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支配の廃止

螺旋のエンペロイダー Spin1. (電撃文庫)
「『螺旋のエンペロイダー Spin1』を読んだよ」

「〈ブギーポップ〉シリーズの方の新作ですね」

「これも同じ世界での話だったよ」

「舞台が〈MPLS〉の養成機関ですもんね」

「でもそれだけじゃなくて、〈枢機王〉なんて単語も出てくるし、主人公〈才牙虚宇介〉なんて、ナイトウォッチ三部作を思い出さずにはいられない」

「その上、妹さんは〈そら〉さんですしね。やっぱり〈虚空牙〉と関係あるんでしょうか?」

「どうなんだろうね。いつか全容が明かされると嬉しいな」

「ですね」

「ところで〈支配〉ってなんだろうね? きっと、このシリーズのキーワードなんだろうけれど」

「なんですか、藪から棒に」

「うーん。確か、『殺竜事件』だったんだと思うんだけれど、支配している者こそかえって支配されているみたいな件があって、ずっと引っかかっていて」

「どういうことですか?」

「支配する側って支配される側を理解――少なくともコントロールしないといけないわけじゃん。逆に支配される側は支配する側に文句垂れてりゃ、溜飲が下がるわけで。主観的に自由なのはどっちなんだか、と言うような」

「主観という言及があるので、その疑問への一般的な解はないんじゃないでしょうか。ともあれ、双司君は、最近その辺り気にしていますよね。〈境界線上のホライゾン〉シリーズの王の話とか、〈ドリフターズ〉シリーズの王の話とか。リーダーの逆の『フォロワーシップ』とか」

「うん。コンプレックスなのかもね。リーダーになりたいとは思わない一方で、よくあるリーダー観には疑問を覚えているし。かっこいいと思うのは、戦隊でいうとブルーだったり、アンデルセン神父のいうところの〈銃剣〉だったりするし」

「アーカード伯爵じゃないんですね。意外」

「あれは化け物だからね。魅力的だけれど、かっこいいと思う対象とはまた違う」

「そんなものですか」

「感覚的なものだけれどね。そう言えば、〈優しい独裁者〉なんて言葉もあるね。それになった人が支配できるんじゃなくて、コントロールできる人を結果的にそう呼んでいるだけなのかもしれないけれど」

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