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8月, 2013の投稿を表示しています

Made in Domain

『ドメイン特化言語』の第I部を読んだ。まえがきによるとこれで1冊分なので、読み終えたことにして、自分なりの理解をこのエントリィにまとめる。ちなみに、後半はリファレンスで、必要に応じて参照するために使う部分とのこと。 そのため,本書は2段構成にしました.2段構成の書籍とは本来は2冊にすべきところを1つの表紙でまとめた書籍のことです. 〈ドメイン特化言語〉は、英語だと"Domain Specific Language (DSL)"で、この本では、次のように定義されている。 特定のドメインに集中し,限定された表現力を備えたコンピュータープログラミング言語 この定義を読んだだけでは、分かったような分からないような。とうわけで具体例を眺めてみると、正規表現やCSS、Antが挙げられている(Antは肥大化して汎用言語化しているけれど)。 意外だったのは、名前に反してドメインへの集中=特化が、軽く扱われていたこと。ドメインへの特化よりも、表現力が限定的されていることを強調している。 ドメインへの集中は,限定的な表現力の結果にすぎません. DSLでない例として、R言語が挙げられている。統計処理というドメインに特化しているけれど、制御構文などが用意されているから、汎用言語であってDSLではないとのこと。統計処理はドメインとして大き過ぎると思うけれど、それは別にしても、確かにR言語の表現力は強力でスパゲッティコードだって書ける。 表現力は豊かな方が良さそうなものなのに、わざわざDSLを作る4つの理由が、「2.2 なぜDSLを使うのか?」に書かれている。1, 2つ目は分かりやすい。3つ目は、まだメリットを理解しきれていない。次の代替計算モデルと切り離しにくいように思う。最後の代替計算モデルは、うっすらとなら理解できた。ドメインに合わせたパラダイムを使える、ということだと認識している。その上、既に使っているけれど、計算モデルを意識していなかったDSL (Antなど) についての理解を進めてくれた。 2.2.1 開発生産性の向上 2.2.2 ドメインエキスパートとのコミュニケーション 2.2.3 実行コンテキストの移動 2.2.4 代替計算モデル 代替計算モデルの提供は強力だけれど難しいように思う。しかも、きっと多くの場合で実行コンテキストの移

世界の潮解、理解の迂回 - 赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE

「『赤目姫の潮解』を読んだよ」 「森博嗣先生の新刊ですね」 「グレッグ・イーガンの 『順列都市』 を思い出した。グレッグ・イーガンと言えば、 〈新☆ハヤカワ・SF・シリーズ〉の第2期 で新刊が2冊も予定されていて、楽しみな限り」 「後半無視して話を続けると、そのようにツイートしていましたね」 「経過無視して読み終えたときに残った疑問をそのまま訊くと、意識の連続性ひいては自己同一性って、どう認識されているのかな? 飲み過ぎた時とか、ぼんやりしていた時とか、寝ている間とかって意識があった記憶がないわけだけれど、それでも同一の〈自分〉として続いていると信じて疑わないよね」 「普通は、そんなことを疑ったりはしませんよね。むしろ逆の傾向にあると思います。人は誰でも、自分について自分らしさやセルフイメージと呼ばれるものを、世界についてメンタルモデルや世界観を持っていて、多くの人はそれを守ろうとしているのでは?」 「うん、そう思う。でも、多くの場合そのイメージは、現実をそのまま受け取るわけじゃないし、受け取った後でも記憶には手が入れられる。 『錯覚の科学』 や 『確信する脳』 でそんな話を読んだっけ」 「自己同一性を保つために記憶を改竄するなら、記憶が途切れているのはそのせいという可能性もありますね。例えば、記憶がないという記憶で元々あった記憶を上書きしているとか」 「録音を無音で上書きするようなものか。あるいは、記憶ってそもそも再生されるようなものじゃないのかもね。ストレージからロードされる記録というよりは、思い出す度に現在の自己認識と当時の記憶から再構成されているのかも」 「そのたびごとにただ一つの世界が生まれては、代わりに一つの世界が終焉を迎えているのかもしれませんね」

往々にして王を追う

Avenged Sevenfoldの"Hail to the King"を聴いている。 前作"Nightmare"よりも渋くなっている。曲調もヘヴィメタルらしさが薄れて、ハードロックより。"City of the evil"やセルフタイトルアルバムと比べると、随分と雰囲気が変わっている。 全体的にダイナミックでスケールが増している。けれど、アルバムを通して、テンポの変化が小さいから、起伏に欠ける印象。始まった瞬間にテンションが上がるような、分かりやすいキラーチューンが1曲くらいあっても良かったような。 ともあれ、もう少し聴き込んでみよう。そうしたら面白くなりそう。まだ聴き込みの余地がある。そんな予感がする。 上の動画はタイトル曲の"Hail to the King"。

知っていることを知らないことを知っている

『Know』を読んだ。 8月3日に20ページくらい読んだのだけれど、主人公の連レルが嫌いなタイプだったので、中断してしまっていた。読み終わった今も嫌いなままだ。 でも、話は面白かった。特にIIに入ってからは先が気になって、1日で読んでしまった。文章が読みやすいのも手伝っていたと思う。 ただ、悪い意味で気になったこともある。終盤に至る頃には、この舞台ではそういうものだと思うことにしたけれど、中核に関わる設定なので、読み終わった後も割り切り切れていない。 ともあれ、読んでいると、色々と連想させられる。 ミステリィ 『すベてがFになる』 、SF小説 『ジャグラー』 、一般科学書 『 宇宙をプログラムする宇宙』 、映画 『リベリオン』 、アニメ『攻殻機動隊』、SF小説 『航路』 、カオス理論の初期値鋭敏性、脳の可塑性、物理学のラプラスの悪魔、ユビキタスコンピューティングあるいはInternet of Things、一般科学書 『確信する脳』 。

夢か現か、読めば幾つか

(2013/09/01) 誤操作で削除してしまったので、書き直しました。 『夢幻諸島から』を読んだ。映画『プレステージ』の原作『奇術師』の作者クリストファー・プリーストの小説で、〈夢幻諸島(ドリーム・アーキペラゴ)〉シリーズ初の長篇。 この本は色んなレベルで複数の見方ができて、しかもその見え方が万華鏡のように移り変わっていって、安定しない。 ルビンの壺 みたい。 まず、形式について。小説として見ると短篇連作形式なのだけれど、作中世界の旅行ガイドとしての形式も備えている。だから、本文が始まる前から作品は始まっている。序文を寄せているのは作中の登場人物だし、その後に続くのは「目次」ではなく「島名索引」になっている。そして、短篇一作が島のガイドということになっている。 次にジャンルについて。各短篇は島のガイドになっているといっても、作中世界の旅行記だけが並んでいるわけでない。SF風ありミステリィ風ありホラー風あり作中の文章の引用さえありと、バラエティに富んでいる。それなのに、緩やかな参照が張り巡らされているから、全体の雰囲気は損なわれることなく、〈夢幻諸島〉を巡っている気分になれる。 それから、物語について。各短篇には独立して面白いものもあるけれど、複数の短篇にまたがって語られる物語もある。その物語が、読み進めて行くにつれて真相が分からなくなっていく。恐らく各短篇の一人称が異なるせいで、見え方が異なっているのだろうけれど、明らかな矛盾もあって、意図的なミスリードも含まれているようにも思う。 各レベルでどんな見方をして各物語をどう解釈するかで、見えてくる世界がガラリと変わる。しかも、どの世界の確からしくて、通読した後も読み返しては、色んな世界を想像せずにはいられない。一体、この本は、誰が誰にどう読まれることを想定して書いたんだろうか? と。具体的な見え方が幾つか浮かんできて、あれこれと書き散らかしたい気持ちになる。けれど、ガマンガマン。 加えて、オマケ(ファンサービス?)的な要素もある。読み返していて気がついたのだけれど、ある島で意味深に出てくる固有名詞には、他のどの島でもほとんど説明されないものがある。それが気になって、Webに公開されている感想を読んだら、既刊に収録されている短篇も参照しているみたい。自分も 『限りなき夏』 に収録されている作品

Guess who's guest?

Deviceの"Device"を聴いている。 Deviceは、2011年に休止したDisturbedのVo. David Draimanが、2012年に始めたバンド。その1stアルバムがセルフタイトルのこのアルバム。 まず目につくのが豪華なゲスト達。 System of a DownのSerj Tankian 、Rage Against The MachineのTom Morello、 Avenged SevenfoldのM. Shadows が参加している。 でも、ゲストに喰われていたりはしない。Serj TankianのハイトーンなVo.とかTom Morelloの癖のあるG.が溶け込んでいるのが面白い。 下の動画は、シングル曲"Virify"。ゲストがいなくても、もちろん格好良い。

Listen, Read, Write and Rewrite

『名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方』を読んだ。名作コピーが名作たる所以の解説を通して、文章が読まれる条件についてエッセイ風に書き記されている。 気の持ちように関する話が多かった。そのせいか、全体的な雰囲気が 『パワープレゼンテーション』 が似ているように感じる。ただ、この本には、体系立てられたフレームワークも、即効性のあるTIPSもほとんど書かれていない。 精神論のようで食わず嫌いになりかけたけれど、一歩立ち止まって考えてみる。その気の持ちようを、文章からどう読み取ってもらうかがテクニックなんじゃないか? と。人を動かすのは、客観的な事実より主観的な物語だ。自分は、どちらかという事実を重視する方で、コピーを読む時はかなり割り引く。それでも、動かされるのは物語だ。少なくとも、事実を確かめようという動きだすキッカケは、物語に揺さぶられた感情だと思う。 ここからは、コピーに特徴的な話。 コピーとプレゼンテーションなどとの最大の違いは、そこに載っている気持ちの出所だと思う。プレゼンテーションでは気持ちの出所も自分だけれど、コピーライターの場合それはクライアントになる。そのことを端的に現しているのが、「第三部 話の見つけ方」の最初の章タイトル「書き上手になろうと思うな 聞き上手になれ」。 『たのしいロゴづくり』 の4章を連想した。ロゴづくりでも、いかにクライアントから話を引き出すかが重要になる。 『アジャイルサムライ』 でいうところの期待マネジメントにも通じそう。 もう一つ、コピーで特に重要になるのは、他のコピーとの差別化の話。確かに、他と同じでは読まれないように思う。差別化のためには、自分の気持ちより、読者より、さらに外にある言葉にまで目を向けないといけない。どんなに気持ちが載った言葉でも、読者が色んな文章の中で見かけていたら、色褪せてしまう。だから、想定読者がどんな文章を読んでいるか、とか自分の書いた文章の隣にはどんな文章が並んでいるか、も考える必要が出てくる。 コピーは感覚的なものと思っていたけれど、体系的とまでは言えなくともツボはあるらしい。それが分かって、少し視点が広がったような。

マガラ・カタブラ

「 CAPCOM FIGURE BUILDER Monster Hunter vol.7からゴア・マガラ 」 「戦えるのは、約1ヶ月後の9月14日以降ですね」 「きっとまともに狩れるのはゲーム中盤以降だろうなぁ。どんな攻撃してくるんだろ」 「それは対峙してみてのお楽しみじゃないでしょうか」 「恐竜ウィルスのような時間制限系のステータス変化は苦手だから、既に苦手意識が」 「ガンランス、納刀が遅いので、ステータス異常回復のタイミング難しいですもんね」 「ブラキほどの天敵じゃないことを願うよ、本当に」

スリケン見切れば

「『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上2』と『3』を読んだよ」 「 一週間ほど前に『1』を読んだ かと思ったら、一気に読み進めましたね」 「それから『4』相当の各エピソードも、Togetterで読んだよ」 「第1部ネオサイタマ炎上を読み切ったわけですか。それはまた突っ走ったマネを」 「公式ファンサイト・ ネオサイタマ電脳IRC空間 、 @Wiki 、Togetterに情報をまとめてくれている人に、ユウジョウ!」 「ユウジョウ!」 「これだけ読むと、少しずつ忍殺語にも慣れてくるね」 「日常的に使い始めたりしないで下さいね」 「いや、しないって。ところで、慣れてきて、周囲に目をやる余裕が出てきた気がついたことが」 「何ですか?」 「忍殺語という飛び道具が目立つけれど、物語の骨子はそれこそ基礎的な型に沿っている」 「スリケンを躱したら、カラテが待ち構えていたということでしょうか」 「グワーッ!」 「イヤーッ!」 「グワーッ!」 「イヤーッ!!」 「グワーッ!!」 「じゃなくて。基本的な物語は復讐劇で、その上にきちんと物語を牽引する謎もある。主人公ニンジャスレイヤー=サンが力の負の側面と向き合うところなんか、いかにもアメコミっぽい。っぽいっていっても、映画経由で知っている程度だけれど」 「思えば、そうでなければこれだけ続けられないですよね」

無数の外

John FruscianteのEP"Outsides"を聴いている。 このEPの最大の特徴は、M1の"Same"。収録時間 19分20秒 (ボーナストラック "Sol" 分を含む) 中、10分22秒を占める。しかも、インダストリアル。 飽きそうなものだけれど、むしろ、この曲だけをリピートして聴いていたりする。これだけの長さだから展開が自分の頭に入りきらないし、終わり方があっけらかんとしているし、ギターの音が面白いし、で繰り返し聴けてしまっている。 "The Empyrean" の楽曲のようなカタルシスは無いけれど、不思議な魅力がある。どこかに誘われそうな。

怪獣達のいる所、ロボットたちのいる所

「『パシフィック・リム』を観てきたよ」 「観たいってツイートしていましたね」 タイムラインにちらちら『パシフィック・リム (原題 "Pacific Rim")』が現れてだんだん観たくなってきた。 posted at 23:19:24 「いやー、良かった。現代技術の粋を凝らして作った怪獣映画だった」 「どんな話だったんですか?」 「ストーリーは知らん。予算と技術と才能を駆使した、巨大ロボット・イェーガーと怪獣が戦う映像が観られるんだよ? それ以上の何が要るんのだろうか、いや何も要るまい」 「いや、それは割り切り過ぎかと……」 「予告編再生したら、また観たくなってきたなぁ。」 「欲を言えば、舞台を日本にしてスカイツリーをへし折って欲しかったけれど、巨大ロボットが倒した怪獣から素材を剥ぎ取って売り捌くバイタリティは香港の方が似合っているからなぁ」 「モンハンですか!?」 「漢方みたいなノリで売ってた。それから、劇中では明言されていないかれど、あの靴は間違いなく怪獣の素材使ってる」 「ところで、この作品の監督ギレルモさんって、『パンズ・ラビリンス』の方ですよね?」 「『パンズ・ラビリンス』も素敵な映画だったなぁ。この作品とは、ベクトルが全然違うけれど」

恐くない、恐くないよ~

『モンスターズ・ユニバーシティ』を観た。先日の『OZ はじまりの戦い』に続き、前日譚。 相変わらず、マイク・ワゾウフスキがかわいい。『モンスターズ・インク』の時代以上だ。特に子供時代にはかわいさに磨きがかかっていてヤバい。 でも、そのかわいさが、彼を苦しめることになる。怖がらせ屋を目指す彼にとって、かわいさなんて百害あって一利なしだ。 それでも、典型的には知恵と勇気でそれを乗り越えるわけだけれど……。どういう経過を辿るにせよ、マイクとサリーがモンスターズ・インクに入社し、最終的には怖がらせ屋になることは、『モンスターズ・インク』で分かっている。だから、どういう経過を辿るか書かない。それが、本作品の肝だ。 二転三転する面白い経過だったと思う。特に、ハードスクラブル学長が大人だった。ダンブルドア校長だったら、OK (Oozma Kappa) にボーナスポイント与えて、お咎め無しにしたんじゃないだろうか。 それでも、最終的にはモンスターズ・インクで、怖がらせ屋となるサリーとマイクにCheerful!!

Zombies is not dead

「『ロンドンゾンビ紀行 (原題"Cockneys vs Zombies")』を観たよ。いやー、愉快」 「笑いながら観ていましたね」 「家だと遠慮無く笑えるからいいよね」 「そんなに笑うものですか? 時折スプラッタだったと思うんですが……」 「ま、作り物だからいいんじゃね?」 「そういう問題でしょうか」 「この映画の面白いところは、古式ゆかしい動きが遅いゾンビが相手ながら、それから逃げるのが精一杯というシチュエーションをうまく作り出したところ」 「どんなシチュエーションなんですか?」 「襲われるのが老人ホーム (正確には違う気がするけれど)。大半が足腰が悪い」 「…………」 「いやーシュールだった。じわじわとにじりよるゾンビから、必死に、けどのそのそと逃げる老人!!」 「最近のゾンビを走ったりしますからね。でも、それなら確かに遅いゾンビとも同じくらいのスピード――ってスピード感が全くありませんね」 「走ったりするだけでなく、一人称小説が書かれたり、対策マニュアルが出版されたりするよね」 「進化してますね」 「さて、話を戻そう。26秒以降とラストにご注目。果たして、彼の運命は!?」 「しかし、"There are zombies everywhere!"を、「後ろ、後ろ」って、ドリフかよ。いや、きっと分かってやってるんだろうなぁ」

OZの構図

『OZ はじまりの戦い (原題"Oz: the Great and Powerful")』を観た。 魔法使いじゃないオズの話。描かれるのは、 1939年の映画『オズの魔法使』の前日譚 オズ はじまりの戦い - Wikipedia 一緒に旅をするのはライオンとかかしとブリキの木こりではなく、翼の生えたサルとビスクドール。 副題「はじまりの戦い」から分かる通り、まだオズは偉大な魔法使いじゃない。特に、全く「偉大」じゃない。 そんな彼が、最期には知恵を勇気でもって、王となる。 人々が尊敬するのは、魔法などの技能じゃない。技能が権力に結びつくことはあるかもしれないけれど。

マジンガーでもガンダムでもももクロでもないZ

「『ONE PIECE FILM Z』を観たよ」 「どうでした?」 「 『STRONG WORLD』 より面白かったと思う。特に戦闘シーンの迫力が上がっていた。あとはもう少しブルックが活躍してくれれば」 「ルフィさん、ゾロさん、サンジさんの三強がいますからね」 「あと、本編で消息が語られていないキャラが出てきたのには驚いた」 「出てきていましたね、誰とは言いませんが」 「しかし、Zの最期はなぁ。あれだけのことやろうとした上に、島2つ消し飛ばしておいて、あんな描かれ方するのには違和感が」

忍ばない

「『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上1』を読んだ。ゴウランガ!」 「さっそく忍殺語に毒されていますね」 「こういうインチキくさい日本って面白い。『サムライ・レンズマン』を思い出す。あと、作者繋がりで『ブラックロッド』、『ブラッドジャケット』、『ブライトライツ・ホーリーランド』の三部作も思い出す。これらも、日本的要素をサイバーパンクSFにぶちこんでる」 「ハリウッド映画なんかでも度々ありますね」 「『G.I.ジョー』とか『グリーン・ホーネット』とかね。でも、この作品は、おそらく意図的に大げさに曲解していると思う。原作者が日本人じゃないから、かえってここまでできるのかな?」

巨人の要人

「『進撃の巨人(11)』を読んだよー」 「表紙はエレンさん対鎧の巨人ですね」 「うん、 10巻 の最後でエレンが巨人化して、11巻はその続きから。ついに直接対決!!」 「巨人どうしの戦いは、女型の巨人との対決以来ですね」 「 7巻 あたりだったっけ」 「ええ、その辺りですね」 「巨人どうしの戦いも迫力があっていいのだけれど、その分、謎の解明は進まないんだよね。この後の展開、どうなるんだろう? やはり巨人も一枚岩じゃないようだし」

まだ飲んでいない

国立新美術館で、『アメリカン・ポップ・アート展』を観てきた。 せいぜいが、アンディ・ウォーホルの"Velvet Underground & Nico"のジャケットと、ロイ・リキテンシュタインを辛うじて知っているくらいだったけれど、それなりに楽しめた。 アートというと一点物というイメージを持っていたけれど、複製可能な作品ややそれを逆手に取った作品や組となっている作品があることが新鮮だった。 展示外だけれど、大量生産されている消費材を題材にした作品をプリントした商品を再生産して販売している様を見ていると、それはそれでクラクラしてくる。UTの企業コラボTシャツを思い出す。そう言えば、アンディ・ウォーホル作品をモチーフにした作品もあったっけ。 でも、それを熱烈に愛していたのか、冷ややかな目にでいたのかは、少なくとも自分が作品を見た限りでも分からないし、ちょっと調べたくらいでも分からなかった。 そこにはアメリカの資本主義や大衆文化のもつ大量消費、非人間性、陳腐さ、空虚さが表現されていると見ることもできる。 アンディ・ウォーホル - Wikipedia いくつかの話では、ウォーホルのスープ缶の選択は、消費者としての彼自身のキャンベルのスープへの熱烈な愛着を反映していた。 キャンベルのスープ缶 - Wikipedia 故人の考えたいたことなんて確かめようもないし、生前に確かめられたとしてもそれが本当だとも変わらなかったとも限らないし、生きている自分が勝手に考えればいいことか。 ウォーホル以外の作品も面白かった。4枚組の作品でテクスチャとペイントが連続しているのや、リキテンシュタインの金属光沢を利用した作品なんかは、画像では面白くないと思う。そんなものが観られて良かった。 ところで、冒頭の写真は前売り券の特典として貰ったキャンベル・スープ缶。コピペして、『200個のキャンベル・スープ缶』と同じ20×10に並べてみた。簡単にこんなことができるんだから、技術の進歩って面白い。で、加工した写真と言えば、先日見た アンドレアス・グルスキー展 。そこで展示されていた『99セント』は、ウォーホルから繋がってきているのだろうか、なんて想像する。

カワセミは笑わない

Nature of Japan 日本のいきもの からカワセミ。 モリアオガエル が目当てだったのけれど、これはこれで色鮮やかで素敵。 ふと、カワセミといえば、ワライカワセミってどんな風に笑うんだろう。何て思ってYoutubeで調べたら、あっと言う間に動画が見つかった。見た目もカワセミと全然違って、自分のお朧気な記憶が当てにならないことを思い知らされる。 試聴してみると、〈笑い〉というポジティブなイメージに反して、数十秒に渡っていると心なしか狂気染みているように聞こえてくる。勝手な感傷なのだろう。たまたまそう聞こえてくるというだけで。

It's 悲痛 - 悲痛伝

『悲痛伝』を読んだ。前作『悲鳴伝』のあとがきからは、続編が出てもしばらく先だろうという印象を受けたのだけれど、次の通り続刊が予定されていて、〈伝説シリーズ〉なんてシリーズ名がついている。 『悲惨伝』(既刊) 『悲報伝』(2013年9月刊行予定) 『悲業伝』(2013年12月刊行予定) 「続編が出るといいな」と思ったいたので、願ったり叶ったりだけれど、性急過ぎるだろう。3ヶ月ごとにこのボリュームって、『刀語』以上のペースじゃないか。 というメタ情報はさておくと、相変わらず空々空のパーソナリティが面白い。誤解されやすくて(そもそもマジョリティにとって理解の埒外にあるとは言え)、誤解を放置しても気に病むことが無くて、気に病んだとしても誤解を訂正にする能力に欠いているなんて、何て面白い。 面白いと思うのは、ここまで極端じゃないにしろ、自分も自己評価と他人からの評価に乖離を感じていて、それでいてそれに慣れてしまって放置しても気に病むことがなくなっているからだと思う。その乖離を解消しようとして、真面目に話せば話すほどかえって伝わらなくなったりした経験もある。誤解を訂正しようとするとかえってこじれるのだったら、放置しておいた方がまだマシだろう。 というのは話を盛っているにしても、多かれ少なかれ、そういうことは多くの人にあるんじゃないだろうか。否定すればするほど、その否定したいことを確信されるケースが典型的だと思う。大なり小なり、人は自分が認識したい世界しか認識しない。認識したくない世界を見せられたって、作話で認識したい世界を創り上げる。 だから、空々空の持つ非現実的な現実即応能力が極めて貴重だという設定が現実味を帯びてくる。

近くのプログラマの知覚

「『Team Geek』を読んだよ」 「すでに 色々感想をツイートしています けれど、振り返ってみるとどうですか?」 「ギークのチームに関する本かと思ったら、ギークがチームになるための本だったよ」 「確かに「ミッションステートメント」にはこうありますね」 本書の目的は、プログラマがソフトウェア開発を効果的かつ効率的にするために、他人の理解・コミュニケーション・コラボレーションの能力を向上させることである。 「うん。予想とは違ったけれど、こっちの内容で良かったよ。自分もどちらかというとコンパイラを相手にしている方が気が楽なので」 「コミュ障?」 「プロトコルが違うだけだよ。その状態を理解していない人からは障害に見えるかもしれないけれど。それより〈コミュ障〉って言葉、かえってディスコミュニケーションを促しているよね」 「『相手はコミュ障だから』、『自分はコミュ障だから』、と、互いにコミュニケーションできない理由を与えてしまいますからね」 「うん。あ、そう言えば、その状態って『Team Geek』の三本柱HRTに欠いているな」 「これですね」 謙虚 (Humility) 尊敬 (Respect) 信頼 (Trust) 「でも、一方で現実問題としてコミュニケーションの問題じゃないときもあるよね。本当にどうしようもなくコミュニケーションできなかったり、反対にお互い分かっていてその上で対立していたり」 「対立は『アドレナリン・ジャンキー』でパターンとして取り上げられていますね」 れっきとした対立が「コミュニケーションの失敗」と解釈される。 『アドレナリン・ジャンキー』 「58 暴力脱獄」 「やっぱり『事を荒立てるときを知る』必要があるのかな」 「荒立てると言っても、感情的に振る舞わずに、事実をベースに話して下さいね。かえってこじれますから」

Human, Machine, Chain, Humor

「『未来のモノのデザイン』を読んだよ」 「2008年に出版された本ですね。もう実現されているモノはありましたか?」 「そういう具体的なプロダクトの話じゃなかったよ。もっと抽象的な話。設計思想とでも呼ぶのかな。ともあれ、人と機械とのインタラクションに関する話だった」 「それで 『戦闘妖精・雪風』 や 『スカイ・クロラ』 を思い出したってツイートしていたんですね」 「うん。どちらもパイロットと戦闘機のインタラクションの話だったから。前者では戦闘機が知性的な一方で、後者はパイロットがウィーケストリンクは自分だと認識している。そう言えば最近関連した話をどこかで聞いたような」 「うーん、ここでは話していませんし、Twilogにもそれらしいのは見あたりませんね」 「思い出した、 『機械との競争』 の話を人づてに聞いたんだった」 「通りで」 「なるべくツイートするなり検索可能にしているつもりだけれど、こういうふとした連想はカバーしきれないなぁ」 「それができたら、自分が何を思いつくか予想できているってことですよ」 「そりゃ無理な話か。人間と機械が〈共通基盤〉を持つのが難しいのは、この辺りにも原因があるよね」 「電子化されていないと、ソフトウェアから見えませんもんね。電子化されていたとしても、人間にとって読みやすいのと、機械にとって読みやすいのは、随分違いますし」 「そうそう。で、その関連した話だけれど、『機械との競争』で、チェスが一番強いのは人間でもAIでもなくて、AIの支援を受けた人間だというような話があったらしくて」 「そういう形態のチェスについてなら、2ヶ月ほど前にツイートしていますね」 「そうだっけ?」 「ええ」 こんなんあるんだ。「チェスにおいては、人間がチェスソフトウェアを積極的に利用する「アドバンスド・チェス」と呼ばれる試合が存在する」 pc.watch.impress.co.jp/docs/column/ky… posted at 23:49:57 「ホントだ。すっかり忘れてた。自分の記憶はあてにならんもんだなぁ」 「そういうところを機械がサポートしていければいいんじゃないでしょうか」 「うん、よろしく。と思う一方で、場合によっては抵抗も大きいだろうな、とも思うよ。 『確信する脳』 で、記憶と現実が違った場合、記憶を優先するケー

花火、話、放ち

「花火を観てきたよ」 「蛇玉ですか?」 「打ち上げだよ!!」 「思えば、この日昼からずっと空を眺めていたなぁ」 「日中の空の写真もTwitpicに投稿していますね」 何だか不穏な雲が。 on Twitpic 雲が去った。真ん中にうっすら写っているのは飛行機。こうして見上げていると、べらほうに速い。... on Twitpic 雲がなくなった。 on Twitpic 「ホント、雨降らなくてよかった」

花? 鼻?

『日本の動物コレクション2 沖縄奄美/やんばるの森』 からハナサキガエル(緑色)。イボイボがよく出来ていて良い感じに気持ち悪い。 名前を感じで書くと「花咲蛙」かと思ったけれど、もしかして「鼻先蛙」なのかな。Wikipediaにこんな記述がある。 種小名narinaは「鼻」の意 ハナサキガエル - Wikipedia 約2週間後の8月20日に発売の『日本の動物コレクション3 東京/大都市と離島』にもカエルが。こちらはトウキョウダルマガエル。こちらも気になる。

三回の散開

『ONE PIECE 71』を読んだ。 ドフラミンゴが支配していたドレスローザに上陸。三方面作戦を展開、と思いきや案の定はぐれるやつが出てくる。話が断片化して、正直に言うと読み辛い。 簡単に状況をまとめてみる。シーザー引き渡しチームは引き渡し場所ではめられたところ。サニー号安全確保チームは、誰かの気配を感じたところ。工場破壊&侍救出チームは、ひどいばらけ具合。ルフィは商品を目指してコリーダコロシアムでこれから戦闘。サンジは恋に落ちていて、ゾロは花畑に目指していて、錦えもんは素性がバレたところで、まともに工場破壊に向かっているのはフランキーだけという有様。 こいつらに目的意識はないのか、と思う。でも、これはこれで楽しかったり。しかし、魚人島以来、サンジの行動原理が傍目に軽過ぎて心配になる。

見返り見境見様見真似

『こうして世界は誤解する』を読んだ。オランダの元ジャーナリストの、1998年から2003年にかけての体験が書かれている。「世界は」なんて大仰なタイトルだけれど、中心となる舞台は中東。英題の "People Like Us: Misrepresentating the Middle East" の方が内容に忠実。 内容は3つの要素、メディアの裏側、メディアに載らなかった中東の様子、メディア側の人間である著者の韜晦、がないまぜになっている。もう少し分けて書いて欲しかったように思う。けれど一方で、あえて分けて書かなかったのかな、とも思う。 自分が興味があったのは、最初のメディアの裏側。忘れないようにしよう、と思ったことがいくつかあったので箇条書きしておく。 特派員が話すことは、通信社と本社によって事前に決められている。それでも特派員が現地に行くのは、現地から発信することに価値がある(少なくともそう思われている)から。 特派員が取材する相手も、多くの場合、スポークスマンから紹介された人。そうでない人を見つけても、記事にできるような話を聞けるとも限らないし、そういう話を聞けたとしても報道できるかは、また別の話。 ニュースは変化を扱うから、慢性的で進展のない問題は俎上に載らない。例えば、占領された状態が日常になってしまうと、ニュースにならなくなる。 取材される側にもPR会社が裏にいたり、と一概に弱者とは限らない。メディアが利用されている可能性もある。対立する一方だけがうまくメディアを利用すると、メディア戦争がワンサイドゲームになる。 上に書いたことを含めて、色々な事実が著者の韜晦ととも語られている。ロジカル・ライティングの基礎に則れば、事実と意見は分けて書くべきだ。でも、そんなことは著者は百も承知じゃないか、と思う。それでもこう書かれているのは、どうしてだろう? まず、こうした方が情に訴えるという理由が考えられる。人の意志決定は、 統計よりも特定の人物にまつわる物語に左右される 。 もう一つの理由として、これは著者が書いている独裁国家の状況を反映しているんじゃないか? とも思う。独裁国家では、個人の意見を大っぴらにすることはできない。どこに独裁者の息のかかった秘密警察がいるか分からないし、たとえ秘密警察がいなくてもたまたま聞いていた人が