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近くのプログラマの知覚

Team Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか
「『Team Geek』を読んだよ」

「すでに色々感想をツイートしていますけれど、振り返ってみるとどうですか?」

「ギークのチームに関する本かと思ったら、ギークがチームになるための本だったよ」

「確かに「ミッションステートメント」にはこうありますね」
本書の目的は、プログラマがソフトウェア開発を効果的かつ効率的にするために、他人の理解・コミュニケーション・コラボレーションの能力を向上させることである。
「うん。予想とは違ったけれど、こっちの内容で良かったよ。自分もどちらかというとコンパイラを相手にしている方が気が楽なので」

「コミュ障?」

「プロトコルが違うだけだよ。その状態を理解していない人からは障害に見えるかもしれないけれど。それより〈コミュ障〉って言葉、かえってディスコミュニケーションを促しているよね」

「『相手はコミュ障だから』、『自分はコミュ障だから』、と、互いにコミュニケーションできない理由を与えてしまいますからね」

「うん。あ、そう言えば、その状態って『Team Geek』の三本柱HRTに欠いているな」

「これですね」
  • 謙虚 (Humility)
  • 尊敬 (Respect)
  • 信頼 (Trust)
「でも、一方で現実問題としてコミュニケーションの問題じゃないときもあるよね。本当にどうしようもなくコミュニケーションできなかったり、反対にお互い分かっていてその上で対立していたり」

「対立は『アドレナリン・ジャンキー』でパターンとして取り上げられていますね」
れっきとした対立が「コミュニケーションの失敗」と解釈される。
『アドレナリン・ジャンキー』「58 暴力脱獄」
「やっぱり『事を荒立てるときを知る』必要があるのかな」

「荒立てると言っても、感情的に振る舞わずに、事実をベースに話して下さいね。かえってこじれますから」

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