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KindleのKindness

「はじめてiPadのKindleでまともに電子書籍を読み切ったよ」

「何を読んだんですか?」

「『ウェブ動』こと『ウェブで政治を動かす』だよ」

iPadでePubを読み始めたのも、著者が同じ津田さんのメルマガでしたね」

「うん、Kindle版がビックリするくらい安くて。キャンペーン価格で250円だよ、出たばかりの新書が」

「紙の値段は861円ですから3分の1以下ですね」

「これは価格破壊だよなぁ」

「紙の本は再販制度で価格が拘束されますから、融通が利くのは電子書籍ならでは、ですね」

「でも、Kindleで読むのと紙で読むのとは随分と勝手が違うね」

「何かツイートしていましたね」

『ウェブ動』は安さにつられKindleで読んでいる。気になることが2つ。ページめくりが重い。iPad1のスペックも一因だろうけれど。多分めくるたびにリフローしている。関連して2つ目。章が変わる前の最終ページが空行で終わっていても、次の章題を表示してから戻ると詰められている。
posted at 10:30:45

2つ目がストレスフル。何でこんなにイライラさせられるんだろう? とかんがえてみると、多分自分はページ上の位置と内容をマップさせている。それがページを行きつ戻りつするだけでリフローされるメンタルモデルは持ってない。
posted at 10:33:49

フォントサイズ変えたり、縦横変えたりしたら、リフローされるのは当然とは思っているけれど。
posted at 10:47:55

だから1ページ目でフォントサイズと縦横どうしたら読みやすいか確認したのに。ぐぬぬ。
posted at 10:52:41

「うん。自分は紙の本に慣れ親しんでいるからかな。厚さやページ上の位置を手がかりにドコに何が描いてあるか思い出している気がする」

「だから、それがずれるとイライラするんですね」

「多分各ページになるべく多くの文章を表示しようとしているんだろうね。余計なお世話なんだけれど」

「でも、一方でiPadとiPhoneで読んだところが同期されるのが便利だと言う人もいらっしゃいますよ」

「自分はそもそも違うハードで読もうとさえ思わないからなぁ」

「自動で栞が挟まれるようなものだから、便利じゃないですか」

「俺は栞があっても使わないくらい」

「一度閉じた本を次に読むときはどうしているんですか?」

「厚さで大まかに当たりを付けて、周辺にサッと目を通して覚えていないところから再開してる」

「またアバウトな」

「読んでも全く覚えてないなら、読んでないのと一緒だからいいんじゃね? とまぁ不満はあるけれど、読みたいと思ったときにすぐDLできるのはすごい魅力だよなぁ」

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