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泣く子で自動的な家電 - フルチャージ!! 家電ちゃん (1)

『フルチャージ!! 家電ちゃん (1)』を読んだ。

表紙のメイド少女アイが家電。擬人化ではなくて家電[1]。その特徴を利用したネタが楽しいギャグ漫画。

充電が有線だったり家事がいちいち手作業だったりして、技術的にすごいんだかすごくないんだかよくわからない。

人工知能は間違いなくすごい。主人公ヒロトに充電して貰うことに拘ったり最新家電に嫉妬したりするなど感情を備えている (ように見える) 。

けれど、そのすごさは必要だったのか。家事の手間を減らして日々の生活を便利にするための家電なのに、やけに世話が焼ける。

さて、ここで、このチグハグさを笑いにつなげるためのギャップとして片付けてしまわずに、設計思想に基づいた意図的な実装だと仮定してみよう[2]

(そんな話に興味はないけれど、漫画に興味が湧いた人は少年ジャンプ+へどうぞ。1~3話と単行本に未収録の話が公開されています)

そう仮定すると、日常のコミュニケーション相手としての人工知能を実用化するために、フレーム問題[3]を回避するためのコンテキストとして家事が採用されている可能性が浮かび上がる。

家事にはこんな特徴がある。日常的なコミュニケーションのきっかけとしては、ちょうどよくないだろうか。こういう方向の需要と購買力の持ち主を考えていくと、家事の前に在宅介護の方が先になりそうだから、次点か。男性向け漫画として描く対象としても評価すると逆転するだろけれど。
  • 関心の有無に関わらず、誰にでも日常的に発生する。
  • 大抵、専用の道具が用意されている。
  • 完全に定型というわけではない。天気や季節によりほどほどに揺らぐ。
  • 家庭内で完結する。つまり状況のバリエーションが限られる。

便利過ぎないところも、コミュニケーション相手として設計されているのだと考えれば納得がいく。競合製品であるルンバも、手がかかるがゆえにかわいがられている側面がある[4]

ところで、有線でつながれて手作業で家事をこなす人工物というと、問題視する人が出てきた『人工知能学会誌 Vol.29』の表示を思い出す。検索すればいろいろな議論が見つかるので、いろいろと考える材料になりそう。興味が湧いたら調べてみて――欲しくはないか別に(調べる人は言われるまでもなく調べるだろうし)。

[1] そう言えば家電を擬人化したスマホ用ゲームあったなぁと思って調べたら、3月末でサービス終了とのこと。『家電少女』の話。
[2] 折り返しの作者コメント曰く「懐かしくて一周回って新しいかもしれない、そんな漫画」が狙いなので、全く見当外れもいいところなんだけれど、あえて人工知能の問題として考えてみる (一度、考え始めてしまったら、考えなかったことにはできないし)。
[3] 人工知能の話題: フレーム問題
[4] ロボット掃除機は"手がかかる"から革命的だ | プレタポルテ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

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