『政治家の殺し方』を読んだ。
本書はスキャンダルに晒された元横浜市長・中田宏による先に結果を述べておくと、関連する裁判4件およびについては、全て著者が勝訴しているとのこと。
でも、筆者の勝訴は、スキャンダルを起こした側にとってどうでもいいことだ、という。筆者の評判は十分に貶められた。今のところの日本では、選挙戦で対立候補を非難するネガティブ・キャンペーンは貼られないと聞くけれど、あからさまじゃないだけじゃないか、と思う。『戦争広告代理店』(感想) で紹介されていたPRのプロの言葉を思い出す。
筆者への攻撃はこのような派手なスキャンダルに留まらず、市庁舎への押しかけや職員からの嫌がらせメールもあったそうだ。中には脅迫まがいのものもあったらしい。
ここまでがハウダニット。それから、ホワイダニットすなわち攻撃者が現れる理由についても、著者の考えが述べられている。最も端的に書かれているのは、次の一文。
職を失いかねないという想像は、人を恐慌に陥らせられると思う。安定していると認識されている市職員は特にそうだと思う。それは議員(含む候補)も変わらないんじゃないかな。選挙活動を就職活動と形容した箇所があって、オールオアナッシングの世界なんだろうな、と創造する。
この徹底抗戦の様相で、『一般意志2.0』(感想) 第4章で紹介されていたシュミットの政治を思い出した。シュミットの主張では、「「友」と「敵」を分割し、敵を存在論的に殲滅する」のが、政治の本質らしい。「政治の本質って?」なんて考えても、言語ゲームに過ぎないと思うので、深入りはしない。著者は実際に「敵」と断じられて、政治的に抹殺されかけたのが、事実というだけで十分。
それでも、著者が改革を進められたのは、「陣頭に立ってくれた幹部職員」(シュミットの政治観でいうと「友」)がいたからだとあとがきで述べている。あとがきで述べている。もちろん、その過程で被害を受けた人もいる。それについては、『第4章 史上最悪の市長に振り回された人々』で1章が割かれている。昔読んだライトノベル『猫の地球儀』を思い出す。ただ、現実は小説のように感傷的なエンディングで終わったりはしない。
最も割を食ったのは、この巻き添えを食った人だと思う。こうした人たちが出なくて、だけれど、利権構造を解体できるような進め方はないんだろうか。
著者のようにこのような形で少なからず名誉を回復できる人は、ごくごく一部だと思う。マスコミから悪者扱いされたけれど、反論もできず世間からは忘れ去れれて、周囲からは腫れ物扱いされて、人生を棒に振らされた人も少なくないんじゃないだろうか。
例えば、直接巻き添えを食ったわけじゃないけれど、本書でも引き合いに出されている「騒音おばさん」。少しネットで調べてみるとマスコミの報道から作り出したイメージとは、かけ離れた実態があったんじゃないかと思える情報がポロポロ出てくる。
本書はスキャンダルに晒された元横浜市長・中田宏による先に結果を述べておくと、関連する裁判4件およびについては、全て著者が勝訴しているとのこと。
でも、筆者の勝訴は、スキャンダルを起こした側にとってどうでもいいことだ、という。筆者の評判は十分に貶められた。今のところの日本では、選挙戦で対立候補を非難するネガティブ・キャンペーンは貼られないと聞くけれど、あからさまじゃないだけじゃないか、と思う。『戦争広告代理店』(感想) で紹介されていたPRのプロの言葉を思い出す。
余談だけれど、この手の訴訟をSLAP (Strategic Lawsuit Against Public Participation) というらしい。「どんな人間であっても、その人の評判を落とすのは簡単なんです。根拠があろうとなかろうと、悪い評判をひたすら繰り返せばよいのです。ですから、この種の攻撃は大きなダメージにつながることがあります。たとえ事実でなくとも、詳しい事情を知らないテレビの視聴者や新聞の読者は信じてしまいますからね。攻撃への対応策は綿密に練る必要がありました」
筆者への攻撃はこのような派手なスキャンダルに留まらず、市庁舎への押しかけや職員からの嫌がらせメールもあったそうだ。中には脅迫まがいのものもあったらしい。
ここまでがハウダニット。それから、ホワイダニットすなわち攻撃者が現れる理由についても、著者の考えが述べられている。最も端的に書かれているのは、次の一文。
それは利権構造にメスを入れ、甘い汁を吸ってきた人間を追い詰めてしまったことによる。「甘い汁」と表現されているけれどそれは端から見た話で、本人から見たら生活レベルを下げられかねないわけで、簡単には許容できないだろう。生活レベルが下がるだけならまだしも、職を失い兼ねないというところまで想像が及んだら、極端な反撃に出る人の出現に大きな違和感を覚えない。
職を失いかねないという想像は、人を恐慌に陥らせられると思う。安定していると認識されている市職員は特にそうだと思う。それは議員(含む候補)も変わらないんじゃないかな。選挙活動を就職活動と形容した箇所があって、オールオアナッシングの世界なんだろうな、と創造する。
この徹底抗戦の様相で、『一般意志2.0』(感想) 第4章で紹介されていたシュミットの政治を思い出した。シュミットの主張では、「「友」と「敵」を分割し、敵を存在論的に殲滅する」のが、政治の本質らしい。「政治の本質って?」なんて考えても、言語ゲームに過ぎないと思うので、深入りはしない。著者は実際に「敵」と断じられて、政治的に抹殺されかけたのが、事実というだけで十分。
それでも、著者が改革を進められたのは、「陣頭に立ってくれた幹部職員」(シュミットの政治観でいうと「友」)がいたからだとあとがきで述べている。あとがきで述べている。もちろん、その過程で被害を受けた人もいる。それについては、『第4章 史上最悪の市長に振り回された人々』で1章が割かれている。昔読んだライトノベル『猫の地球儀』を思い出す。ただ、現実は小説のように感傷的なエンディングで終わったりはしない。
最も割を食ったのは、この巻き添えを食った人だと思う。こうした人たちが出なくて、だけれど、利権構造を解体できるような進め方はないんだろうか。
著者のようにこのような形で少なからず名誉を回復できる人は、ごくごく一部だと思う。マスコミから悪者扱いされたけれど、反論もできず世間からは忘れ去れれて、周囲からは腫れ物扱いされて、人生を棒に振らされた人も少なくないんじゃないだろうか。
例えば、直接巻き添えを食ったわけじゃないけれど、本書でも引き合いに出されている「騒音おばさん」。少しネットで調べてみるとマスコミの報道から作り出したイメージとは、かけ離れた実態があったんじゃないかと思える情報がポロポロ出てくる。