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リーン倫理 - 角川インターネット講座1 インターネットの基礎

【全15巻合本版】角川インターネット講座<角川インターネット講座> (角川学芸出版全集)『【全15巻合本版】角川インターネット講座』をちょっとずつ読み進めている。先日 (1月末頃)、Kindleストアで、87%OFF+20%ポイント還元の大盤振る舞いだったので、全部は読まないだろうと思いつつまとめ買い。

最初に読んだのは、『1 インターネットの基礎』の第2部『TCP/IP発明者からの「宿題」』。大きな課題が俯瞰的に語られていて新鮮だった。自分の視線は細部にばかり向いている (その割に解像度は低いけれど)。

IPv6とかHTML5とかHTTP2.0とか、ここ数年で要素技術がアップデートされているけれど、もっと長期的かつ抽象的な「宿題」が提示されている。いくつも挙がっている中で、自分が特に気になったのは次の3つ。どちらかというとユーザの視点が強く出ている。
  • あらゆるレベルのセキュリティ
  • ビット腐れ (bir rot)
  • ガバナンスに関する課題

セキュリティが確保されていないと安心して使えないし、ビットが腐ると思うと大事なデータのアナログな原本を捨てられない。もちろんこれらは、利用者個人としても気をつけるべきことではある。パスワードを使い回さないとか、データは定期的にバックアップするとか。でも、技術的に解決できるものならして欲しい。

一方で技術と個人だけでは解決しない問題もある。著作権の問題をはじめ、技術が法の前提を揺るがすことがある。これらはガバナンスに関する課題として顕在化してくるはず。それから、技術からさらに離れると、倫理に関する課題も出てくるはず。ロボット倫理とか神経倫理とか。このあたり、哲学の〈主体〉とか〈責任〉に関する議論と繋がりそうだよなぁ。このあたり『CODE 2.0』が詳しかったはず(記憶が朧気)。対比させるとこんな感じだろうか。
  • アーキテクチャ: 技術
  • 市場: ユーザ
  • 法: ガバナンス
  • 規範: 倫理

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