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勝利しよう

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)
「『勝ち続ける意志力』を読んだよ」

「この本の著者、梅原大吾さんですよね。日本人初のプロ・ゲーマーの」

「うん。EVOって名前の世界最大の格ゲーの大会で何度もチャンピオンになっている人。格ゲー好きだから面白かったよ」

「そう言えば格闘ゲームを題材にした小説をときどき読んでいますね」
「でも、別に格ゲーなんか全然知らなくても、楽しめると思うよ。勝負に挑み続けるための心の持ち方がメインだから」

「勝負本番と練習とでは緊張感が違いますよね」

「うん。でも、この本が面白いのは、大事な一戦の前の心理状態よりも、数多くの勝負を〈続けられる〉メンタリティに焦点を当てていること。それを端的に表しているのが冒頭のこの言葉」
結論から言えば、勝つことに執着している人間は、勝ち続けることができない
「でも、勝ち続けるには一試合一試合を勝つ以外にありませんよ」

「それはそれで間違いないんだよね。特にトーナメント大会だったら、負けたらそこで終了なわけだし。でも、勝つことに執着している人が選びがちな戦い方では、長くは勝ち続けられないって言っている」

「どんな戦い方ですか?」

「2つ挙がっている。一つはいわゆる強行動。とりあえずそれ振っときゃ何とかなるってくらい強い技や、待ちガイルみたいなお手軽で手堅い戦法。もう一つは、人読み。いわゆる読み勝ちってやつ」

「強行動に頼ると引き出しが減って、臨機応変さに欠けてしまいそうですね。もう一つの人読みって、いわば駆け引きですよね? 勝負にはつきものじゃないんですか?」

「つきものではあるんだけれど、相性がハッキリできる。自分がそう。勝てる相手には勝てるけれど、勝てない相手には全然勝てない。これじゃあ『勝ち続ける』のは難しい」

「それじゃあ、梅原さんはどんな戦い方をするんですか?」

「それが書いてないんだよね。それを説明できない戦い方を目指しているんだと思う。それをこんな風に書いている」
よく分からないけれど強いというのは、恐らく究極だろう。
「うーん、よく分からない世界です」

「実力差があるとこうなる気がする。どこがどう強いのか分析できるだけの観察眼がないから、どこに突破口があるのか全然見えない」

「話を戻しますけれど、じゃあ梅原さんは勝ち続けるためにどうされているんでしょう?」

「基本を学び、少しずつでも考えながら新しい戦術を生み出し続けるんだって」
かつて生み出した戦術に頼らない覚悟と、新たな戦術を探し続ける忍耐があるからトップにいられるのだ。
「何だか分かったような分からないような」

「個々のゲームに限定すればもっと具体的な話になるんだろうけれどね。でも、次の一文だけで基礎の深さが伺い知れる」
基礎練習では、30分の1秒以内に入力しなければ無効になってしまうコマンドを、99%ミス無しでできるレベルを維持する努力を続けてきた。
「人間の反射神経って10分の1秒くらいって言われていませんでしたっけ?」

「チェーンコンボからの小P小P→小K大Pすらロクに決められなかった俺には届かない世界。サッカーやフットサルでいうとトラップやパスの精度だろうなぁ」

「ボクシングでも『左を制する者は世界を制す』って言いますね」

「それから、練習には量だけじゃなくて質が必要って言っている。気がつくと時間ばかり足っていることがあるから気をつけないと」
考えることを放棄して、ただ時間と数をこなすのは努力ではない。それはある意味、楽をしているとさえ言える。頭を使って考えることの方が苦しいから、それを放棄してガムシャラに突き進んでいるのだ。
「ところで、『勝ち続ける』ことって『戦い続ける』ことであって、それって『負け続ける』ことでもある。『勝ち続ける』ってことは、『負けても勝つための練習・試行錯誤を止めずまた戦う』ってことでもあるんだよな」
僕の自信は、それこそ100や200の敗北で揺らぐことなど決してない。

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