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ひょうひょうと - 『批評について:芸術批評の哲学』

Youtube配信【SF×美学】SF作家は分析美学者の問いにどう答えるのか?がおもしろかったので、その中で紹介されていた『批評について: 芸術批評の哲学』を読んでみた。  

「はじめに」で著者が「批評についてのわたしの探求には規範的(normative)な次元がある(p.4)」と述べ、中心となる主張と議論の範囲を明らかにしているので、あまりひっかかることなく読むことができた。「規範的」ということは、適切な批評とはどんなものか主張しているということ。なお、対義語は「記述的」。この場合は実態がどうであるかを主張していることになる。

中心となる主張は「批評とは理由にもとづいた価値づけ (reasoned evaluation) である」という仮説。"evaluation"について補足しておくと、[訳註]にあるとおり、この本においては価値付け/評価の高低についてニュートラル。「性能評価 (performance evaluation)」に近く、高評価を含意している日本語の「◯◯を評価している」からは遠い。※ここに限らず[訳註]が充実していてありがたい。

そのため、著者は例えば下記を批評家と見なしていない(p.10)。おかげで読みながら浮かんできた「~の場合はどうなんだろう?」のような疑問の多くは、そういう話をするつもりはないんだろうとスパッと脇に退けておけた。

  1. 「催し物、本、映画選びに役立ててもらうために自分の好き・嫌いを報告する人」
  2. 「ただアレが良いとかコレが悪いとか言うだけの専門家」
  3. 「芸術作品をただ何かをあざ笑うためだけに使う物書き」

「理由にもとづいた価値づけ(reasoned evaluation)」に話を戻す。

前段で、価値付け/評価は高低についてニュートラルと書いたけれど、それはそれとして「私の仮説によれば、ふつう鑑賞者たちが批評家に求めているのは、当の作品の中の見出しづらい価値を発見できるように助けてくれること、である」とも書かれていて、それは自分=鑑賞者にとってそのとおり。評価したけれど価値を発見できないという批評を読まされても困る(「やっぱり駄作だった」と溜飲を下げたいニーズはあるかもしれない)。

このコンテキストで話を進めると、鑑賞者が発見できるようになるためには、まず批評家のいう価値が共有できるものでなければならない。これに対して、著者は、作者の意図が作品および作品の外部の情報から推測できて、それに対する達成が批評が示す価値だと言っている。

作者の意図を推測するにあたって、ひとつ大きな手がかりになるのが作品の分類/カテゴリーと、そこに備わっている目的や期待だそうだ。例えば、ある作品がホラーに分類されるなら、作者は鑑賞者を恐がらせようとするし、鑑賞者もそれを期待するという話。通常、批評はカテゴリー内で相対的に行われているし、カテゴリーをまたいだ比較はやり過ぎだということも言っている。

【SF×美学】SF作家は分析美学者の問いにどう答えるのか?で出た「SFだとこういうことがやりやすい」という話は、ちょうどSFに備わっている目的・期待のように思う。

では客観的に分類できるのか?と一歩進んだ疑問には、構造に関する理由(structural reasons)、歴史的文脈に関する理由(histrico-contextual reasons)、意図に関する理由(intentional reasons)があるという。

分類の他に価値づけ/評価のための作業として、記述、文脈づけ、解明(シンボルと意味のひもづけ。たとえば図像学)、解釈、(作品の要素・構成がどのように意図の達成を実現しているかの)分析を挙げている。「第三章 批評の諸部分(ひとつを除く)」で、これらの作業について説明されているけれど、包含関係にあったり(解釈は分析の一種)して明らかに並列ではないのだけれど、噛み砕けていない。

あまりひっかかることなく読むことができたと書いたけれど、それは「ふつう鑑賞者たちが批評家に求めているのは、当の作品の中の見出しづらい価値を発見できるように助けてくれること」というのが当てはまっていたからで、そうではない人は読んだらものすごくイライラするのではないか? という気もしてきた。

自分が一番ひっかかったのは、最後の最後、第四章「価値づけ」の5「批評と文化的な暮らし」。実際に行われているカテゴリー横断のランク付けについての話。

カテゴリー横断のランク付けを説明するには〈文化的に非常な重要なジャンルの傑作は社会的重要性の低いジャンルの傑作に勝る〉と認めるのが的外れではなく、「優れた芸術批評家は文化批評の責任とリスクから完全に逃れることはできないのである」と結んでいる。

『図像の哲学: いかにイメージは意味をつくるか』ほど直球じゃないけれど、キリスト教圏の文化の優位性を語るために援用できそうだとどうも身構えてしまう。ここだけ(本書の目的に照らして必要だと述べたうえではあるけれど)、ものすごく実態に寄ったトーンで規範的な色が薄いし。

それはそれとして、じゃあ日本では?と考えると、『ゲンロン4』の巻頭言「批評という病」を思い出す。日本の批評の多くは、表面的には他では哲学的エッセイと呼ばれ哲学に分類される文章だけれど、そこに分類すべきではないという話だったの、日本ではさらにもう一段階こじれているのではないか。

そう考えると、自分が読みたい批評の供給はますます少なそうで、なかなか世知辛い。自分もジャンル間で比べてみると、そういう批評であっても批評より作品を選んでしまうだろう、とも予想されるので行き詰まり感が。

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