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夢か現か、読めば幾つか

(2013/09/01) 誤操作で削除してしまったので、書き直しました。

夢幻諸島から (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)『夢幻諸島から』を読んだ。映画『プレステージ』の原作『奇術師』の作者クリストファー・プリーストの小説で、〈夢幻諸島(ドリーム・アーキペラゴ)〉シリーズ初の長篇。

この本は色んなレベルで複数の見方ができて、しかもその見え方が万華鏡のように移り変わっていって、安定しない。ルビンの壺みたい。

まず、形式について。小説として見ると短篇連作形式なのだけれど、作中世界の旅行ガイドとしての形式も備えている。だから、本文が始まる前から作品は始まっている。序文を寄せているのは作中の登場人物だし、その後に続くのは「目次」ではなく「島名索引」になっている。そして、短篇一作が島のガイドということになっている。

次にジャンルについて。各短篇は島のガイドになっているといっても、作中世界の旅行記だけが並んでいるわけでない。SF風ありミステリィ風ありホラー風あり作中の文章の引用さえありと、バラエティに富んでいる。それなのに、緩やかな参照が張り巡らされているから、全体の雰囲気は損なわれることなく、〈夢幻諸島〉を巡っている気分になれる。

それから、物語について。各短篇には独立して面白いものもあるけれど、複数の短篇にまたがって語られる物語もある。その物語が、読み進めて行くにつれて真相が分からなくなっていく。恐らく各短篇の一人称が異なるせいで、見え方が異なっているのだろうけれど、明らかな矛盾もあって、意図的なミスリードも含まれているようにも思う。

各レベルでどんな見方をして各物語をどう解釈するかで、見えてくる世界がガラリと変わる。しかも、どの世界の確からしくて、通読した後も読み返しては、色んな世界を想像せずにはいられない。一体、この本は、誰が誰にどう読まれることを想定して書いたんだろうか? と。具体的な見え方が幾つか浮かんできて、あれこれと書き散らかしたい気持ちになる。けれど、ガマンガマン。

加えて、オマケ(ファンサービス?)的な要素もある。読み返していて気がついたのだけれど、ある島で意味深に出てくる固有名詞には、他のどの島でもほとんど説明されないものがある。それが気になって、Webに公開されている感想を読んだら、既刊に収録されている短篇も参照しているみたい。自分も『限りなき夏』に収録されている作品は読んだはずなのに、全然覚えていなくて、読み返したくなる。

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