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ためらい - さすらい

『さすらい』を読んだというか、眺めたというか、ランダムアクセスしているというか。ともあれ、少なくとも1回は最初から最後までページをめくったし、ふと順繰りに眺めたり適当なページを開いて拾い読みしたりしている。

この本はレイモン・ドゥパルドンのエッセイ? 写真集? 説明し辛いので、出版社の商品紹介を見てみてほしい。見開き左ページに文章が右ページに写真が配置されて独立に並走する構成になっている。

前から文章を追っていくもよし、写真だけを眺めるもよし、適当に見開きで眺めるもよし。いろいろな楽しみ方ができる作りになっている。文字と写真の往復でひっかからないのが意外と新鮮。縦長のモノクロ写真で統一されているからだろうか。ノベルスの挿絵入りページのように左右どちらも白黒になる。人の視野角は横に広がっているのとも関係しているかもしれない。

影響されやすいので、しばらく離れていたモノクロ写真をまた撮り始めてみた (正確にはあとからモノクロにしている)。

This work by SO_C is licensed under a CC BY-SA 4.0.

このエントリィ用にサイズ調整していて、フォーマットが4:3ではなく3:2になっているのに気がつく。どうりでいつもより縦に長い。これまでずっと4:3だったし、あとで戻しておこうかな。

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でも、この文章を書くにあたって読み返していたら、こんな文章に行き当たった。
写真には、24×36mmというフォーマットがある。これは途轍もなく優れたフォーマットで、非常に使いやすい。むしろ安直といえるほどだ。20×25mmという大判のフォーマットもある。こちらはまず対象を眺め、その都度フィルムを装填し、倒立した像を見なければならない。『さすらい』に関しては両者の中間を選んだ。

中間っていくつだろう? と思って写真のサイズを測ってみると11.5×17cm。比率はおおよそ1:1.48になる。24×36mm (1:1.5) よりは縦に短く、20×25mm (1:1.25) よりも3:4 (1:1.33) よりもさらに縦長。日本ではL判 (4:3) が一般的なので、自分にとって「安直」なのは4:3。うん、あえてこのまま2:3でしばらく使ってみよう。

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撮影される人との距離の話が何回か出てくるのだけれど、自分はそもそも人を撮るのが苦手。撮られたがっている人を撮ってもおもしろくないけれど、カメラを意識していない人を撮るのにはプライバシーの問題以前に内心にためらいが生まれる。身勝手な話ではある。

だから最初の写真では遠くの人しか写っていないし(顔もぼかしてある)、次の写真は反射越しで顔は写っていない。

人が入らないところでゆっくり撮るのが好き。なお、自分の影は許容範囲(突然の人でなし宣言ではないよ?)。

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縦だけという制約は厳し過ぎた。しかも、撮ったらこうして選んでしまうくらいの自制心しか持ち合わせていない。

たまたま入った(あるいは人がいなくなるまで待てなかった)影をおもしろいと思うことはある。とくに、寝かせたあとだと。この本でも『ショッピングモールから考える』でも、あとどこかで別の何かでも(忘れてしまった)、「寝かせる」ことについて書かれていたのを思い出して、ちょっとだけ寝かせてみてそう思う。

撮ったその場でSNSでシェアする行為がどんどん広まっているけれど、それらの写真はいつか振り返られるのだろうか。

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