『螺旋時空のラビリンス』を読んだよ。タイムトラベルSFと聞いて。
意味で予想を裏切られた。表紙から受ける繊細なイメージとは裏腹に、ディストピアから始まったりする。
Twitterでタイトルを検索したら『紫色のクオリア』に言及するツイートを見かけた。言われてみれば。でも、自分が先に連想したのは『Steins;Gate』だった。タイトルを構成するのが「四字熟語 + の + カタカナ」なので余計にそう感じるのかもしれない。
でも、立ち止まって考えてみると、タイトルという外形以上に、感情移入の仕方という内面的な違いが見えてくる。その違いを生んでいるのは、主人公の視点からの「失敗」の見え方の違いだと思う。
どちらも「失敗」が複数回発生する点は同じだけれど、本作や『Steins;Gate』などのいわゆるループ物では、試行錯誤と失敗が繰り返されているように見えるのに対して、『紫色のクオリア』(とか恐らく参照しているであろう『宇宙消失』)では失敗前提の総当たりをしているように見える。
プログラミングの手続き型と宣言型の違い似ている気がする。思いついてしまったので、少し掘り下げてみよう。
ループものはCに代表される手続き型だ。逐次処理をループさせて成功条件が成立したらループを脱出している。
こんなイメージ。
意味で予想を裏切られた。表紙から受ける繊細なイメージとは裏腹に、ディストピアから始まったりする。
Twitterでタイトルを検索したら『紫色のクオリア』に言及するツイートを見かけた。言われてみれば。でも、自分が先に連想したのは『Steins;Gate』だった。タイトルを構成するのが「四字熟語 + の + カタカナ」なので余計にそう感じるのかもしれない。
でも、立ち止まって考えてみると、タイトルという外形以上に、感情移入の仕方という内面的な違いが見えてくる。その違いを生んでいるのは、主人公の視点からの「失敗」の見え方の違いだと思う。
どちらも「失敗」が複数回発生する点は同じだけれど、本作や『Steins;Gate』などのいわゆるループ物では、試行錯誤と失敗が繰り返されているように見えるのに対して、『紫色のクオリア』(とか恐らく参照しているであろう『宇宙消失』)では失敗前提の総当たりをしているように見える。
プログラミングの手続き型と宣言型の違い似ている気がする。思いついてしまったので、少し掘り下げてみよう。
ループものはCに代表される手続き型だ。逐次処理をループさせて成功条件が成立したらループを脱出している。
while(true) { // なんやかんや; if (目的を達成) { break; } } happyEnd();一方、後者はSQLなんかが属する宣言型だ。成功条件を記述してそれを満たす結果だけを手に入れようとしている。
SELECT result as HappyEnd WHERE 目的を果すための条件 FROM なんやかんや;
こんなイメージ。