『弱いつながり 検索ワードを探す旅』を読んだ。「はじめに」に「飲み会で人生論でも聞くような気分で、気軽な気分でページをめくってくれれば」とあったので、感想もそんな気分で。
みんな、もっと他愛もない発見を面白がればいいのに。そして、周りもそういう発見を「既出」だとか世知辛いこと言わずに、一緒に面白がればいいのに。逆か。何かに気がついても、世知辛いことを言われるかもしれないと思って身構えちゃうから面白がれないのか。どっちだろう?
そういうことが出来れば、旅に出なくたって見慣れた風景を新鮮な気持ちで見られる。変わり映えしないように見える日常だって、365回繰り返せば1年経っているわけで、何も変わってないことはない。
想像するに、旅に出たって何の発見をしない人もいる。勘違いして本来の目的地の手前で帰ってしまう人もいれば(『徒然草』「第52段 仁和寺にある法師」)、本来の目的地以外には目もくれず足早に巡るだけの人もいる。どちらも似たようなものだ。旅の前から持っていた思い込みを強めているだけ(それはそれで満足だろうけれど)。
必要なのは一人の時間だと思う。旅に出るにせよ出ないにせよ。そういう時間がないと何かに気がついてそれについて指向を彷徨わせることができない。
あぁ、一人でふらふらしたくなってきた。飲み会でぶたれてる人生論を大人しく聞いている気分じゃなくなってきた。
みんな、もっと他愛もない発見を面白がればいいのに。そして、周りもそういう発見を「既出」だとか世知辛いこと言わずに、一緒に面白がればいいのに。逆か。何かに気がついても、世知辛いことを言われるかもしれないと思って身構えちゃうから面白がれないのか。どっちだろう?
そういうことが出来れば、旅に出なくたって見慣れた風景を新鮮な気持ちで見られる。変わり映えしないように見える日常だって、365回繰り返せば1年経っているわけで、何も変わってないことはない。
想像するに、旅に出たって何の発見をしない人もいる。勘違いして本来の目的地の手前で帰ってしまう人もいれば(『徒然草』「第52段 仁和寺にある法師」)、本来の目的地以外には目もくれず足早に巡るだけの人もいる。どちらも似たようなものだ。旅の前から持っていた思い込みを強めているだけ(それはそれで満足だろうけれど)。
必要なのは一人の時間だと思う。旅に出るにせよ出ないにせよ。そういう時間がないと何かに気がついてそれについて指向を彷徨わせることができない。
あぁ、一人でふらふらしたくなってきた。飲み会でぶたれてる人生論を大人しく聞いている気分じゃなくなってきた。