「『赤目姫の潮解』を読んだよ」
「森博嗣先生の新刊ですね」
「グレッグ・イーガンの『順列都市』を思い出した。グレッグ・イーガンと言えば、〈新☆ハヤカワ・SF・シリーズ〉の第2期で新刊が2冊も予定されていて、楽しみな限り」
「後半無視して話を続けると、そのようにツイートしていましたね」
「経過無視して読み終えたときに残った疑問をそのまま訊くと、意識の連続性ひいては自己同一性って、どう認識されているのかな? 飲み過ぎた時とか、ぼんやりしていた時とか、寝ている間とかって意識があった記憶がないわけだけれど、それでも同一の〈自分〉として続いていると信じて疑わないよね」
「普通は、そんなことを疑ったりはしませんよね。むしろ逆の傾向にあると思います。人は誰でも、自分について自分らしさやセルフイメージと呼ばれるものを、世界についてメンタルモデルや世界観を持っていて、多くの人はそれを守ろうとしているのでは?」
「自己同一性を保つために記憶を改竄するなら、記憶が途切れているのはそのせいという可能性もありますね。例えば、記憶がないという記憶で元々あった記憶を上書きしているとか」
「録音を無音で上書きするようなものか。あるいは、記憶ってそもそも再生されるようなものじゃないのかもね。ストレージからロードされる記録というよりは、思い出す度に現在の自己認識と当時の記憶から再構成されているのかも」
「そのたびごとにただ一つの世界が生まれては、代わりに一つの世界が終焉を迎えているのかもしれませんね」