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クラウドソーシングの有意性

『クラウドソーシング―みんなのパワーが世界を動かす』を読んだ。
別著者による同タイトルの本『クラウドソーシング 世界の隠れた才能をあなたのビジネスに活かす方法』があるので、紛らわしい。

こちらは、著者が「クラウドソーシング」という言葉の生みの親だという点を売りにしている。
ちなみに、もう一方は、本の製作自体にクラウドソーシングを適用している。

本書によると、クラウドソーシングには次の4種類があると言う。
最初に挙がっているのが、最も有名だろう。
「群衆の叡知 (Wisdom Of Crowds)」として知られている。
  • 集団的知性あるいは群衆の知恵
  • 群衆の創造
  • 群衆の投票
  • 群衆の投資
群衆の叡知が機能する仕組みが、本書の説明通りなら、それは統計的検定の枠を出ないと思う。

その仕組みをざっくり説明するとこうだ。
まず、大きな群衆の中には、ごく少数の正解を知っている人がいる。この人たちは正解を選ぶ。
大多数の正解を知らない人は、それぞれの考えを持って選択肢を選ぶが、その選択は全体としてはランダムに見える。
その結果、わずかな差で正しい選択肢が選ばれる。

これを、統計用語で言い換えると「母集団のサイズを大きくすると検出力が上がる」ということ。
ただし、有意差が検出されたからといって、実は正しいとは限らないので、もう少しよく考える必要がある。

みんなの意見はちっとも正しくない。
正しいのは、ごく少数だ。
ただ、どの意見が正しいかは、分からない。
そこで、みんなを集めれば、どれが正しいかが見えてくる。

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