スキップしてメイン コンテンツに移動

お帰りお隣さん - スパイダーマン:ホームカミング

『スパイダーマン:ホームカミング』(原題 "Spider-Man: Homecoming")を観てきた。

『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』で既に登場してはいたけれど、本作でついにスパイダーマンがMCU (Marvel Cinematic Universe) に本格合流[1]

だからと言って、これまでのMCUを観ていないと楽しめないなんてことは全然ないと思う。ロバート・ダウニー・Jr演じるトニー・スタークが巨大企業スタークインダストリーズの社長で、アイアンマンというヒーローでもあり『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』でスパイダーマンの力を借りたけれど、まだ実力を認めきっていないってくらい分かっていれば十分。いっそ予備知識ゼロで、ここから観始めてもいいんじゃないかな。

それくらいこの親愛なる隣人=スパイダーマンを応援したい。8/11公開からちょうど今日でちょうど2週間。上映枠が減り始めている頃だろうから、公開中にぜひ。

スパイディー (スパイダーマンの愛称) の魅力は本作で十二分に描かれている[2]。というわけで、トニーについてちょっと補足。。本作でも重要な役回りを演じているものの、MCU第1弾『アイアンマン』に始まり、『〃2』『〃3』『アヴェンジャーズ』『アヴェンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』と出演を重ねてきた経緯があり、本作内では描かれていない部分が多いので。

本作をトニー (と彼をサポートするハッピー) の視点で捉えると、父親役を務めようとしているのだけれどコミュニケーション不調ですれ違っちゃって、一度は突き放すのだけれど、一人で立ち上がったスパイダーマン=ピーターをヒーロー・チーム「アヴェンジャーズ」の仲間に迎え入れようとして、親離れしたかのような返事をもらうまでが描かれている。

その結果、MCU第1弾として2008年に公開された『アイアンマン』から観ていると、元武器商人だわ、女遊びはしていたわ、酒にも溺れかけたわ、と酷い父親の要素を総ナメにしていた彼が、本作のラストで彼を支え続けるペッパーと身を固めることを公にする。それがとても感慨深い。完全に外堀を埋められた――ペッパーがいい機会だと思い立って、2008年から渡し損なったままになっていた指輪をハッピーがここぞとばかりに取り出した――結果というのが、また彼らしい。

[1] 権利上の問題でSony PicturesとMarvel Studioの提携が必要だった。サム・ライミ監督制作の三部作、リブート後の『アメイジング・スパイダーマン』『〃 2』はMCUではないので、他MCU作品 (アイアンマンとかキャプテン・アメリカとかソーとかハルクとか) とは絡まない。
[2] 思うところが多過ぎて、インタビュー記事や他の方の感想を探しては読んでいた。自分の感想と合わせてまとめようと試みて、まとめきれなかった。その結果が【ネタバレ含】『スパイダーマン:ホームカミング』の感想まとめ(まとまっていない)

このブログの人気の投稿

北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

戦う泡沫 - 終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #06, #07

『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06, #07を読んだ。 『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06と#07を読んだ。#06でフェオドールの物語がひとまずは決着して、#07から第二部開始といったところ。 これまでの彼の戦いが通過点のように見えてしまったのがちょっと悲しい。もしも#07がシリーズ3作目の#01になっていたら、もう少し違って見えたかもしれない。物語の外にある枠組みが与える影響は、決して小さくない。 一方で純粋に物語に抱く感情なんてあるんだろうか? とも思う。浮かび上がる感情には周辺情報が引き起こす雑念が内包されていて、やがて損なわれてしまうことになっているのかもしれない。黄金妖精 (レプラカーン) の人格が前世のそれに侵食されていくように。

リアル・シリアル・ソシアル - アイム・ノット・シリアルキラー

『アイム・ノット・シリアルキラー』(原題 "I Am Not a Serial Killer")を見た。 いい意味で期待を裏切ってくれて、悪くなかった。最初はちょっと反応に困るったけれど、それも含めて嫌いじゃない。傑作・良作の類いではないだろうけれど、主人公ジョンに味がある。 この期待の裏切り方に腹を立てる人もいるだろう。でも、万人受けするつもりがない作品が出てくるのって、豊かでいいよね(受け付けないときは本当に受け付けないけれど)。何が出てくるかわからない楽しみがある。