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CtR - 増補改訂版 なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか

なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ルールメーキング論入門 (ディスカヴァー携書)『増補改訂版 なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか』を 読んだ。

ルールに対するスタンスを整理し、さらに見直す良い機会になった。まず、整理したスタンスについて書いて、そこからどこをどう見直したか文章にしてみる。それから、最後にルールを変えることについて考えてみる。

ルールに対するスタンス

自分はルール変えることに抵抗を覚える。ルールは安定しているからこそよく機能する。「朝令暮改」という故事成語が戒める通り、頻繁に変更されるようでは誰も守らなくなってしまう。ころころ言うことが変わる人が信用されないのと同じことだと思う。

一方で、ルールの中でなら際どいことをするのは、上手いと思う。ルールを守りながら「ズルい」とされることができるなら、そんなルールに問題があると考える。そして、そういう抜け道を見つける人は、どんな視点を持っているんだろう、と想像する。サッカーでいう「マリーシア」だと思うんだけれど、苦手だから参考にしたい。

見直した結果あるいは増えた見方

この本を読んで、ここまで考えていたならルールを変えるという発想の目前まで来ていたなじゃないか‼︎ と気がついた。だから、「見直した」というより、「見方が増えた」と言う方がが正確かもしれない。実は、上に書いたスタンスはほとんど変わっていない。

増えたのは、ルール変更への肯定的な評価。ルールの中で「ズルい」ことができるのはルールに問題があると考えるなら、手を入れるべきはルールだ。変更して、公正な状態を維持できるようにしないといけない。こんな当然の帰結を大して意識してなかったのは、自分もルールは与えられるものだと認識していたからだろうな。

思えば、この手のルール変更は、これまでに何度も見てきていた。サッカーにオフサイドが導入されたのは、ゴール前に張り付いた人にロングボールを送るだけの詰まらないゲームをさせないためだし、M:tG[1]で禁止カードやエラッタ[2]が出るのは、大会が特定のデッキに席巻されて実質的に先行後攻を決めるコイントスで勝負が決まってしまうのを避けるためだ。

Change the Rule! But How?

と、ルール変更について肯定的になったと書いてきたけれど、ふと立ち止まって実際にルールを変える機会があるだろうか? と考えてみると、これが全くと言っていいほど思い浮かばない。

変えようと思わないから機会がないのか、機会がないから変えようと思わないのか分からないけれど、待っててもそんな機会はないだろうし、問題を解消するための
手段の一つとしてルール変更も思い浮かべられるようになるといいな、と思う。

そこで、自分がルール変更することを想像してみると、この本にはルールを変えるプロセスやその公平性について書かれていないことに思い当たる。どんなに無私無欲で考えたルールだろうと、変えられる側からしたら「どうせ自分の都合のいいように変えるんでしょ」と見られる可能性が高い。

ルールを変えるってどうやるんだろうなぁ。
[1] トレーディングカードゲームのMagic the Gatheringのこと。
[2] カードに印刷された効果に後から訂正が入ること。


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