SF小説『第六大陸』の1, 2巻を読んだ。これで完結。2冊で終わるときは、上下巻表記という固定観念があったので、読み始める前は3巻以上あるかと誤解していた。
それはさておき。
本書のテーマは月面での建設。それも、宇宙飛行士ではなく、一般の人を招くための施設。だから、施主からしたら、安全が保たれてようやくスタート地点で、そのうえ快適に滞在でき、華麗な装飾が施され、贅沢な料理が供されるような施設を要求することになる。
言い換えると、施主の目的は、月に行くことではない。月に行くためのロケットは、1巻の表紙を飾ってこそいるが、建設中は人員や資材を運ぶトラックであり、オープン後は客を運ぶバスだ。宇宙へ出るのが夢でも常識でもないところが、あまり見ない舞台設定で新鮮。
これだけ壮大なプロジェクトが、執筆当時(本書は2003年発売)の技術の延長線上で描かれる。だから、施主は巨大レジャー企業で、元請けは大手建設ゼネコンで、この一大プロジェクトにロケットを開発している企業が参画している体制となる。たいていは悪し様に書かれることが多い大手建設ゼネコンが、主人公サイドというか主人公の一人・青峰走也がその社員なのも珍しいように思う。
現実味あふれるあまり、最初はなかなか計画が進まない(資材を運ぶためにロケットを改良するところから始まる)けれど、ひとたび軌道に乗ってしまえば一気に物語が動き始める。2巻なんて、先が気になるあまり1日で読み切ってしまった。プロジェクトの進行だけでなく、もう一人の主人公巨大レジャー企業の社長令嬢・西園寺妙の、プロジェクトオーナーとしての振る舞いや、個人として抱える秘密も、物語を引っ張ってくれた。
ここからは余談。『火星の人』も現実の延長線上の技術に沿って書かれているけれど、対象的な構図になっているのがおもしろい。本書は、月に多くの一般の人を送り込もうという私企業の物語。これに対して『火星の人』は火星に一人取り残されて地球に戻ろうというNASA宇宙飛行士の物語だ。
さらに余談。本筋とは関係ないけれど、次の一節が、2003年に発売された2025年を舞台にした小説で書かれていて、驚いた。こうなって欲しいなと思う。
それはさておき。
本書のテーマは月面での建設。それも、宇宙飛行士ではなく、一般の人を招くための施設。だから、施主からしたら、安全が保たれてようやくスタート地点で、そのうえ快適に滞在でき、華麗な装飾が施され、贅沢な料理が供されるような施設を要求することになる。
言い換えると、施主の目的は、月に行くことではない。月に行くためのロケットは、1巻の表紙を飾ってこそいるが、建設中は人員や資材を運ぶトラックであり、オープン後は客を運ぶバスだ。宇宙へ出るのが夢でも常識でもないところが、あまり見ない舞台設定で新鮮。
これだけ壮大なプロジェクトが、執筆当時(本書は2003年発売)の技術の延長線上で描かれる。だから、施主は巨大レジャー企業で、元請けは大手建設ゼネコンで、この一大プロジェクトにロケットを開発している企業が参画している体制となる。たいていは悪し様に書かれることが多い大手建設ゼネコンが、主人公サイドというか主人公の一人・青峰走也がその社員なのも珍しいように思う。
現実味あふれるあまり、最初はなかなか計画が進まない(資材を運ぶためにロケットを改良するところから始まる)けれど、ひとたび軌道に乗ってしまえば一気に物語が動き始める。2巻なんて、先が気になるあまり1日で読み切ってしまった。プロジェクトの進行だけでなく、もう一人の主人公巨大レジャー企業の社長令嬢・西園寺妙の、プロジェクトオーナーとしての振る舞いや、個人として抱える秘密も、物語を引っ張ってくれた。
ここからは余談。『火星の人』も現実の延長線上の技術に沿って書かれているけれど、対象的な構図になっているのがおもしろい。本書は、月に多くの一般の人を送り込もうという私企業の物語。これに対して『火星の人』は火星に一人取り残されて地球に戻ろうというNASA宇宙飛行士の物語だ。
さらに余談。本筋とは関係ないけれど、次の一節が、2003年に発売された2025年を舞台にした小説で書かれていて、驚いた。こうなって欲しいなと思う。
一時の右傾化を乗り切って素朴な平和主義の憲法を固持し、中立を保ったまま見事な外交国家に転じた日本