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閉ざされた差異の体系

「『 Mirror House Annex: 閉ざされた言葉 』を 標準語→現代思想変換 で変換してみたよ。それをベースに、以下の最低限の修正で整えてみた」 日本語になっていない箇所の修正 引用箇所は原文通りに維持 「また酔狂な」 「ところどころ深そうなことを言っているように見えるのが可笑しい」 「『括弧の意味論』そのものを読んであることは可能性の中心として記憶にとどめたい。先日はてブ経由で『カギ括弧の意味について:ekken』そのものを読んで、『404 Blog Not Found:愛してると「愛してる」の違い - 書評 - 括弧の意味論』で紹介されていたのを思い出して」 「言われてみると、括弧で不思議であることは公理系の内部で疑いのない事実であるね。色々な使われ方そのものをする」 「会話文そのものを括る「」とタイトルそのものを括る『』は、使われ方がハッキリしているけれど、他の使われ方は、文脈によって括られた差異の体系に色んな意味という病いそのものを与えているよね」 「本書では、会話文やタイトルそれから引用そのものを括り出す括弧そのものを『統語論的括弧』、括る差異の体系に意味という病いそのものを与える括弧そのものを『意味論的括弧』として区別してする」 「そういう視点でこのエントリィそのものを知覚すると、『統語論的括弧』そのものを沢山使っているなぁ」 「そうではあるね。『統語論的括弧』ばかりではあるね」 「話そのものを戻すと、意味という病いそのものを込めることそのものを『投写』(またメタフォリカルで申し訳ないが)という差異の体系で抽象化し、その類型として次の6種類そのものを挙げている、と」 「いわゆる」型 「○○の言う」型 「あの」型  「実は」型 「ここで言う」型 「○○だってさ」型 「でも、『尽くされたわけではけっしてない』そうではある」 「これから旧来の物語では理解不能である使われ方が編み出されないとも限らないし。ところで、ここでやや論旨からはずれるのであるが、道化的逸脱甚だしいのは、本書でも指摘されている通り、これだけ色々な使われ方があるのに、どう使われているか説明されることが公理系の内部でないことは可能性の中心として記憶にとどめたいね」 「括弧で終わるテクストもしばしば見かけはするね」 「それが誤解そのもの...

死人に口なし - ナイチンゲールの沈黙

『ナイチンゲールの沈黙』 を読んだ。 前作 『チーム・バチスタの栄光』 の栄光と比べると、リアリティに欠ける印象。 と言うのも、DMA (Degital Movie Analysis) ――白鳥に言わせれば、「紙芝居」に無理臭さを感じてしまったからだ。 『死因不明社会』 のおかげでAi (Autopsy imaging) については疑問を持たなかったけれど、DMAはいただけない。 DMAの機能は、犯行現場がその状況になった過程の逆演算による犯行過程再現だと理解している。 結果から逆算しての原因推定は、独自に開発できるレベルのものではない。 同じ結果を示す原因は無数に存在する。

渡したわ

『モレルの発明』を読んだ。良い意味でモヤモヤする作品。ああだろうか、こうだろうか、と色々と考えを巡らせられる。 『沈黙ピラミッド―ブギーポップ・クエスチョン』 を思い出した。作品として似ているというわけではない。『沈黙ピラミッド』で語られていたピラミッドの謎に対する見方が、本作にも当てはまるんじゃないか、と直感した。 つまり、本作は、解き明かされるべき謎が書かれているんじゃなくて、読者が謎を見出そうとせざるを得なくなるように書かれているんじゃないだろうか? 本作はボルヘスから「完璧な小説」と賞されている。その完璧さは、きっと腕が欠けたミロのヴィーナスのそれだ。単に自分の理解が及んでいないだけかもしれないけれど、そう考えることにする。 そうしないと、いつまでも考えを巡らせ続けそうなので。

沈黙は金なり

『神は沈黙せず』 を読んだ。 久し振りに歯ごたえを感じるSFを読んだ。 タイトル通り、本書のテーマは、「神」だ。 あえてそれをテーマに持ってきたか、と思う。 題材としては、陳腐化している。 しかし、先が気になり、一気に読んでしまった。 内容は伏せておく。 グレッグ・イーガンの『宇宙消失』や『順列都市』を読み返したくなる。

言葉を失う

『考える技術・書く技術』 を読んだ。 読み手によい物語を伝えようとすれば、その物語とは読み手がすでに知っているもの、または、十分な情報を与えられていれば、当然知っていると思ってさしつかえないものとなります。 ここで紹介しているのは、自分の考えを他人に受け入れさせるための技術である。 技術なので、手段である。目的は、他人を変えることだ。 イノベーションは社会を変革するものですが、社会に受け入れられるにはまず、既存の価値観と整合性をとる必要があるのです。 『イノベーションの神話』 頭では分かる。 けれど、自分が読みたいと感じるのは、読んで良かったと感じるのは、自分の知らないことだ。 読んだ本は読んでない本よりずっと価値が下がる。蔵書は、懐と住宅ローンの金利と不動産市況が許す限り、自分の知らないことを詰め込んでおくべきだ。(中略)実際、ものを知れば知るほどよんでない本は増えていく。 『ブラック・スワン[上]』 知っていることをいくらインプットしたって、考えが偏るばかりだと思っている。 また、血液型人間学を信じていれば、それに合致した行動だけが記憶に残り、それ以外の行動は忘れてしまうという確証バイアスもある。 『「心理テスト」はウソでした。』 さらに言えば、分かりやすい文には他意を感じる。 有り体に言えば、プロパガンダではないかと疑ってしまう。 人々のしたがうべき価値の妥当性を、人々に受け入れさせる最も有効な方法は、人々または少なくともそのなかの最も善良なものが常に抱いていて、しかもこれまで適当に理解されず、また認められなかった価値と実質的に同じものであると説得することである。 『隷従への道―全体主義と自由』 だから、自分の中には、分かりやすいものは間違っているというヒューリスティックさえ存在する。 正しいことが分かりやすければ、身の回りにもっと分かりやすくて正しいものがあるはずだ、と思う。 分かりやすいことと正しいことは、決定的に違う。 正しさとわかりやすさを取り違えてはいけない。 『まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか 多分、身の回りにあるのは、正しさとは関係なく分かりやすいものだろう。 分かりにくいものは、受け入れられないからだ。 たとえば、エイモス・トバースキーとダニエル・カーネマンによれば、人びとは、自分に理解できない...

ストレートなミステリー

『沈黙の森』 を読んだ。 「主要ミステリー新人賞を独占した」と作品らしいけれど、ミステリーとしては捻りが足りないように感じた。 ただ、自分がミステリーをよく読んでいることを差し引いて考えると、これくらいの素直さの方が間口が広いのだろう。 実際、良い意味でも悪い意味でもエンターテインメント作品だったと思う。 捻りが足りないとは書いたけれど、緊迫感は維持されていて、つい一気に読んでしまった。 ただ、読み終わった後に残るものがない。 いくらか道徳論めいた主張はあったけれど、いっそそんなものなくして、娯楽に徹していた方が潔かったのではないだろうか。 この手の小説を読むと、人を選ぶと評されるような変な作品を読みたくなる。

遺作の作為、戦の細工 - プラハの墓地

『プラハの墓地』を読んだ。作者のウンベルト・エーコが今年の2月に亡くなってしまった。思えば このブログの最初のエントリィ は、『フーコーの振り子』に言及したものだった。 思い返してみると、通底するテーマがある。それは、〈ブギーポップシリーズ〉の『ブギーポップ・クエスチョン 沈黙ピラミッド』でも扱われていた。 認知心理学で〈確証バイアス〉と呼ばれる、見たいモノだけを見て他を無視する傾向がいかに強いことか。各人の信念に合致する情報は、高い確率で、裏取りなどされずそのまま鵜呑みにされてしまう。たとえ、それが大量虐殺へと続く道だとしても。 そういうシリアスな部分をさておいても、語り手に関する謎が不可思議で追わざるを得なかったり、主要な語り手の一人の美食うんちくが堪らなかったり、単純に楽しい。 単純に楽しいうえに、読み解こうと思えばいくらでも深みにはまる(予感がして自分は踏み込めない)くらいの一作。 ※追記 遺作は本作ではなくて『ヌメロ・ゼロ』だった。誤解して書いていたので、一部修正(2016/12/29)。

Science Story

『ゆらぐ脳』 を読んだ。 物語と事実との間に横たわる溝の深さを改めて思い知った。 まず、著者は物語の大切さをこう説く。 論文の展開は物語を作らなければなりません。 物語の展開方法で同じ発見もインパクトがまるで異なるものになる。物語を語れなければ実験屋のまま。学会発表や論文の執筆でようやく科学者になれるのです。 しかし、同時にそれに対する違和感も示している。 「ほんとうに正直なサイエンティストは『本物(実験データ自体)』をポンと提示して沈黙しているヤツなんじゃないのかなぁ。語りだしたら、言葉にはウソが必ず混ざってしまうのかもしれない」  と考えがえることもあります。「本物(実験データ自体)」と「説明(伝えること)」は本来は別のものだと思うわけです。 全くその通りだと思う。 たとえば、 『なぜビジネス書は間違うのか』 の著者も、両者は全く異質であり、それを無理に一つの調査報告にまとめようとすると、「多重人格的な超大作」になると言っている。 この溝は、ロジカル・ライティング/シンキングに対して自分が持っている違和感にもつながる予感がする。

「分かる」が「変わる」

『神は沈黙せず』 が面白かったので、同じ著者の作品を読んでみた。 読んだのは、 『アイの物語』 。 本書は、まず構造が面白い。 長編とも短篇集とも言える。 基本的には短篇と短篇とをインターミッションが繋ぐ構造だ。 だが、そのインターミッションの視点がメタである。そこでは、短篇は作中作として扱われる。 こちらの視点では、本書は長編と言える。 一方、それらの短篇は既に別の雑誌で公開されている。 自分は読んでいないけれど、本書を読む前にそれらを読んだ人もいるだろう。 こちらの視点では、本書は短篇集と言える。 短篇集とも長編ともつかない複雑な構造とは対照的に、物語はとても読みやすい。 インターミッションは、最初、いくらか置いてけぼりを食うが、読み進めていくうちに徐々に明らかになっていく。 また、各短篇が閉じているので、拾い読みも出来る。 ただ、閉じてはいるが、テーマは一貫している。 それは、人とロボット(強い人口知能)との関係だ。 正解のない問題だろうとは思うけれど、本書が最後に示す見方は自分にとっては納得がいくものだった。 端的に言えば、人間は自分の理解できる範囲に、観察結果を押し込んでいる。 ざっくばらんに言えば、擬人化し過ぎ。 (そう言えば、その範囲はどういう条件で広がるのだろう? そしてどこまで広がり得るのだろう?)

You Bodyは今

『極北クレイマー』 を読んだ。 本書は、北海道の病院を舞台とした小説。 これまで読んだ著者の他の小説(『チーム・バチスタの栄光』、『ナイチンゲールの沈黙』、『ジェネラル・ルージュの凱旋』、『ジーン・ワルツ』)と比べると、エンターテインメント性が低い。 ミステリィ要素(一見不可解な事件やその解決)はないし、本作品固有の登場人物のキャラクターも弱い。 何より、話が重い。 暗澹たる気分になる。 そうして問題を読者に意識させることが、提起が著者の狙いなのかも知れない。 けれど、どう取り組めば良いかは、分からない。 そこまで描いて欲しかったというのは、無い物ねだりだろうか。

a drawn game - ドローンランド

『ドローンランド』を読んだ。 この本は近未来のヨーロッパが舞台のSFミステリィ小説。ドローン技術が今よりずっと進歩していて、輸送や犯罪捜査それから監視に広く使われている。ドローン輸送は既に実証実験が始まっているので、近いうちに実現しそう。 それからこの世界ではVR技術も進歩している。監視ドローンが収集した情報を再構成して、そのときその場で起こったことを再生できる。 『ナイチンゲールの沈黙』 のDMA (Degital Movie Analysis) ほどではないけれど、ミステリィとして考えたら一見かなりの反則技。事件当時の現場を再生できてしまう。 この技術があるにも関わらず――あるからこそ、普通のミステリィにはない疑念が生まれてくるのがスリリング。そう言えば、SFとファンタジーとジャンルは違えど、先日読んだ 『折れた竜骨』 も、ミステリィを興醒めにしかねない設定がかえって謎解きをおもしろくしていた。魔術が出てくるミステリィつながりで『トリックスターズ』シリーズがMW文庫から再発売されているのを思い出して、調べてみたら大きく改稿されているうえに、電撃hpでの掲載のみだった短篇が収録されているということを知ってしまった。読みたい。 ミステリィとして読むと、動機が強く印象に残るのが珍しい。自分はもっぱらハウダニットばかりを気にするのだけれど、本作に限っては途中からホワイダニットの方が気になり始めた。ネタバレにならないよう、抽象的に表現するととてもドローンランドらしい動機だったように思う。 SFあり、ミステリィあり、それから触れなかったけれどアクション――Tool Assisted Super Action――あり、政治――作中で英国のEU脱退が危惧されていたけれどまさかのBREXIT発生――ありと、読み応えのある一冊だった。

そろそろそぞろ - ウォークス 歩くことの精神史

『ウォークス 歩くことの精神史』を読んだ。昨年11月にタマフルで紹介されていたのがキッカケ [1] 。たまにあてどなく散策したりするので、歩くことについて改めて考えてみるのもおもしろそうだと思って、手に取ってみた。 おもしろいところもあったけれど、ちょっと散漫な印象。字面を追うだけになることもあった。原題 "Wanderlust: A History of Walking" の "Wanderlust" が「放浪癖」という意味なので、意図的かもしれない。 著者による田舎歩きのモチーフへの次の指摘は、本書にも部分的にも当てはまっているように思う。感傷や自伝的なお喋りが少なからず入り込んでいる。 文芸における田舎歩きのモチーフが陳腐さや感傷や自伝的なお喋りに嵌まり込んでしまう一方、ロングの芸術は素っ気なく、ほとんど沈黙している。 引用元:『ウォークス 歩くことの精神史』 訳者あとがきによると、原著の欄外にあったという膨大なテキストが省略されているそうなので、余計にそう感じるのかもしれない。 でも、歩くことを主軸に幅広い領域を横断していて、読み応えは十分だった。暗い中ふらふらと出歩けるのが人工的な状態だと改めて考えさせられる。 「第六章 庭園を歩み出て」は、昔は野盗の襲撃があったため、徒歩での移動が危険だったというところから始まる。時代が進んで「第十章 ウォーキング・クラブと大地をめぐる闘争」では、イギリスの通行権の話が出てくる。これは昔から通路として使われていた土地は、私有化されたあとも通路として使えるという権利。日本だと「私道につき~」なんて書かれた看板をたまに見かけるけれど、調べて見たら通行料取ったりできるみたい [2] 。実施に取っているところは見たことないけれど。 「第十四章 夜歩く――女、性、公共空間」では、女性が出歩ける場所と時間が制限されている時代・地域がある/あったという話。この問題は、根が深いように思う。今の日本でも、犯罪被害に遭った女性に「そんな時間にそんなところを歩いている方が悪い」というようなことを言う人がいる。犯罪リスクが高いシチュエーションを避けるのが好ましいとしても、だからと言って被害者が悪いなんてことにはならないのに。本書は商店が女性が安心してぶらつくことのできる半公共的な空間...

ド嬢救い - バーナード嬢曰く。3

『バーナード嬢曰く。3』を読んだ。 あるあると肯く話が多くて、つい感情移入してしまう。 例えば、39冊目の「雨宿り」の神林の、本を読もうかどうしようか迷っている気持ち。手が空けばすかさず本を開きたくなるときがある。もちろん時と場合を選びはするけれども。 例えば、35冊目の「沈黙・3」で 『高慢と偏見とゾンビ』 を元ネタ未読のまま躊躇無く読み始めるド嬢の気持ち。どうせ読まないし。訳者あとがきによると「過去の名作の文章を八割以上そのまま」らしいから、もう元ネタも八割読んだと言っても過言じゃないし。でも、43冊目の「○は勘定に入れません」でも神林に薦められた『ボートの3人男』も読んでないし。同じ「主教の鳥株」でひっかかったし。 でもおもしろくて一気に読んだし。 例えば、33冊目と34冊目の間で長谷川さんが語る叙述トリックものミステリとの出会い方。そう、読みたいのに探せないこのもどかしさ。叙述トリックものじゃ、「叙述トリックものである」というジャンルの情報だけでかなりのネタバレになってしまうから、探せない。 ネタバレと言えば33冊目の「ネタバレ」。ここでも、タイトルは伏せておきます。けれど、これだけの情報があれば、検索で簡単に見つけられるよね、きっと。実際、いろんな本のタイトルを検索ボックスに入力されると、かなりの確率で「ネタバレ」や「あらすじ」がサジェストされる。せっかく興味を持ったのに本を読む機会を自分で捨てている人の存在が示唆されて悲しい気持ちになる。 本を読まないと言えば、45冊目でついに出てきた 『読んでいない本について堂々と語る方法』 。予想が当たって嬉しい。

羊たちは沈黙しない

「『天冥の標 VI――宿怨 Part 1, 2』を読んだよ」 「これで既刊を読み終えてしまいましたね」 「あっという間だった」 「本当ですね。一ヶ月も経ってないですよ。このツイートがほんの3週間前――10月7日なんですから」 『天冥の標I』を読み終えた。謎だらけ。まだまだ序盤ということなんだろうな。 posted at 17:41:18 「今自分でも驚いているところ」 「読み始めるまでは遅かったですけれどね。このツイートが投稿されてのは8月29日です」 シリーズタイトルは、天冥の標というのか。読んでみたいな。 posted at 08:27:11 「衝動かどうか見極めるのに、有効だよね、間を空けるって」 「ところで、VIについての感想は?」 「まだVIは終わっていないし、それにこの物語のスケールの大きなこと。全十巻構成だから折り返しているはずなのに、いまだに全貌が見えない。Iで描かれた2800年台までまだ300年あるよ!!」 「まだまだこれから、といった感じですね」 「新刊が待ち遠しいシリーズがまた一つ増えて嬉しい限り」

スマホの魔法 - スマホに満足してますか?

『スマホに満足してますか?~ユーザインタフェースの心理学~』を読んだ。 タイトルや帯の惹句「みんなジョブズにダマされてる!?」は煽り文句。文体からも内容からも、こんな攻撃性は感じられない。輪郭もクリアじゃなくて、エッセイ集のような印象。もちろん主題はユーザインターフェース (UI )なんだけれど、自分がUIと聞いた時に想像するよりずっと広い範囲のトピックを扱っている。 この本の主張は、 『UNIXという考え方』 で読んだ考え方とちょくちょく反対なのが面白い。例えば、〈受動的なインタフェース〉は、〈沈黙は金〉と対照的だ。他にも、この本には〈階層型ファイルシステムの憂鬱〉なんて節がある一方で、UNIXでは〈階層的に考える〉文化がある。 この違いはユーザとしてどんな人として想定しいるかの違いに由来するんだろう。自分の感覚でその違いを表すと、〈コンピュータに何かをして貰いたい人〉と〈コンピュータに何かをさせたい人〉。あるいは、コンピュータに対する期待値の違いかもしれない。やりたいことについて、コンピュータに「これくらい簡単にやってくれよ」と思うか、「あれとこれとそれを教えてあげないといけないな」と思うか。 別の切り口だと、キーボードショートカットでの操作はマウス操作より遅いという実験が紹介されていて [1] 、驚いた。どんなユーザがどんなタスクをする時の操作なのか詳しく触れられていないので今のところは半信半疑だけれど、これも〈過度の対話的インタフェースを避ける〉UNIXの考え方とは相性が悪い。 でも、エンドユーザコンピューティングに話が移ると、ぐるっと一周して繋がりそう。〈例示プログラミング〉の節で紹介されているDynamic Macroって、レビューを読む限りではあるけれど『実践Vim』で強調されているらしい"."コマンドに繋がるんじゃないだろうか。Emacsもあるし、VimがUNIX文化を体現しているかどうか自信がないけれど。 いずれにせよ、余計な手間をかけないで、コンピュータの力を使ってハッピーになる方法を考えるのは面白い。うまく仕込めばワンクリックで終わらせることだってできる。まるで魔法。 [1] AskTog: Keyboard vs. The Mouse, pt 1 , pt 2

成立/不成立

※この物語はフィクションで、実在の人物・団体等とは関係ありません。 「一言余計」 「ありがとう。お褒めに預かり身に余る光栄だよ、一言以外は余計じゃないってことだろ? 世の中、聞こえてくるのは余計なことばかりで、もう少し静かにならないかと常々うんざりさせられているから、それに比べれば一言余計なくらいなら実直とさえ言っても過言じゃないってことだよね」 「ほとんど無駄口」 「なるほど余計なこと以外は、毒にも薬にもならない無駄だらけ、と言うわけか。まったく話半分どころか、九分九厘聞き流されていたわけか。そいつはショックだ。しかし因果なもので、無駄口こそ減らず口とでも言おうか、無駄な言葉こそ使う機会に恵まれずに貯まっていく一方でこうやって外に出してやらないとすぐにパンクしてしまう。差し当たり減らす努力はしてみるが、そこはどうか許してほしい。いや、せめて長い目で見てほしい。ただ、それでも大事なことさえ言ってくれない君よりはマシなんじゃないかと思うときも、なくはないんだけれど。さて、君の言い分は?」 「…………」(じっと相手を見る) 「OK、言いすぎた。不言実行タイプだったね、君は。それはそれでいいことだ。いや、考えてみれば、それこそいいことだ。僕なんかよりずっといい。昔から、雄弁は銀、沈黙は金というくらいだからね。おや、ということは無言こそが金言なのかもしれない。ん、舌の根も乾かないうちだというのに、今のも無駄口か」 「…………」(首を横に振る) 「それは何に対する否定かい? 最後のが無駄じゃないってことはなさそうだから、そうか、最初の君への評価か。じゃあ、ただの口下手とでも言うわけかい? そんなに自虐的にならなくてもとは思うけれど、君が自分のことをそう思っているなら、まあいいさ。それでも、さっきの質問に答えるくらいのことはしてくれてもいいんじゃないかな? もちろんすぐには決められないというのなら、それはそれで一向に構わないのだけれども。いや、いつまでも待たされたままというのも辛。一向にというのは言い過ぎた。でも静香にとはいかないけれど耐えて待つさ、なんたって他ならぬ君の返事なんだからね。それとも質問への答えがそれかい? それなら僕はもう行くことに――」 「…………」(首を横に振る) 「…………」(じっと相手を見る) 「…………」(じ...

恒例の高齢

「『REDリターンズ (原題 "RED 2")』( 公式サイト ) を観てきたよ」 「そう言えば 前作 を気に入っていましたね」 「引き続きヘレン・ミレン演じるヴィクトリアがCOOLだったぜ。あの二丁拳銃を左右にぶっ放すシーンと言ったら!!」 「今回は、新キャラのベイリーとしてアンソニー・ホプキンスも出演されていますね」 「『羊たちの沈黙』のセルフパロディーと思われるシーンがあって笑ってしまった」 「冷静に考えると、惨いシーンも多いですけれどね」 「この手のアクション映画を観るのに、深く考えたらダメだよー」

拡散する情報

『戦争広告代理店』 を読み終えた。 本書は、ボスニア紛争の情報戦についてのドキュメンタリーだ。 紛争の当事者が繰り広げるPR合戦を、時系列に沿って描き出している。 一人歩きする情報の威力が、いかに強力か思い知らされた。 同時に、事実の非力さに愕然とする。 本書は、PRのプロフェッショナルのこんな言葉を載せている。 「どんな人間であっても、その人の評判を落とすのは簡単なんです。根拠があろうとなかろうと、悪い評判をひたすら繰り返せばよいのです。ですから、この種の攻撃は大きなダメージにつながることがあります。たとえ事実でなくとも、詳しい事情を知らないテレビの視聴者や新聞の読者は信じてしまいますからね。攻撃への対応策は綿密に練る必要がありました」 一種の暗示に近い。 言葉だけではなく、写真も同じだ。 この情報戦で、強制収容所に「見えるだけ」の写真が重要な役割を果たしている。 たちの悪いことに、一度はびこってしまった通説は、経験的に簡単には覆らない。 多くの人が、そのことを経験的に知っているから、 『人は見た目が9割』 が売れたのだろうか。 嘘は強い。ひとたび成功した嘘、多くの支持者を獲得した嘘は、真実が暴露されたぐらいで揺らぐものではない。何年、何十年もはびこり続けるのです。 『神は沈黙せず』

良いお年を

「2012年ももう終わりだね」 「今年1年お世話になりました」 「こちらこそ」 「今年はこれで255本目の投稿ですね」 「8bitだね」 「主に双司君の読書ノートと化しているこのブログですが、今年は123冊の本の感想を書いていますね」 「『読書』、『小説』、『新書』、『漫画』のどれかのラベルがついているやつな」 「分類基準については ラベルについて をご参照ください」 「上下巻構成の本など1投稿で2冊以上の本の感想を書いていることがあるから、ラベルの数とは少しずれるけれど、ラベルごとに読んだ本の数はこんな案配に。Rのggplot2で描いてみた。 『グラフィックスのためのRプログラミング ggplot2入門』 を読んだわけだし」 「ソースコードが Gist に投稿されてますけれど、カウントがハードコーディングされているのは……」 「うん。自分で数えた。1投稿1冊ならやりようもあったんだけれど」 「またアナログな」 「ともあれ、『小説』が69冊と次点『読書』の34冊の倍以上とぶっちぎりということがよく分かる。シリーズ物で一気に増えるからなぁ」 「今年読んだシリーズものですと、〈天冥の標〉だけで8冊、〈ミレニアム〉シリーズだけで6冊。このあたりで伸びていますね」 〈天冥の標〉 羊が1匹、2匹、……、N匹 1匹目の羊 Sheep and Ships 羊の皮を被るもの 羊の夢 羊たちは沈黙しない 〈ミレニアム〉 Tattooed (原作) Tattooed (2) Tattooed (3) 「特に〈天冥の標〉シリーズは読み始めたら止まらなくなって。逆に『読書』に含まれているプログラミング関連の本は、そんな風には読めない」 「サンプルコードを追ったり、手を動かしたりしながら、ですからね」 「うん。それに厚いのも多い。ページ数換算なら実は結構近いんじゃないかな」 「でも『小説』枠には〈境界線上のホライゾン〉シリーズという難敵が」 「V〈 上 ・ 下 〉だけで千数百ページあるからな……」 「ざっと投稿を振り返ってみると、あまり人文系・思想系の本を読まなくなりましたね」 「 『正義のアイディア』 とか 『一般意志2.0』 とか面白かったよ。でも、これらを読んでいると、いわゆる〈真理〉みたいなものが、どんどん胡散臭く感じら...

めくるめくメールついついツイッター

COURRiER Japon 3月号を読んだ。 『社内コミュニケーションが進化「メールは今日から廃止します」』というWSJ USAからの記事を読んで、どこかで見たな、と思う。閲覧履歴を漁ってみたら、次の記事が見つかった。 ヨーロッパ最大のIT企業、社内メールを廃止? | スラッシュドット・ジャパン IT 脱電子メールの4年間:IBM社員のワークスタイル « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム それから、 『日本でいちばん社員満足度が高い会社の非常識な働き方』 のECスタジオは、商品でもある自社ツールChatWorkを使っていると聞く。 自分も、連絡先としてメールアドレスもtwitterアカウントも知っている相手には、メールよりもtwitterを通してやりとりするようになりつつある。長くなるとメールに切り替えるけれど、キッカケはtwitterということが多い。 話しかけ易いんだろうな、と思う。メールを出すときには、沈黙の中で第一声を放つときのような抵抗を感じるけれど、twitterにはそれがない。タイムラインから、常にざわめきを感じているからだと思う。 いい雰囲気。