、『デザインの骨格』の著者の方がこんなツイートを」

「双司君は『描かないと気がつかないことが多い』の方が近いんじゃありませんか?」
描いていて気がついたけれど、目つきこそ違うけれど、癖っ毛っぷりは母親ゆずりなんだろうな。描かなくても気がつけ、という話だけれど。
Mirror House Annex: おーれたーちゃ
「それは否めない。見返してみたら何回も同じようなことを書いているし」
構造を意識して描いてみて、首から腹部にかけての形状が特徴的なことに気がついた。
Mirror House Annex: 輪廻の年利
描いていて思ったけれど、意外と可愛い形をしている。猫耳だし。
Mirror House Annex: 隻と案山子しか過渡期せ
「絵の上手下手はさておき、時々こういうことを考えているからか、さっき引用したうちの一文――」
心理学でも哲学でも、長らく知覚と知識・思考とは別物として扱われてきた。
「に、大きな違和感が」

「それこそ、脳の違う部分を使うのかもしれませんね? さきほどの山中さんも、文芸批評家の小林秀雄も、言葉で認識すると、知覚を停止させると言っていますね」

「こういう人いるね。この認識って、個々を見ないでラベルしか見えていないから、貧しい世界だと思うのだけれど」

「それはそれで、利点にもなると思います。抽象化して選択肢をパターンに落とし込むことで、判断が素早くなります。『これまでに見た菫とどう違うのだろう?』とか『菫によく似た何か違う植物かもしれない』なんてチェックしていたら切りがないですよ」

「言われてみると、個々の詳細へのこだわりは『ぼくには数字が風景に見える』なんかで読んだサヴァン的な認識だなぁ。個々の事象は詳細に記憶しているけれど、抽象化ができないからわずかな違いで連続性が途切れてしまう人もいるとか。そう言えば、読んだ本をほとんど全部覚えている、なんて栞子さんもサヴァン的だよなぁ」

「得意分野では解像度や記憶力が上がるということ自体は、別に普通のことじゃありませんか?」

「確かに。慣れない物や興味ない物ってあんまり区別つかない」

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