『インサイド・ヘッド (原題 "Inside Out")』を観た。
心を擬人化された5つの感情 (ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリ) に還元してしまうなんて、単純化し過ぎだ。ときどき漫画で見かける天使と悪魔の葛藤よりは複雑だけれど。序盤はそう思いながら観ていた。
しばらくはヨロコビが他の感情をリードして、うまくいっているように見えていた。けれど、ライリーの引っ越しをきっかけに、カナシミが自制できなくなってくるあたりから雲行きが怪しくなってくる。
ヨロコビが空回りする展開に、ポジティブ信仰への批判を感じてしまうのは、前向きであれという有形無形の圧力を(大半は無形の被害妄想的なものだとしても)感じているからだろうか。
じゃあヨロコビの代わりにどれなんだ? という話ではない。そこまで単純な話じゃない。おかげで、ここ最近シンプルでいようとし過ぎて、コンプレックスから目を逸らしているかも、なんて思わされる。清濁とか悲喜とか愛憎とか苦楽とか、そういうの考えるの面倒がっている気が。もうちょっと相反するものを抱えていても良いなのかな、と。
光と闇が両方そなわると最強に見えるしな!! (そういう話じゃない)
あとビンボンが愛おしい。
心を擬人化された5つの感情 (ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリ) に還元してしまうなんて、単純化し過ぎだ。ときどき漫画で見かける天使と悪魔の葛藤よりは複雑だけれど。序盤はそう思いながら観ていた。
しばらくはヨロコビが他の感情をリードして、うまくいっているように見えていた。けれど、ライリーの引っ越しをきっかけに、カナシミが自制できなくなってくるあたりから雲行きが怪しくなってくる。
ヨロコビが空回りする展開に、ポジティブ信仰への批判を感じてしまうのは、前向きであれという有形無形の圧力を(大半は無形の被害妄想的なものだとしても)感じているからだろうか。
じゃあヨロコビの代わりにどれなんだ? という話ではない。そこまで単純な話じゃない。おかげで、ここ最近シンプルでいようとし過ぎて、コンプレックスから目を逸らしているかも、なんて思わされる。清濁とか悲喜とか愛憎とか苦楽とか、そういうの考えるの面倒がっている気が。もうちょっと相反するものを抱えていても良いなのかな、と。
光と闇が両方そなわると最強に見えるしな!! (そういう話じゃない)
あとビンボンが愛おしい。