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アサシン刷新

暗殺教室 7 (ジャンプコミックス)『暗殺教室7』を読んだ。

浅野父子(理事長・學峯と生徒会長・学秀)が相変わらずギスギスしていて目が離せない。第54話での遣り取りはゾクゾクした。今回は振るわなかった学秀だけれど、やられてこのまま黙っているとは思えないので、リベンジして来そう。父親に対してもE組に対しても。

対称的に、殺せんせーとE組の面々は良好な関係を築いている。殺せんせーから生徒への信頼も、生徒から殺せんせーへの信頼も厚い。一方で、生徒が殺せんせーを暗殺しようとしたときには容赦が無くて安心した。今回はかなりのところまで殺せんせーを追い込んだけれど、残念ながら暗殺失敗(成功するとしたら最終回だろうし、仕方ないとは言え)。

さて、最後に第三勢力が殺せんせーを狙ってきたかのように描かれているけれど、どうなることやら。素直に読めば訓練中に示唆された暗殺者なんだろうけれど。

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北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

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