スキップしてメイン コンテンツに移動

世界の潮解、理解の迂回 - 赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE

「『赤目姫の潮解』を読んだよ」

「森博嗣先生の新刊ですね」

「グレッグ・イーガンの『順列都市』を思い出した。グレッグ・イーガンと言えば、〈新☆ハヤカワ・SF・シリーズ〉の第2期で新刊が2冊も予定されていて、楽しみな限り」

「後半無視して話を続けると、そのようにツイートしていましたね」

「経過無視して読み終えたときに残った疑問をそのまま訊くと、意識の連続性ひいては自己同一性って、どう認識されているのかな? 飲み過ぎた時とか、ぼんやりしていた時とか、寝ている間とかって意識があった記憶がないわけだけれど、それでも同一の〈自分〉として続いていると信じて疑わないよね」

「普通は、そんなことを疑ったりはしませんよね。むしろ逆の傾向にあると思います。人は誰でも、自分について自分らしさやセルフイメージと呼ばれるものを、世界についてメンタルモデルや世界観を持っていて、多くの人はそれを守ろうとしているのでは?」

「うん、そう思う。でも、多くの場合そのイメージは、現実をそのまま受け取るわけじゃないし、受け取った後でも記憶には手が入れられる。『錯覚の科学』『確信する脳』でそんな話を読んだっけ」

「自己同一性を保つために記憶を改竄するなら、記憶が途切れているのはそのせいという可能性もありますね。例えば、記憶がないという記憶で元々あった記憶を上書きしているとか」

「録音を無音で上書きするようなものか。あるいは、記憶ってそもそも再生されるようなものじゃないのかもね。ストレージからロードされる記録というよりは、思い出す度に現在の自己認識と当時の記憶から再構成されているのかも」

「そのたびごとにただ一つの世界が生まれては、代わりに一つの世界が終焉を迎えているのかもしれませんね」

このブログの人気の投稿

北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

戦う泡沫 - 終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #06, #07

『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06, #07を読んだ。 『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06と#07を読んだ。#06でフェオドールの物語がひとまずは決着して、#07から第二部開始といったところ。 これまでの彼の戦いが通過点のように見えてしまったのがちょっと悲しい。もしも#07がシリーズ3作目の#01になっていたら、もう少し違って見えたかもしれない。物語の外にある枠組みが与える影響は、決して小さくない。 一方で純粋に物語に抱く感情なんてあるんだろうか? とも思う。浮かび上がる感情には周辺情報が引き起こす雑念が内包されていて、やがて損なわれてしまうことになっているのかもしれない。黄金妖精 (レプラカーン) の人格が前世のそれに侵食されていくように。

リアル・シリアル・ソシアル - アイム・ノット・シリアルキラー

『アイム・ノット・シリアルキラー』(原題 "I Am Not a Serial Killer")を見た。 いい意味で期待を裏切ってくれて、悪くなかった。最初はちょっと反応に困るったけれど、それも含めて嫌いじゃない。傑作・良作の類いではないだろうけれど、主人公ジョンに味がある。 この期待の裏切り方に腹を立てる人もいるだろう。でも、万人受けするつもりがない作品が出てくるのって、豊かでいいよね(受け付けないときは本当に受け付けないけれど)。何が出てくるかわからない楽しみがある。