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広がるガール - 数学ガール ゲーデルの不完全性定理

数学ガール ゲーデルの不完全性定理 (数学ガールシリーズ 3)『数学ガール ゲーデルの不完全性定理』を読み返した。『無限論の教室』で〈無限〉が哲学的に論じられているのを読んで、「そう言えば数学的にはどうだったんだっけ?」と気になって。

そして、ミルカさんの次の一言にシビれた。
「無限は感覚をあざむく」とミルカさんが言った。「オイラー先生の真似ができる人はそうそういない。無限を扱うときに感覚に頼ると失敗する」
そう、感覚と事実は往々にして一致しない。統計が好きな自分の場合、〈モンティ・ホール問題〉や〈リンダ問題〉が良い例。感覚的に納得できないからと言って、論理的に正しくないとは限らない。

とどのつまり、自分が『無限論の教室』を読んでモヤモヤしていたのは、ミルカさんのこの忠告を忘れていたからだと思う。
そして、ミルカさんは、メガネを指を押し上げて言った。「要するに《数学的な議論と、数学論的な議論は分けるべき》なんだ」
自分が読んでいるのが、数学的な議論なのか数学論的な議論なのか、意識しないまま読んでいた。『無限論の教室』は〈数学論的な議論〉で、『数学ガール ゲーデルの不完全性定理』は〈数学的な議論〉だ。

この忠告を思い出した今になって、『無限論の教室』を思い返してみると、自分の哲学的な議論への関心が薄れてきたことを実感する。関心が薄れたのは、その議題は問題じゃ無くて〈言語的誤解〉に過ぎないんじゃないか? と考えるようになったからだ[1]。『数学ガール』の〈僕〉のこの言葉にも繋がる。
「テトラちゃん、いま、矛盾と完全という言葉の辞書的意味に引きずられたね」と僕は言った。
辞書的意味に引きずられて数学的用語を誤解すると、かえって理解から遠ざかる。

ところで、『無限論の教室』では、可能無限の立場に立ち排中律を拒否したブラウアーの直観主義は受け入れられず、ヒルベルトの形式主義が受け入れられたけれど、そのヒルベルトの目論見――ヒルベルト・プログラムはゲーデルの不完全性定理により破産したという流れになっている。

でも、実際排中律を使わない3値論理も実装されているよな[2]と思って調べてみたら、ブラウアーの主張は弟子のハイティングによって整理された結果、色々と広がっているみたい。
ブラウワーの主張は、感覚的で分かりにくかったが、その後ハイティング等によって整備され、結果的には古典論理から排中律を除いた形で形式化されたものが今日、直観主義論理として受け入れられている。
数学的直観主義 - Wikipedia
素人がWikipediaでざっと調べた限りだけれど、関連してこの辺りが見つかった[3]というわけで、こちらはこちらで生きているようだし、ゲーデルの不完全性定理によって、
《証明ができない》ことを利用して、形式体系の相対的な強さを《証明できる》
ようになったらしいし、どんどん広がっていく数学って素敵だなぁ、と思う。
[1] 『ツチヤ教授の哲学講義』では〈言語的誤解〉からウィトゲンシュタインの〈言語ゲーム〉に繋がっていく。ウィトゲンシュタインは『無限論の教室』の「精神的な背景」でもある。
[2] Ture, False, Unknownを扱うSQLのこと。3値論理とNULL:CodeZineが面白い。
[3] 専門家からしたらどう見えているんでしょう?

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