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流通網の箱 - コンテナ物語

『コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった』を読んだ。

タイトルの方が的を射ていて、サブタイトルの方が蛇足。珍しいように思う。タイトルはフックになるよう正確性を犠牲にして、サブタイトルで内容を示すタイトルの方が多い気が。

本書のテーマは「「箱」の発明」ではない。言うまでも無く、「コンテナ」が存在する前から「箱」は存在しているし、コンテナの起源として「箱」まで遡ったりしない。それから「「コンテナ」の発明」でもない。「コンテナ」が発明されても、世界は変わったりしない。

本書が描くのは、「コンテナ」が発明され、流通を席巻するまでの物語。アイディアを思いついてコンテナを作っても、それだけじゃ広まらない。多くの利害関係者ーー港で働く労働者、競合となる海運、設備投資が必要となる港、連携相手である陸運、それから顧客である荷主などなどーーとのやりとりを経て、ついに世界中を駆け巡るまでが描かれる。言い換えれば、コンテナを軸とした流通システムが、国際社会に構築された過程とも言える。

さらにはこのシステム、工業製品の製造プロセスまで変えてしまう。物を移動させるコストが低下したことで、原材料と製品だけでなく中間部品まで行き交うようになる。つまり、いわゆるグローバルサプライチェーンの構成を可能にしたのだ。

読む前にはコンテナなんて脇役に過ぎないと思っていて、まさか経済活動の形を変えるのに一役担うまでに至るとは、想像だにしなかった。

でも、思えばGoogleも同じだ。物と情報という違いはあれど、ひたすら移動を効率化することで、一見何も作っていないように見えるけれど、新しい経済活動の形を作ってしまった。

余談。コンテナつながりで『コンテナを追え』もおもしろそうなのだけれど、絶版になってしまっているようで、Amazonの中古価格は高騰しているし、ざっ見た感じ中古書店では在庫切れだし、近所の図書館には置いていない。残念。

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