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振り返るには

This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . 2ヶ月弱振りに絵を描いた。 振り返っているのは年末だから、というわけではない。 見返して気がついたのは、口の位置への違和感。 下過ぎる。あるいは、顎が退化し過ぎているのか。 書いている間は視野が狭くなるのか、気づかなかった。 振り返るには、時間が必要。

落ちて、落ちて、落ちて

『ザ・フォール/落下の王国』 をBlue-Rayで観た。 映像美の素晴らしさを謳っているだけある。 特に、引いたショットの美しさは格別。 CGを使っていないと知って、世界にはこんな風景があるのか、と自分の世界の狭さを思い知った。 買ったばかりのハイビジョンテレビとPS3も、本領を発揮したはず。

デジタルカメラ購入

CANONのPowerShot A480 を買った。 デジカメを買うのは、初めて。 上の写真は、その箱をA480で撮影したもの。 購入に至った最大の理由は、携帯PRISMOIDのカメラが不満だったため。 PRISMOIDのカメラは、今まで使っていた3年前の携帯 (W42H) のカメラより写りが悪く感じる。 そこで、安くてそこそこ撮れればいいという観点で探したところ、A480に行き着いた。 4桁で買えるのが嬉しい。見た目はチープだけれど、写りは十分。 荷物は増えるけれど、出かける時は持ち歩こうと思う。

青色発光エピソード

Blue Ocean に行ってきた。 ふんだんに使われている青色の光を見て、技術の進歩が表現力の向上に役立っているなぁ、と思う。 それから、数の力。数を集めると、それだけでインパクトが出てくる。

ワンピ

先日、ONE PIECEの映画「STRONG WORLD (公式サイト) 」を観てきた。 原作者の尾田栄一郎が、ストーリー・コスチューム・クリーチャーデザイン・製作総指揮を務めただけあって、違和感はなかった。 (ONE PIECEの他の映画もアニメもほとんど観ていないので比較できないけれど)。 特に、みんなコスチュームが素敵だったなぁ。 戦闘準備結果も良かったけれど、後半の殴り込みをかけるシーンは格別。 ああいう格好は映画ならではの、サービスカットかと思う。 ちなみに、0巻は年明けまでお預け。 引換券は貰えたので、交換できるはず。

テンキーレスな天気

キーボードを FKBN91ML/NB に新調した。 このキーボードの良いところは、色々無いところ。 まず、キートップにかなが書かれていない。 常にローマ字入力で、かな入力はしないので、かなは要らない。 このおかげで、写真の通り見た目がすっきりする。 それから、テンキーがない。 テンキーの方が数字を入力しやすいという人もいるだろう。電卓と似た配置なので、一理あると思う。 それを補って余りあるのが、ホームポジションとディスプレイの正中線を一致させても、マウスが手元に置けること。 テンキーがあるフルサイズのキーボードだと、正中線を一致させるとテンキーのせいでマウスがやけに右に離れる。 しかも、テンキーレスなのに配列が標準的なキーボードと同じなのが嬉しい。 テンキーレスというだけなら、色々あるけれど省スペース化のためにキー配置が変則的になっていることが多い。 変則的な配置は、慣れるまでが大変だし、慣れて変則的な手癖がつくのも避けたい。 唯一気になるのは、打鍵音。 今まで、静かなパンタグラフ式のキーボード (ノートPCのような感じ) を使っていたから、余計に気になるのかもしれない。 しかし、テンキーレスの標準的な配置のキーボードを探すと、このシリーズがRealforceシリーズくらいしか選択肢が見つからない。 需要少ないんだろうか。 あぁ、そもそもわざわざキーボードを買い換えるユーザが稀少なのか。

死してなお

『陰陽ノ京 月風譚 黒方の鬼』 を読んだ。 本書は『陰陽ノ京』シリーズの外伝なのだろう。 主人公が慶滋保胤 (よししげやすたね) ではなく、賀茂光栄 (かもみつよし) だ。 光栄の歯に衣着せぬ物言いが、痛快。 穏和な保胤の視点だと、じれったさを感じることもままあった。 しかも、光栄その性格ゆえに物語のやるせなさが際立つ。 結末はバッドエンドでこそないけれど、大団円でもない。 自分はこちらの方が好きかも知れない。 こちらはこちらでシリーズが続いていくと嬉しい。

腹痛くないから払いたくない?

『ジェネラル・ルージュの凱旋』 を読んだ。 本書は、『チーム・バチスタの栄光』、『ナイチンゲールの沈黙』に続く田口&白鳥シリーズ第3弾。 果たして、病院は警察署や消防署と同じ公共財だろうか。 自分は、異なると思う。 警察署が犯罪を減らせば、フリーライダーが犯罪に遭う可能性は小さくなる。 消防署が火災を減らせば、フリーライダーが延焼に遭う可能性が小さくなる。 しかし、病院がいくら怪我や病気を治しても、フリーライダーが怪我をする可能性や病気に罹る可能性は、小さくならない。 怪我をする可能性を小さくするのは主に安全学だし、病気に罹る可能性を小さくするのは主に衛生学だからだ。 また、医療費を安くすればするほど、些細なことで病院にかかる人が増える。 どうにかうまくインセンティヴを設計できないかなぁ、と時々思う。

一騎当千

『鋼の錬金術師 24』 を読んだ。 今回は、エルリック兄弟はほとんど出番なし。 主役だというのに。 けれど、周りを固めるキャラクタ達も魅力的で、それぞれにドラマを繰り広げている。 中でも特に印象深かったのが、ホーエンハイム。 フラスコの中の小人とのやりとりを読んで、 Hellsing のアーカードとシュレディンガーを思い出した。

2009年に読んだ本を振り返る

2009年も残すところ、あと一週間になった。 ここで、今年読んだ本を振り返ってみる。 今年は全部で約140冊読んだ。 そのうち、小説が約50冊。非小説が、約90冊。 切りがないので、非小説はこれ以上細かく分類しない。 それぞれから、印象深かった本を3冊ずつ選んでみた。 選ぶ際に、全体を見渡して初めて気がついた繋がりに基づいて、キーワードを挙げてみた。 では、まず小説からこの3作。 キーワードは、「作中作」。 再帰的な構造には、どこか惹かれるものがある。 『はてしない物語』 Mirror House Annex: 希望・欲望・希求・欲求 『アイの物語』 Mirror House Annex: 「分かる」が「変わる」 『中庭の出来事』 Mirror House Annex: アウトインアウト 上から順に段々と、作中の現実と作中作との境界が曖昧になっていく。 何が作中の現実で何が虚構か分からなくなる感覚が好き。 もちろん小説だから全部虚構だけれど、現実だって一炊の夢ではないとも限らない。 脱構築的な発想をすれば、夢がなければ現実の厳しさを知覚できないし、現実がなければ夢の美しさは失われる。 実はもう1冊作中作を扱った作品を読んだけれど、どれか明かすと面白さが損なわれるので割愛。 つづいて、非小説からこの3冊。 キーワードは「自由意思」。 哲学的な響きだけれど、「思い通りに生きるには?」と考えると切実な響きを帯びる。 『服従の心理』 Mirror House Annex: 服従からの自由 『誘惑される意志』 Mirror House Annex: 時間とともに 『自由をつくる自在に生きる』 Mirror House Annex: どこ吹く風 1冊目は、シチュエーションを整えれば多くの人が意思に反した振る舞いをすることを実験で示している。空気を読む力の恐ろしさが垣間見える。 2冊目は、個人の意思決定の仕組みをピコ経済学と称して紹介している。意思は一枚岩ではないというモデルから、後悔すると分かっている行動を選択してしまうメカニズムに迫る様がスリリング。 3冊目は、森博嗣のエッセイ。自由は貰えるのを待っていても得られない。実験結果は大半が空気を読んで振る舞うことを示しているけれ

唯一無二、三首四眼五臂六脚の七転八倒

『龍盤七朝 ケルベロス 壱』 を読んだ。 ざっくり言えば、強大な敵を協力して打ち倒そう、という物語。 こうやってまとめてしまうと、新鮮味はないけれど、敵も味方も一筋縄ではいかない。 敵の名は、螺嵓 (ラガン)。 地の文では、繰り返し「怪物」と形容されている。 この螺嵓が強大過ぎる。強大さにも程がある。 鎧袖一触という形容さえ生温い。 触れなくても側にいるだけで死ぬ。 どうやったら倒せるのかと思うけれど、これを倒すのも「怪物」らしい。 三首四眼五臂六脚の怪物らしい。 一見無茶苦茶な数字だけれど、読み終えた今は得心がいっている。 ただ、こちらの怪物はまだ本領を発揮していない。 タイトルに「壱」とあることから分かるとおり、本書はまだ序章。 八面六臂の活躍をするのはこれからだろう(三首五臂だけれど)。 このように敵も味方も規格外だけれど、最初にざっくりまとめた物語の構図自体は壊れていない。 ただ、敵が敵なだけに、協力してどういう風になるのか。 どういう風になれば匹敵できるのか。 そして、匹敵できるようになることが、良いことなのか。 「弐」が出るのが楽しみ。

数文学

『数学ガール』 を読んだ。 本書は、数学をテーマにした小説(多分)。 「多分」とつけたのは、下手な参考書より丁寧に数式の変形を追っているから。 暗算で感覚的に追っただけなので、 きちんと理解したとは言えない。 理解度は、多分、テトラちゃん未満。 けれど、楽しかった。 こんなにきちんと数式 の変形を追ったのは、久しぶり。 量化子も懐かしい。 大学の数理論理学の講義で出てきたっけ。 ちなみにその講義は、一回落とした。 多分、親しみが足りないのだろう。 量化子はいまだに立ち止まらないと、理解できない。 でも、明確だよね、数式の方が。 本書でも述べられている通り、理解してしまえばこんなに明確なものはない。 対照的に、自然言語はみんな少なくとも分かったつもりにはなれる。 代わりに、誰も明確に理解していないことがある(あるいはそもそも明確に理解され得る情報が存在していない)。 さぁ、次は フェルマーの最終定理 だ。

ゆとりの言うとおり

『ゆとりの法則』 を読んだ。 本書によると、訓練とは 新しい仕事を、ベテランよりはるかにゆっくりやることによって練習すること である。 この観察結果は、自分の感覚とも一致する。 『Mirror House Annex: 速さの先にあるもの』 でも書いたように、拙速を繰り返しても上達する気がしない。 あと、面白いと思ったのは、5人の開発者からなるチームと、4人の開発者と1人の事務員からなるチームとで、生産能力を比較した行。 ゆとりがなくなるのは、分かりやすいところを数値目標にして、そこを最適化しようとするからだろう。 難しいのは、数値目標にしにくいところだと言うのに。

ヒーローではない

『変身』 を読んだ。 呆気にとられた。 昔の作品を読むのは、スリリングだ。 自分が把握している現在の定石や作法が通じないから、予断を許さない。 定石や作法をあえて外しているわけではない。 そもそもそんな約束自体が発生していないだけだ。 自由だなと思う。 それでいて出鱈目ではないと思う。 不思議な作品。

モノローグ

『化物語(上)』 、 『化物語(下)』 を読んだ。 単純に主人公――阿良々木暦と各キャラクターとの遣り取りが面白かった。 ところで、「バケモノ」はどうして「化け物」なんだろう、「化け者」ではなく。 化けて出るのが、人でも物扱いだ。 最近読んだ同作者の本だから、 『きみとぼくが壊した世界』 か 『不気味で素朴な囲われたきみとぼくの壊れた世界』 だと思うのだけれど、そこでも「ホンモノ」について同じ遣り取りがあった。 いずれにせよ、人でなしということなのだろうか。

どこに置くつもり?

『おしゃべりなデザイン』 を読んだ。 本書は雑誌『リアル・デザイン』に連載されたデザイナーとのインタビュー記事12本を単行本にしたもの。 面白かったのは、プロダクトとそれが活かされる生活空間に関する話。 自分の読んだ限り、2人のデザイナーがそれに言及していた。 日本の特に都市部では、生活空間が狭い。 それがプロダクトに種々の制約を課す。 例えば、テレビ。 一方で、テレビがどんどん薄くなっていて、そのテクノロジーの進化はいかにも日本的ですごいけど、テレビが薄くなっただけでは人の生活は変わりません。テレビと人の距離が変化しないとね。技術のイノベーションに沿ったストーリーをどう描くか、そこが大事です。 『おしゃべりなデザイン』 生活空間が狭ければ、設置スペースは狭くしたくなるし、試聴距離も取れない。 大画面化には限界があるだろう。 何となく欲しくなったとき、それを手に入れたら、生活がどう変わるか。 それをイメージして買い物をすると、失敗が少なくなりそう、とユーザとしては思う。

ワカバ・グリーン

『Mirror House Annex: アマガエル・グリーン』 で欲しいと言っていた AC Adapter MIDORI が見つかった。 探してみるものだなぁ、と感心する。 併せて、 アマガエル ストラップ のストラップを購入したので、1画面に収めて写真に撮ってみた。 どれも、一口で言えば黄緑色だけれど、写真の通り色味が異なる。 明るい順に、Adapter MIDORI、PRISMOID、アマガエル。 でも、写真の色は、あまり感覚通りではない。 モニタで見ている色が、感覚に近くなるように若干調整したけれど、それでも不十分。 とは言え、モニタの種類や設定によっても色は変わってしまう。 ウェブ上では、色の存在は、儚い。

ワンピ

『ONE PIECE 巻56』 を読んだ。 見ての通り、表紙が濃い。 と言うか、イワンコフが濃い。 そして、中身はそれ以上に濃い。 雑誌連載を読まずに単行本で一気に読んでいるので、展開についていけなくなりそう。 それでも、一気に読めるのは、うまく描かれているからなんだろうなぁ。 コマの大きさのメリハリが心地よい。 そういうわけで見所は沢山あるけれど、最大なのはやはり最後の一話「四皇白ひげ」。 最後のページは、巻57への期待を煽る。

本の虫

『本の現場―本はどう生まれ、だれに読まれているか』 を読んだ。 次の一文に心当たりがあって、今年、感想を本ブログのエントリィにUPした本を数えてみた。 大雑把に、読書ラベルを付けた本を実用書、小説ラベルを付けた本を文学と見なす。 実用書は、コンピュータか統計関連、小説はライトノベルかSFが多いけれど、そこには目をつぶる。 「大人になると、癒し系・励まし系の実用書が多くなる。人生経験の蓄積が人を文学に向かわせるように思っていたけれども、今の大人にはそんな余裕がなくて、目先のビジネスに役立つ本、勝ち負けだ、投資だという本が多くなるんですね」 果たして、結果は、読書ラベル81エントリィ、小説ラベル43エントリィ。 実に約2倍の開きがあった。 小説ばかり読んでいた時期があったが、その時期と比べると結構な変わり様。 一瞬、もう少し小説読もうかな、と思ったけれど、よく考えると、括りが乱暴過ぎる。 癒し系・励まし系の小説も多いし、知識や技術を蓄積して初めて読みたいと思う実用書 (専門書か?) もある。 文学を読むより、漫画や雑誌を読んだ方がいいかもしれない。 いや、そもそも本の類から離れてみた方が、という気もする。 いくら乱読だって読書には変わりないのだから。

あたなが壊したのでは?

『きみとぼくが壊した世界』 を読んだ。 西尾維新の世界シリーズの3冊目。 なるほど、確かに壊している。 何が壊されているかは、読めば分かるとして、壊したのは、もちろん作者に他ならない。 読者は読者で壊しているので、お相子様だろう。 しかし、そもそも壊れていない理想型なんて、存在した試しがあっただろうか? それに、こんな壊れ方なら悪くない。

アマガエル・グリーン

携帯電話を機種変更して、 PRISMOID にした。 グリーン、マットブラウン、ホワイトの3色があるけれど、写真の通りグリーンを選んだ。 これに合わせて、 AC Adapter MIDORI を復活させてくれればなお良かった。 ちなみに、モックを触っていた時から分かっていた通り、片手では開きにくい。 開けてしまえば、ボタンは押しやすいだけに、玉に瑕だ(四角いけれど)。 開けやすさを犠牲にして、形を取ったのかも知れないけれど、両立させて欲しかったと思う。 でも、価格は比較的安いし、総体的には満足 (何割かは所有効果か)。

マネジメントの対象

『プロジェクトマネジメント プリンシプル』 を読んだ。 本書は、プロジェクト・マネジメントに関する8つのハンドブックを1冊にまとめたもの。 正直なところ、自分には敷居が高かったと思う。 多くの部分が消化不良のまま残っている。 特に『第6部 契約マネジメント』は斜め読みしてしまった。 でも、面白かった部分もあった。 『第4部 コンフリクト・マネジメント』、『第7部 時間とストレスのマネジメント』が新鮮に感じられた。 これらが扱う人間系の問題についての予備知識が少なかったからだろう。 自分の関心は技術系の問題に偏っている。 また問題意識が生まれたら、他の部を改めて読んでみようと思う。

よつばとばすよ

『よつばと! 9』 を読んだ。 相変わらずなのに、飽きない不思議。 でも、よく読むと相変わらずでもないような気もする。 それとも、相変わらずだから些細な変化に気がつけるのだろうか。

檸檬爆弾2

『不気味で素朴な囲われたきみとぼくの壊れた世界』 を読んだ。 『不気味で素朴な囲われた世界』 から14年後が舞台。 『不気味で素朴な囲われた世界』では中学生だった串中弔士が、本作では教師になって登場する。 惹句には「本格ミステリー」とあるけれど、楽しめたのはミステリー要素ではなく、串中弔士の言動だった。 自分としては、それで満足。 相変わらず、檸檬爆弾を置いて回っている。 しかし、置くのに社会的な理由(一種のエクスキューズ)が持ち出されることから、大人として描かれている、と思う。 こんな大人がいるかという人もいそうだけれど、これくらいならいそうだという人もいるだろう(少なくともここに一人いる)。

未登場

Mirror House Annex: 再登場? に載せた絵の色を調整した。 なかなかしっくり来ない。 来るかどうかを判断しているのは感覚なので、言語化しにくい。 強いて言えば、全体のバランス(言えていない)。 どことどことどこの(以下略)バランスと列挙できないし、できだとしてもそういう問題でもない気がする。 ディスプレイの設定で変わってしまうし、あまりこだわるのも不毛かな? とも思い始めてきた。

空の輪郭

sky outline by SO_C is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License . 見ることと観察することは違う。 自分は、この言葉を「視界に入ることと知覚することは違う」ということだと理解している。 見ていても気がついていないことの、多いこと。

どこ吹く風 - 自由をつくる自在に生きる

『自由をつくる自在に生きる』 を読んだ。 自分は不自由になったな、と思う。つまり、以前より摩擦を避ける選択をする傾向が強まった。言い換えると、何かを捨てる選択を考えもしなくなった。 本書を読んで、もう少し抵抗してもいいかな、と思えるようになった。いや、正確に言えば、抵抗しようかどうしようか、と逡巡していたところを、本書が後押ししてくれた。 いざそう決めてみると、具体的な障壁は見当たらない。このことから、自分がいかに自分の思い込みから不自由だったか分かる(本書に記載されている法則通り)。 応用して、自分は自由だと思い込むだけで、随分と他の思い込みからは自由になれる。ただ、代わりに不自由にしているものが見えなくなるから、時々不自由だと思い直した方がいいかもしれない。 あるいは、この二値的な思考を思い直した方が効果的か。

再登場?

Mirror House Annex: 再会の兆し に載せた絵に色をつけている。 色を塗ると、それらしく見えるから不思議だ。 再現性が保てるように、ベタ塗りにした。 ベタ塗りだと、時間もかからないというメリットもある。 本ブログ右上の自分の写真とのバランスを、もう少し整えた方が良い気がする。 線の太さが大分違う。 どちらをどちらに合わせようか。

再会の兆し

絵を描いている。 以前公開していた『Mirror House』というウェブページで登場させていたキャラ。 名前は希(のぞみ)。 『Mirror House』では、日記代わりに希達(他にもいる)と対話形式で雑記を書いていた。 またそういうことをやりたいと思い、右の絵を描いてみた。 以前使っていた絵は、色んな意味で使用に堪えない。 たっぷり時間が取れるわけではないので、次の2つのポリシィを持ってやってみるつもり。 準備が完璧になるのを待たず、スモールスタートする。 代わりに、スタート後に気長に拡張する。

酷い正義 - イングロリアス・バスターズ

『イングロリアス・バスターズ』(原題 "Inglourious Basterds") を観た。 ちょっと長いと感じたけれど、実際の上映時間は151分とちょっとどころじゃなく長かった。実際より短く感じたのは、その分後半の爆発力があったからだろう。対照的に、前半~中半はじりじりとした展開が続くため、長く感じたのかもしれない。 全体を通してアンチな映画だった。定石というかステレオタイプというか、その種の通念は、淡泊なまでにあっさりと裏切られる。この無情感は、西尾維新と共通のものを感じる。ブラックな描画も多々あったし、観る人(観て後悔しない人)を選びそう。 本作が面白いのは、そのステレオタイプを中立化させようとしていないところ。脚本も映像も逆に吹っ切れている。Inglorious Bustardsがひょろひょろで格好良くて正義で酷い。

継続は力なり

10月20日 にMOLESKINEを購入して以来、一ヶ月が経った。 昨日11月20日までの31日間で、75ページを使った。 平均すると2.5ページ/日のペースだ。 全部で192ページあるので、このペースを維持すると、3ヶ月弱で使い切る。 コストパフォーマンスは、定価\1890で買った場合\630/月、Amazonで\1000で買った場合でも\330/月。ノート3冊以上買えることを考えると、決して安いとは言えない。 有体に言うと、高い。 でも次も買おうと思っている。 何に価値を見出しているか省みてみた。 買う前は、Detourを見ての衝動買いだったけれど、次に買おうと思わせているのは何なのだろう、と。 ハードカバー。机がなくても書きやすい。 ゴムバンド。鞄に無造作に突っ込んでも、ページがくしゃっとならない。 栞。書き始めのページがすぐ見つかる。 ポケット。ポストイットを入れておくのに便利 こう考えると、よく出来ているなぁと思う。 でも、何より重要なのは上記のハード面ではない。 最大の理由は、きっとこれからもずっと買い続けられる(売られ続ける)だろうという安心感だと思う。 良いものでも、売られなければ手に入らない。 どれだけおいしくても来年も売られるとは限らないから、という理由で期間限定のお菓子を買うことを頑なに拒んでいる知人のことを思い出す。

名前は要らない

『なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学』 を読んだ。 本書は記憶にまつわる諸々を集めている。 学説から一編の詩にいたるまで、収集先は多岐に渡っている。 ともすれば散漫さも感じるけれど、それだけ記憶については分からないことが多いということだろう。 その中で自分の記憶に残っているのは、「記憶」と「抽象化」にはトレードオフの関係があるという仮説だ。 人間の記憶は、個別の具体的な事象をそのまま記憶・想起するのは苦手だ。それを補うように、それらをグループ化(一種の抽象化)してそこから個別の記憶を連想する。 『考える技術・書く技術』 はじめ、複数の書籍で相手に理解してもらうためのTIPSとして紹介されている。 面白いのは、抽象化が進めば進むほど、個別の記憶を直接想起できなくなる点だ。 抽象的な記憶が、個別の記憶へのアクセスをブロックしてしまう。 この部分を読んで、自分はキルドレ(森博嗣の小説 『スカイ・クロラ』 シリーズの登場人物たち)を思い出した。 次の引用が端的に示すように、彼らは個別の事象を記憶しない。 固有名詞を僕は覚えない 観察が直接抽象化されるのだろうな、と想像する。

a cat-and-mouse game

『貧乏はお金持ち』 を読んだ。 本書には、節税の方法が書いてある。 こういう人為的な制度に依存する方法には興味が沸かない。 いずれ使えなくなるだろう、という予測が関心を薄めてしまう。 著者が言うとおり、節税できるのは、今のところ、税金とそれをきっちり取り立てるコストが釣り合わないからだ。 みんなが同じ方法で節税するようになったら、その大小関係が逆転して取り立てられるようになる。 再び節税方法が考え出されるだろうが、恐らくより複雑になっているだろう。 それが広まれば、またその複雑さに対応した取り立てが行われるのだろうな、と思う。 いたちごっこに加わる気はしない。 総コストをどんどん上げるだけだ。

Without Thought

Without Thought by SO_C is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License . ここ数日、考えられない。 つまり、集中できない。 せっかくだからぼんやりしてみよう、と思う。 考えられない理由は不明だし、考える気にもなれない。 ともすれば、余計なことを考えて精神的に疲弊しがちなので、考えない方が健全かも、とも思う。 考えたくもないことを考えてしまうときは、スピードオーバーなのでコントロールが難しいけれど、考えたくても考えられないときは、エンジンがかかっていないだけ。 少なくとも対向車線に飛び出すような危険はない。 それに、考えなくても手は動かせる。 こんな風に。

檸檬爆弾

『不気味で素朴な囲われた世界』 を読んだ。 結局の話、この世界ではばらまいた檸檬が爆発した、とそういうことだと思う。 物事が起こる前に色んな可能性を想定し、複数の手を打っておいて、事後には実現した可能性とそれに対して打っておいた手だけを取りだす。 そうすれば、外からはあたかも事前に予測できていたように見える。 それだけでなく、自分でも最初から分かっていた気になる。 予測を全く絞らなかっただけなのに、だ。 これっぽっちも分かっていなくても、だ。 おめでたい話だけれど、人間共通の傾向らしい。

バンブルビー!

以前、 『トランスフォーム!』 で欲しいと言っていた玩具を買ってしまった。 間近で見ると塗装は粗いけれど、成型が細かいせいか遠目には気にならない。 飾っておくだけでなく、つい手慰みに変形させてしまう。 他のも買おうかなぁ。 オプティマスプライムは置き場所に困るので、バンブルビーくらいのサイズのを。 と言いながら、またバンブルビーを買っていたら笑う。自分が。