『悲痛伝』を読んだ。前作『悲鳴伝』のあとがきからは、続編が出てもしばらく先だろうという印象を受けたのだけれど、次の通り続刊が予定されていて、〈伝説シリーズ〉なんてシリーズ名がついている。
というメタ情報はさておくと、相変わらず空々空のパーソナリティが面白い。誤解されやすくて(そもそもマジョリティにとって理解の埒外にあるとは言え)、誤解を放置しても気に病むことが無くて、気に病んだとしても誤解を訂正にする能力に欠いているなんて、何て面白い。
面白いと思うのは、ここまで極端じゃないにしろ、自分も自己評価と他人からの評価に乖離を感じていて、それでいてそれに慣れてしまって放置しても気に病むことがなくなっているからだと思う。その乖離を解消しようとして、真面目に話せば話すほどかえって伝わらなくなったりした経験もある。誤解を訂正しようとするとかえってこじれるのだったら、放置しておいた方がまだマシだろう。
というのは話を盛っているにしても、多かれ少なかれ、そういうことは多くの人にあるんじゃないだろうか。否定すればするほど、その否定したいことを確信されるケースが典型的だと思う。大なり小なり、人は自分が認識したい世界しか認識しない。認識したくない世界を見せられたって、作話で認識したい世界を創り上げる。
だから、空々空の持つ非現実的な現実即応能力が極めて貴重だという設定が現実味を帯びてくる。
- 『悲惨伝』(既刊)
- 『悲報伝』(2013年9月刊行予定)
- 『悲業伝』(2013年12月刊行予定)
というメタ情報はさておくと、相変わらず空々空のパーソナリティが面白い。誤解されやすくて(そもそもマジョリティにとって理解の埒外にあるとは言え)、誤解を放置しても気に病むことが無くて、気に病んだとしても誤解を訂正にする能力に欠いているなんて、何て面白い。
面白いと思うのは、ここまで極端じゃないにしろ、自分も自己評価と他人からの評価に乖離を感じていて、それでいてそれに慣れてしまって放置しても気に病むことがなくなっているからだと思う。その乖離を解消しようとして、真面目に話せば話すほどかえって伝わらなくなったりした経験もある。誤解を訂正しようとするとかえってこじれるのだったら、放置しておいた方がまだマシだろう。
というのは話を盛っているにしても、多かれ少なかれ、そういうことは多くの人にあるんじゃないだろうか。否定すればするほど、その否定したいことを確信されるケースが典型的だと思う。大なり小なり、人は自分が認識したい世界しか認識しない。認識したくない世界を見せられたって、作話で認識したい世界を創り上げる。
だから、空々空の持つ非現実的な現実即応能力が極めて貴重だという設定が現実味を帯びてくる。