『少女不十分』を読んだ。
小説ではないと地の文に書かれていても、自分はこれを小説として読んだ。特に、私小説のようだ、と思った。
もう少し正確に言うと、私小説のようだと思う箇所もあった。そもそも私小説ってなんだ、という気もするけれど、カテゴライズに対する関心が薄いのでさておく。
読んでいる間感じたのは、自分が自分でいることの居心地の悪さと同時にそれに対する居直り。私小説のようだと思ったけれど、つまり筆者がそう感じているのかもしれないと思ったけれど、それ以上に、自分がそうなんだろうな、と思う。
だからと言って、自分以外の何者になれるわけもない。そう言えば、自分って探されたり見失われたりするけれど、自分であることしかできないんだから、なんでそんなことが起こるんだろうと思ったことがある。セルフイメージと実際の自分とのギャップがそういう感覚を生むんだと分かったのは、割と後になってからのこと。
実際の自分を出発点としてそこから漸進的に前進するしかない。と言うか、他にやりようを知らない。
小説ではないと地の文に書かれていても、自分はこれを小説として読んだ。特に、私小説のようだ、と思った。
もう少し正確に言うと、私小説のようだと思う箇所もあった。そもそも私小説ってなんだ、という気もするけれど、カテゴライズに対する関心が薄いのでさておく。
読んでいる間感じたのは、自分が自分でいることの居心地の悪さと同時にそれに対する居直り。私小説のようだと思ったけれど、つまり筆者がそう感じているのかもしれないと思ったけれど、それ以上に、自分がそうなんだろうな、と思う。
だからと言って、自分以外の何者になれるわけもない。そう言えば、自分って探されたり見失われたりするけれど、自分であることしかできないんだから、なんでそんなことが起こるんだろうと思ったことがある。セルフイメージと実際の自分とのギャップがそういう感覚を生むんだと分かったのは、割と後になってからのこと。
実際の自分を出発点としてそこから漸進的に前進するしかない。と言うか、他にやりようを知らない。