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標的殺害の冬 - キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー

「『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー (原題: Captain America: The Winter Soldier)』を観てきたよ」


「前作より緊迫感があって良かった。それから、ようやく前作を観ていてよかったと思えた」

「前作を観た時から、続編に気持ちが向かっていましたもんね」

「うん。報われた気分。しかし、キャプテン・アメリカって報われないよなぁ」

「複雑な境遇にいますよね。氷漬けになっていた自分だけ年をとることなく、現代に目覚めてしまったわけですもんね」

「かつての恋人も今は……」

「アヴェンジャーズの中でも気苦労が絶えなさそうで、心配になってしまいます」

「一番の常識人だもんなぁ。異世界アスガルドから来たソーに地球の常識を求めるのは酷としても、残る二人のメンバがアイアンマンという派手好きの天才と、ハルクという厭世的な天才だもんなぁ」

「しかも、良心の固まりですしね」

「氏も育ちも善良な一般人だもんなぁ。報われて欲しいものだ」

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北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

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