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クマ、走る走る

「東京マラソン BE@RBRICKを買ったよ」

「一応訊きますけれど、東京マラソン参加の予定は?」

「ないよ?」

「ですよね。そもそも参加したくでも、10人に一人くらいしか参加できないみたいし」
申込総数は28万3988人。そのうち「マラソン」は抽選対象2万9400人(定員3万5500人からエリート・先行・チャリティーランナーを除いた人数)に対して28万2824人のエントリーがあり、抽選倍率は約9.6倍に。
「東京マラソン」参加申込者数は28万3988人に-抽選倍率は9.6倍 - 新宿経済新聞
「転売目的の申し込みも何パーセントかいそうだな。2010年の記事だけれど、こんなのが見つかった」
それ以上に問題になっているのは、ネットオークションで出走権を転売するケース。ランナーは1万円の参加料を支払うが、オークションでは4万円以上の値が付くこともあり、明らかに転売ビジネスが成立している。
転売ビジネスも…東京マラソン困った“不正出走”続々 - スポーツ - ZAKZAK
「買う人が出てくると、ますます転売目的の申し込みが増えると予想できるんですけれど」

「そうだよなぁ。『買う人がいる → 転売の在庫を増やしたい → 転売目的の申し込みが増える → 出走したい人の当選が減る → 買いたい人が増える → さらに転売目的の申し込みが増える』と、走りたい人の首を絞めることになる」

「それはそれとして、BE@RBRICKのラインはコースを表しているんですね」

「うん。左手のODAIBA (お台場) がゴール。実際のコースはコース紹介はこんな感じ。42.195kmも走るとこれだけ移動できるんだね。普段、電車や地下鉄で移動しているから、距離感が全くない」

「ついでに方向感覚もないですよね?」

「よく移動できているなぁ、自分」

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