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拡散する情報

『戦争広告代理店』を読み終えた。
本書は、ボスニア紛争の情報戦についてのドキュメンタリーだ。
紛争の当事者が繰り広げるPR合戦を、時系列に沿って描き出している。

一人歩きする情報の威力が、いかに強力か思い知らされた。
同時に、事実の非力さに愕然とする。

本書は、PRのプロフェッショナルのこんな言葉を載せている。
「どんな人間であっても、その人の評判を落とすのは簡単なんです。根拠があろうとなかろうと、悪い評判をひたすら繰り返せばよいのです。ですから、この種の攻撃は大きなダメージにつながることがあります。たとえ事実でなくとも、詳しい事情を知らないテレビの視聴者や新聞の読者は信じてしまいますからね。攻撃への対応策は綿密に練る必要がありました」
一種の暗示に近い。

言葉だけではなく、写真も同じだ。
この情報戦で、強制収容所に「見えるだけ」の写真が重要な役割を果たしている。

たちの悪いことに、一度はびこってしまった通説は、経験的に簡単には覆らない。
多くの人が、そのことを経験的に知っているから、『人は見た目が9割』が売れたのだろうか。
嘘は強い。ひとたび成功した嘘、多くの支持者を獲得した嘘は、真実が暴露されたぐらいで揺らぐものではない。何年、何十年もはびこり続けるのです。
『神は沈黙せず』

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