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既知巡り - 基準値のからくり 安全はこうして数字になった

基準値のからくり 安全はこうして数字になった (ブルーバックス)『基準値のからくり 安全はこうして数字になった』を読んだ。

守れば安全だということになっている各種の基準値。でも、この本に書かれている決定プロセスや運用状況を読むと、案外と政治的に決まっていて根拠と整合しない使われ方をしている基準値があることが分かる。守られていてもそんなに安全じゃなかったり、そもそも守られていなかったりする。

この本では〈安全〉の好ましい定義として「受け入れられないリスクのないこと」[1]を採用している。この安全の定義は、別の箇所で引用されているリスク管理の三つの原則――①ゼロリスクにもとづく方法、②受け入れられるリスクにもとづく方法、③費用との兼ね合いで決める方法[2]の②に対応していると言えそう。

この「受け入れられないリスク」が曲者。リスクのような確率に関する意志決定には、大きな認知バイアスが存在する。そのせいで、リスクの大きさと需要レベルが比例しない。例えば、人は慣れているモノは安全だと思う[3]。だから、昔から食べられているおもちのリスクより新しく作られたこんにゃくゼリーのリスクの方が受け入れられない。危険(窒息自己頻度が高い)なのは、おもちだとしても、だ。それから、具体的な事象の発生確率を過大に見積もる傾向にある[3]。

こういう個々のにリスク評価に関する認知バイアスについては聞きかじっていたけれど、複数のリスクが絡む〈リスクトレードオフ〉の考え方についてもこの本は触れている。何かの食品に含まれる有害物質を摂るリスクを回避すると、その食品に含まれる栄養素が不足して別のリスクが生まれるとか、リスク回避が別のリスクを生むことがあるから、そのトレードオフについても考えようという話。理屈としては難しい話じゃないけれど、いざリスクに直面したらその回避で頭が一杯になるから、冷静に考えるのは難しそう。

でも、リスクについて考えるだけマシと言えばマシ。基準値があると思考停止してしまいがちだ。無理な基準値が設定されて無視されることもあれば、反対に安全側に設定された基準値を安全側に倒すという過剰な運用をされることもある。基準値自体でさえ、基準値を使い回して決められている事も多々あるようだし、一度決まるとなかなか変更されない傾向にあるらしい。

理想的には基準値の決定プロセスやその根拠についても把握するべきなんだろうだけれど、数え切れないほどの基準が存在する中で全部根拠まで押さえて適切に運用するのは全く現実的じゃない。まずは生活や仕事で触れる基準について考えを巡らせたり、決定根拠を調べたりしてみるのだろうなぁ。

[1] 国際的な安全規格に関する『ガイド51』(ISO/IEC Guide 51)
[2] 『原発事故と放射線のリスク学』
[3] 代表性ヒューリスティクス。リンダ問題がよく知られている。

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