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羊が草を食むように

天冥の標 6 宿怨 PART3 (ハヤカワ文庫JA)
「『天冥の標 VI――宿怨 Part 3』を読んだよ」

「『VI』はこれで完結しましたね」

「うん。想像とは全然違う結末になって、これから人類はどうなるんだろう? って早くも続きが気になって仕方がない」

「落ち着いて下さい。編集部の方によると、『VII』は夏だそうです」


「確かに先を追う余り、色々と見落としがちになるのは、悪い癖なんだよなぁ。自覚はあるけれど、止められない」

「止められても止められなくても、まだ出ていない作品は読めませんよ」

「違いない。というわけで、少し立ち止まって、SFにおける交渉について考えてみよう」

「最近、交渉にこだわりますね。『機龍警察 自爆条項』の時といい、『華竜の宮』といい。そう言えば、『虚構推理 鋼人七瀬』もそうでしたね」

『虚構探偵 鋼人七瀬』、『華竜の宮』に引き続き、主人公が調整者。
posted at 21:33:23

「一度気になり出すとつい目が行ってしまう。選択的注意、でもないか。ちょっと違う気がする」

「選択的注意というと、この動画が有名ですね」



「バスケットボールが何回パスされるか数えながら見るヤツね」

「注意を向けていないと、全く認識されないって不思議です」

「ふと思ったんだけれど、会話もそうだよね。関心がない話は、右から左に抜けてっちゃう」

「馬耳東風ですね」

「まぁ、雑談ならそれでも成立するけれど、交渉は成立しないよね」

「共通の関心が何かあるから、テーブルについているわけですからね」

「それが何かを見誤ると、うまくいかないだろうな。って考えたときに、人間どうしでも難しいのに、SFだと相手が異星人だったり人工知性体だったりする。一体どんな反応が返ってくるのか、さらに難易度が高い場面に出くわして、スリリングだよなぁ、と」

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