スキップしてメイン コンテンツに移動

言葉を失う

『考える技術・書く技術』を読んだ。
読み手によい物語を伝えようとすれば、その物語とは読み手がすでに知っているもの、または、十分な情報を与えられていれば、当然知っていると思ってさしつかえないものとなります。
ここで紹介しているのは、自分の考えを他人に受け入れさせるための技術である。
技術なので、手段である。目的は、他人を変えることだ。
イノベーションは社会を変革するものですが、社会に受け入れられるにはまず、既存の価値観と整合性をとる必要があるのです。
『イノベーションの神話』
頭では分かる。
けれど、自分が読みたいと感じるのは、読んで良かったと感じるのは、自分の知らないことだ。
読んだ本は読んでない本よりずっと価値が下がる。蔵書は、懐と住宅ローンの金利と不動産市況が許す限り、自分の知らないことを詰め込んでおくべきだ。(中略)実際、ものを知れば知るほどよんでない本は増えていく。
『ブラック・スワン[上]』
知っていることをいくらインプットしたって、考えが偏るばかりだと思っている。
また、血液型人間学を信じていれば、それに合致した行動だけが記憶に残り、それ以外の行動は忘れてしまうという確証バイアスもある。
『「心理テスト」はウソでした。』
さらに言えば、分かりやすい文には他意を感じる。
有り体に言えば、プロパガンダではないかと疑ってしまう。
人々のしたがうべき価値の妥当性を、人々に受け入れさせる最も有効な方法は、人々または少なくともそのなかの最も善良なものが常に抱いていて、しかもこれまで適当に理解されず、また認められなかった価値と実質的に同じものであると説得することである。
『隷従への道―全体主義と自由』
だから、自分の中には、分かりやすいものは間違っているというヒューリスティックさえ存在する。
正しいことが分かりやすければ、身の回りにもっと分かりやすくて正しいものがあるはずだ、と思う。
分かりやすいことと正しいことは、決定的に違う。
正しさとわかりやすさを取り違えてはいけない。
『まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか
多分、身の回りにあるのは、正しさとは関係なく分かりやすいものだろう。
分かりにくいものは、受け入れられないからだ。
たとえば、エイモス・トバースキーとダニエル・カーネマンによれば、人びとは、自分に理解できない案は、そこに内在するリスクに関係なく「リスクが大きい」と判断し、理解できる案は、内在するリスクに関係なく「リスクが小さい」と判断する傾向があるという。
『イノベーションのジレンマ』
無理に両立させようとすると、ますます分からなくなるらしい。
スタンフォード大学のジェームズ・マーチとロバート・サットンによれば、企業パフォーマンスに関する調査には二つのタイプがあり、それぞれまったく性格の異なる世界に属しているという。一つは行動しようとする経営者向けのもので、どうしたら業績を向上させられるかと悩む者に報いてくれる。人々を励まし、やる気にさせるのを目的とする調査だ。もう一つは学術研究としての厳密さを重視し、それに答えてくれる。科学を最高のものとし、ストーリーは二の次、三の次だ。マーチとサットンはこう説明する。「二つはしばしば対立しあう要求であり、調査者は両方を満たそうとして、集めたデータから企業パフォーマンスの要因は推定できないとしつつ、推定しようとする」。こうして調査は「コンサルタントと教師および調査者の役割が分離した多重人格的な超大作」になるのである。二つの世界は異なる論理で動いており、ルールも違えば対象としている読者が求めていることも違い、交わることはほとんどない。
『なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想』
本書は、ストーリー=分かりやすさに特化しているけれど、逆の方法、つまりサイエンス=正しさに特化する方法もあるんじゃないだろうか。
「ほんとうに正直なサイエンティストは『本物(実験データ自体)』をポンと提示して沈黙しているヤツなんじゃないのかなぁ。語りだしたら、言葉にはウソが必ず混ざってしまうのかもしれない」
と考がえることもあります。「本物(実験データ自体)」と「説明(伝えること)」は本来は別のものだと思うわけです。
『ゆらぐ脳』
嘘を混ぜて分かってもらうよりも、本物を示して分かって貰えない方が、潔いのでは?
と言うのも、嘘はしつこい。
嘘は強い。ひとたび成功した嘘、多くの支持者を獲得した嘘は、真実が暴露されたぐらいで揺らぐものではない。何年、何十年もはびこり続けるのです。
『神は沈黙せず』
しつこい上に、周囲の認識はそれでも変わる。
認識を変えるのに、正しさは必ずしも必要ではない。
「どんな人間であっても、その人の評判を落とすのは簡単なんです。根拠があろうとなかろうと、悪い評判をひたすら繰り返せばよいのです。ですから、この種の攻撃は大きなダメージにつながることがあります。たとえ事実でなくとも、詳しい事情を知らないテレビの視聴者や新聞の読者は信じてしまいますからね。攻撃への対応策は綿密に練る必要がありました」
『戦争広告代理店』
多くのメッセージは、もはや、何を受け入れて貰いたいのか、見失っているように見える。
何を受け入れて貰ったのかさえも、関心事ではないようだ。
メッセージが分かりやすければ、問題の正しさは二の次、三の次。
「正しい疑問に対する近似的な解を持つ方が、間違った疑問に対する正確な解を持つよりましである」
『統計学を拓いた異才たち―経験則から科学へ進展した一世紀』
これが良心だと思う。

このブログの人気の投稿

北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

Memory Free - 楽園追放 2.0 楽園残響 -Goodspeed You-

『楽園追放 2.0 楽園残響 -Goodspeed You-』を読んだ。映画 『楽園追放 -Expelled from Paradise-』 の後日譚にあたる。 前日譚にあたる『楽園追放 mission.0』も読んでおいた方がいい。結末に言及されているので、こちらを先に読んでしまって後悔している。ちなみに、帯には「すべての外伝の総決算」という惹句が踊っているけれど、本作の他の外伝はこれだけ [1] 。 舞台は本編と同じでディーヴァと地球だけれど、遥か遠く外宇宙に飛び立ってしまったフロンティアセッターも〈複製体〉という形で登場する。フロンティアセッター好きなのでたまらない。もし、フロンティアセッターが登場していなかったら、本作を読まなかったんじゃないだろうか [2] 。 フロンティアセッターのだけでなくアンジェラの複製体も登場するのだけれど、物語を牽引するのはそのどちらでもない。3人の学生ユーリ、ライカ、ヒルヴァーだ。彼らの視点で描かれる、普通の (メモリ割り当てが限られている) ディーヴァ市民の不自由さは、本編をよく補完してくれている [3] 。また、この不自由さはアンジェラの上昇志向にもつながっていて、キャラクタの掘り下げにも一役買っていると思う。アンジェラについては前日譚である『mission.0』の方が詳しいだろうけれど。 この3人の学生と、フロンティアセッターとの会話を読んでいると、フロンティアセッターがフロンティアセッターしていて思わず笑みがこぼれてしまう。そうして、エンディングに辿りついたとき、その笑みが顔全体に広がるのを抑えるのに難儀した。 おめでとう、フロンティアセッター。 最後に蛇足。関連ツイートを 『楽園残響 -Goodspeed You-』読書中の自分のツイート - Togetterまとめ にまとめた。 [1] 『楽園追放 rewired サイバーパンクSF傑作選』は『楽園追放』と直接の関係はない。映画の脚本担当・虚淵玄さんが影響を受けたSF作品を集めた短編集。 [2] フロンティアセッターは登場しないと思って『mission.0』を読んでいない。 [3] 本編では、保安局高官の理不尽さを通して不自由さこそ描かれてはいたものの、日常的な不自由は描かれていなかったように思う。アンジェラも凍結される前は豊富なメ

報復前進

『完全なる報復 (原題: Law Abiding Citizen)』 を観た。 本作では、家族を押し入り強盗に殺された男クライドが、その優れた知能と技術でもって犯人に報復する。 ここまでで半分も来ていない。本番はここから。 クライドの報復はまだまだ続く。 一見不可能な状態からでも確実に報復を続けるクライドが、冷静なのか暴走しているのか分からず、 緊張感をもって観ていられた。 欲を言えば、結末にもう一捻りあると嬉しかった。 ちょっとあっさりし過ぎだと感じてしまった。